祖父母との関係性

父方の祖父母と電話するだけ。たったそれだけのことで、私は過呼吸気味になり、涙が止まらなかった。身体と心が分かりやすすぎるくらいに、強い拒絶反応を起こしている。すごく苦しい。なんで泣いているのかもよく分からない。心が弱すぎる。

私は祖父母から直接なにかされた訳じゃないけど、幼少期に植え付けられたトラウマが、今も完治していない。もうずっと癒えていない。

それでもこんなに分かりやすく、拒絶の気持ちが表出したのは久しぶりというのか、初めてかもしれない。

今日両親が父方の祖父母に会いに行き、そこで私宛に、卒業祝いの金一封を渡された、とのこと。それに対するお礼の電話をするからと、親が電話を掛ける流れになったのが、事の発端。そこから私の頭の中が拒絶感でいっぱいになって、パニックになったんだと思う。何を思ったのか知らないが、溢れ出てきたのは涙だった。

でもちゃんと電話代われた。自分の口から言うべきことはちゃんと言った。大丈夫。

愛情と金が天秤に掛けられていると、父方の祖父を見ているといつも思う。目に見えない愛情を、金という、目に見えるもので代わりに表現をしていると思う。受け取ったところで、私は何も嬉しくなんてないのに。

父親と祖父は、もともと折り合いが悪かった。私が幼少期の頃から中学くらいまで、家族で父方の実家に帰省した時には、ほとんど毎回と言っても過言では無いくらい、私の面前で罵りあいをしていた。

父親の、祖父に対する、自身の養育への鬱憤。はたまた祖父の、父親に対する愛情の欠如から来る言葉達。それらは互いにとって強い憎悪となって、言葉と言う凶器に成り果ててしまった。凶器となった言葉達。

それらはあろうことか、当人達を超えて、面前で聞いていたー当時から繊細だった私の心ーへと、行き先を変えた。気付けば深い傷…恐らく、私の中では極度のストレスやトラウマとなって、頭にこびりついてしまったようだった。

高校生くらいから、父方の実家に帰省すると分かった時ら、行く日の数日前になると、私は体調を崩しがちになったし、当日は嫌な気持ちを押し殺しては、できる限り平静を取り繕って過ごしてきた。

でももう、今となっては、それすらも出来ないのかもしれない。だって今日、電話するだけでこんなに気持ちが壊れてしまうようになったし、終わったのに未だに、涙止まらないし、苦しいんだもん。弱すぎ。


三世代水入らずとか、おじいちゃんおばあちゃんと仲いいとか。夢物語なんじゃないかなって思う。少なくとも、私の中ではそれは、現実味を帯びていないから。

母方の祖母とは唯一、関係性がこじれていないと思っていた。けれども結局、中学生の時の私の精神がとっくに壊れていた所為で、病気になって入院した祖母の見舞いに行かされる度、貴重な休日が無くなるのが辛すぎて、(早く死ねばいいのに)って思うようになって。

それで結果、中一の冬に祖母が病死した時にも、ご臨終の場面に立ち会った時でさえ、悲しいとか一切思わなかった私は、冷酷なんだ。サイコパス。それでも周りの空気読んで一応、悲しそうな顔はしておいたけどね。そこだけは。

遺体が冷たかったのを、よく覚えている。人間って、死ぬとこんなに冷たくなるんだなあって。


私。今の精神だったらちゃんと、誰かの死に対して、悲しいって思えるんだろうか。

でも結局今は今で、人間生まれればいつかは死ぬから、そんなに悲しいとも思わないのかなあ。

知らんけど。

ただ、大好きな人がもしそうなったらって思うと、悲しいし寂しいって、私はちゃんと思えると思う。(縁起悪いこと言ってごめんなさい。)



30分以上経って、ようやく落ち着いてきた。ひとまず、涙は止まったっぽい。呼吸も安定してきた。泣き疲れた。

私だって、なりたくてこうなっているわけではないと、ここに強く記しておきたい。

数時間経ったものの、金一封の封筒を見るだけで、息が苦しくなってくる。今日はもう無理かもしれない。

だからそれを隠すかのように、封筒を机の中に押し込んだ。とにかく今は、気持ちを穏やかになるのを、待つしかない。


読んでくださってありがとうございます。

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