かねこ

心の問題について、書いていきます。 元・社交不安障害のサラリーマンです。 社会復帰する…

かねこ

心の問題について、書いていきます。 元・社交不安障害のサラリーマンです。 社会復帰する過程で、真剣に心の問題に向き合うようになりました。 不安障害の人、うつの人、社会復帰を目指す人などの参考になればと思い、書いています。 よろしくお願いします!

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共感と線引き

例えば、誰かの話を聞いてあげること。 口を挟まずに、ただただ話を聞く。 それが目の前の相手にできる最大のプレゼントだと、僕は思う。 「誰かに私の心を知ってもらいたい」。 誰もが持つ欲求で、1人では叶えられないもの。 人の話を聞くことは、簡単なことじゃない。 心が不安定な人の話を聞いた後は、こちらの心がずっしりと重くなった感じがする。 ネガティブな言葉にさらされれば、ネガティブになる。 ネガティブな言葉から自分を守ろうとすれば、本当の意味で話を聞く、ということは出来なく

    • 死体を演じる

      ヴィパッサナー瞑想では、まず「死体を演じる」ことから始めるそうです。 死体のように全く動かない。 そうは言っても、呼吸はしているので、呼吸以外の体の動きを完全にストップさせる。 かなり難しいです。 スマホを1時間いじらないことすら難しいのに、、、 でもやってみます。 知識をため込む代わりに瞑想し、 動き回る代わりに、死体になってみる。 今までしてきた、努力と呼べそうなものの、正反対を行ってみます。 何かが見つかるかもしれません。 最後まで読んでいただき、ありがと

      • 心を治すために、何を学ぶべきか?

        大学生の頃、社交不安障害でした。 その頃に村上春樹の『1Q84』を読みました。 それでユングを知りました。 何か病気を治すヒントがあるのではと、ユング心理学を勉強しました。 ユング心理学の元型という考え方に、ものすごく惹かれていましたが(1人の心のなかにいろんなキャラクターを想定する考え方)、 その一方で、心理学というものの曖昧さに、物足りなさを感じていました。 「人間の普遍的無意識の内容表現のなかに、共通した基本的な型を見出すことができる。ユングはそれを元型と読んだ。

        • なぜ、VRゴーグルを付けていないと、言い切れる?

           生まれた赤ん坊は、手術を受ける。 それはVRゴーグルを顔に埋め込む手術だ。  そのVRゴーグルは、ゴムのように、柔らかい物質で出来ている。  体の成長と共に、そのVRゴーグルも引き伸ばされるため、「付けている」という実感は無い。  体を流れるわずかな電流のみで稼働でき、常にWi-Fi接続されている。  VRゴーグルの画面には動画が流されている。  今、もう一度、目の前のものを見てみてください。  僕らが見たい世界を、僕らで動画編集していませんか? 僕らは、ありのまま

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        共感と線引き

          「目的達成インフラ」を整える

          「目的達成インフラ」を整える。 より端的に言えば、「自動的に目的達成されるように環境を整えること」です。 「目的達成の為に何をするか」を考えるのではありません。  より俯瞰的な視点で、目的達成を考えます。 具体的な方法は、①「生活の中の雑音を排除する」、②「目的の明確化と詳細なスケジューリング」です。 この2つを1サイクルとして回し続けることで、「目的達成インフラ」は加速的に構築されていきます。  日々僕らは、必要のない情報を、頭の中に流し込まれている。 そして、生産性の

          「目的達成インフラ」を整える

          何かを習慣にするには、生活が“うるさすぎる”

          習慣化は意志力では、なし得ない。 日々僕らは、外的刺激にさらされている。 テレビの広告、誰かのうわさ話、スマホの通知、冷蔵庫の中身、物音、片付けられていない部屋。 その全てが習慣化の障害になる。 あまりに生活が“うるさすぎる”。 あまりにうるさすぎて、心の声が聞こえない。 環境がより整然とされて、静かになっていって、気づくのは、自分自身の欲深さと恐怖です。 ご飯を食べるときの、自分自身の興奮に気づく。 歩道の無い、車道わきを歩くときの、いらだちに気づく。 そうやっ

          何かを習慣にするには、生活が“うるさすぎる”

          逃げきれないから、諦める。

          バートランド・ラッセルは、幸福の獲得のために、努力だけでなく、諦めも必要だと言っています。 「諦めには二つの種類がある。一つは絶望に根ざしたものであり、もう一つはどのようにしてもおさえることのできない、希望に根ざしたものである。」 避けることのできない不幸に対して、すっきりと諦めることが大切だと、ラッセルは言っています。 避けることの出来ない悲しみは、これから先も、きっとある。 次の悲しみに向けて、心構えをしたい。 それをどのように扱うのか、今考えてみたい。 例えば、大

          逃げきれないから、諦める。

          加速する世界と変化しない人々

          もうすぐ空飛ぶ車が出来るらしい。 もうすぐ臓器を作れるようになるらしい。 もうすぐ民間ロケットで旅行出来るらしい。 あらゆるもののデジタル化によって、世界は加速しているらしい。 変化は急速に進む。 そんな世界では当然、僕らも変化が求められる。 急速に変わることを求められる。 いつの時代にも、どんな場所にも変化を拒絶する人がいる。 時代と環境の変化を受け入れず、現状に留まることに固執する。 もはや大企業にいることは、安定を意味していないが、その事すら気づいていない人が

