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逃げきれないから、諦める。

バートランド・ラッセルは、幸福の獲得のために、努力だけでなく、諦めも必要だと言っています。

「諦めには二つの種類がある。一つは絶望に根ざしたものであり、もう一つはどのようにしてもおさえることのできない、希望に根ざしたものである。」

避けることのできない不幸に対して、すっきりと諦めることが大切だと、ラッセルは言っています。

避けることの出来ない悲しみは、これから先も、きっとある。
次の悲しみに向けて、心構えをしたい。
それをどのように扱うのか、今考えてみたい。
例えば、大切な人の死をどのように受け入れるべきだろうか。


今の世の中には、気を紛らわす手段はいくらでもある。
YouTube、TikTok、Netflix。
読書、運動、食事。

「気を紛らわす」という行為は、向き合うべき感情の先延ばしだ。

気を紛らわす行為が、悪いとは思わない。
YouTubeを見ながらも、その感情が、心の底にあることを感じている。
その感情をチラッと横目で見てる感じかもしれない。
あるいは、年会費だと負担が大きいから、サブスクで払っている。
少しずつ。

そして、どこかの時点で気が紛れなくなる。
逃げ切れなくなる。
そして、現状と自分の感情に向き合うことになる。

悲しみを紛らわすことを諦める。
逃げ切ることを諦める。

悲しみを深く味わうことが、きっと必要なんだと思います。
それがなければ、行動の変容に繋がらない。
「気を紛らわす」という行為は、「有るものを無いと見なす」ことです。
それをしていれば、世界はどんどん小さくなっていく。


悲しみに限らず、僕は誰でも、感情と向き合う強さを、持っていると思います。
ただ人によって、気を紛らわす時間、逃げている時間が違う。
僕の場合、25年間くらい逃げ続けてきたように思います。


「何が1番怖いのか」「人生に何を求めているのか」「一番の不幸とは何か」「何を成し遂げたら、良い人生と言えるか」。

誰も教えてくれない問いに答えることは楽じゃない。
だから、先延ばしにしている。
先延ばしも悪くない。
でもいずれ、誰もが向き合うことになる。
それが今でも、別にいい。


「何のために生きるのか」。




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