          加速する世界と変化しない人々

          行動することの難しさ

          行動した人が成功する。 何百回も聞いた話だけど、行動することは難しい。 その解決策を、すぐ行動するための考え方を、シェアします! 何かチャンスが目の前に、転がってきたときを想像してみて欲しい。 ビジネスチャンスとか、かわいい子のアイコンタクトとか。 まず、感情が動く。 そして、なぜか動けないまま、チャンスは過ぎ去り、後悔する。 なぜ動けなかったのか? それは「自分の感情をしっかりと自覚しなかった」からだと、僕は思う。 まず今の感情を知らなければ、それに従うことも、逆ら

          行動することの難しさ

          坐禅の快楽

          結跏趺坐を組み、良い姿勢を保ち、深く息をすることを続けていくと、気持ちよさを感じるときがある。 本当にたまにだけど、ある。 運動後の爽快感が近い。 脳に、酸素が大量に送り込まれた感じがする。 お風呂につかったときの、ぼーっとする感じに近いかもしれない。 セックスの気持ちよさとは少し違う。 その気持ちよさは、姿勢を少し崩すだけで消えてしまう。 正しい姿勢を探すが、なかなか見つからない。 坐禅が気持ちいいもの、楽しいものということは、意外に知られていない気がします。 その

          坐禅の快楽

          坐禅と姿勢

          1日に坐禅を30分くらいしています。 「雲堂」というアプリを使って、時間を測り、坐禅をしています。 今日の坐禅で感じたこと。 「ほんの少しの姿勢の違いで、坐禅の難易度が劇的に変わること。」 40分間、坐禅をしても、つらくないときがあります。そういうときはだいたい背筋が伸び切っていない。 背筋を伸ばすことを、常に意識してやる坐禅は30分が限界でした。 本当に少しの差です。 少しだけ腰を前方に押し出すイメージ。 たったそれだけで、全く違う坐禅になります。 坐禅を誰かに直

          坐禅と姿勢

          noteにおける有益さ

          時間は貴重だ。 僕の記事を読んだ人に、「無駄な時間を過した」と思わせない為に、どんなことを記事にすべきか。 考えていきたい。 多くの人がnoteに何を求めているかというと「初めて聞いた、ためになる情報」だ。 でも、ビジネス本みたく長いのは勘弁。 ファストフードみたいに、「すぐ得られて、すぐためになる情報」を求めている。 では、ためになるとは何か。 それは、読者の言動が実際に変わる情報のことだ。 読者の書いた記事に、僕の記事の引用があったなら、それがためになった証拠だ。

          noteにおける有益さ

          ビジネスと瞑想

          「不安を売る」。 ビジネスにおいて、商品を売る前に、まず不安を売ることが大切らしい。 掃除用品のCMで、雑菌を可視化したのを見たことないでしょうか。 「見えていないだけで、あなたの周りもこんなに汚れている」と不安を売りつけている。 不安をあおるのが、1番もうかる。 なぜなら、人は欲よりも不安(または恐怖)に、より強く反応するから。 何かを得ることを望むよりも、何かを失うことを恐れる。 こんな風に、僕らは“人の性質を熟知した人”に、一人残らず動かされている。 広告もそ

          ビジネスと瞑想

          最高な1日が、永遠に続く。

          あなたにとっての最高な1日は、どんな日でしょうか? 恋人とディズニーランドで1日過ごす。 家族と過ごす日常。 何年もかけた仕事のプロジェクトが成功した日。 1人で1日中読書する休日。 僕にとっては、どれも違う。 最高な1日は、もっと繊細です。 何か1つのことのみをやっていれば、最高な気分ということはありえない。 仕事が好きな人がいる。 会話が好きな人がいる。 読書が好きな人がいる。 だからといって、それだけをやっていれば、どこかの段階で苦しくなる。 僕は、「好きなこ

          最高な1日が、永遠に続く。

          人を導けないという悲劇。

          健康について勉強する度に、世の中には人の寿命を削るような食品にあふれている事を知る。 加工肉、スナック、お酒、カップラーメンなど。 ビジネスとして大きすぎて、健康への被害の大きさが多くの人にしっかりと伝わっていない。 それぞれの人の健康よりも、会社の売上の方が大切なのだ。 それが資本主義だし、今さらどうすることも出来ない。 健康を1番に考えれば、白米も、トーストも、ピザも、ラーメンも、ケーキも、クッキーも、ソーセージも、食べられない。 多くの人にとって、それらを食べら

          人を導けないという悲劇。

          足の痛み

          坐禅を途中でやめてしまう理由は、だいたい「足の痛み」だ。(僕の場合は) 右外くるぶしが、左スネ横にめりこんで痛いのだ。(分かるかな?) 足の痛みは3分すれば無くなる。 その後30分過ぎくらいから再発する。 僕は坐禅前に、股関節と足首のストレッチをしている。 そうすることで痛みを、だいぶ遅らせることができる。(できていると思う。) 「足の痛みも、坐禅に必要」という人もいる。 「足の痛みは坐禅の本質では無い」という人もいる。 僕の意見は「痛いものは痛い!」だ。 「

          足の痛み