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『告白』 町田康 ―あかんではないか

大衆のためでもなく、世間のためでもなく、
たった一人のために書かれたような小説を、読んだことがある。

『告白』 町田康 (中公文庫)
明治時代に実際に起きた大量殺人事件―『河内十人斬り』の犯人、 城戸熊太郎を描いた長編小説である。

「たった一人のために書かれた小説」というのはもちろん主観だけど、
哀しいほど滑稽な熊太郎の生き様を描いた850ページに渡る物語は、
誰にも理解されなかった城戸熊太郎の唯一の味方だと、私は思う。

この壮絶な作品を初めて読んだのは高校生の時。
その時の心のわななきを、震えるほどの読書体験を、
10年経ったいまでも忘れることができない。

町田康が描いた罪と罰

「あかんではないか」
熊太郎の物語は、この一言から始まる。
熊太郎は全部の選択肢を間違えながら生きてしまったような男だ。
ろくでなしだが繊細で、あらゆる場面で心と自意識が綱引きをする。
アホほどうぬぼれやすく、傷つきやすい。
だけど周囲の人間は熊太郎の傷など軽んじるし、熊太郎自身も正しく悲しむことができない。
傷ついて葛藤を極めるあまり、自分は自分であるという主張さえも放棄し、ぬかるみに嵌っていく熊太郎は、村の道化のような存在になってしまう。
その生き方が、取り返しのつかない罰となって熊太郎に返ってくる。

ふざければふざけるほど広がる内面の荒涼。
どこが致命的な分かれ道だったのだろうか。
なぜ熊太郎だけが、普通に生きられなかったのだろうか。

人はなぜ、人を殺すのか

「人はなぜ人を殺すのか」―。
この小説のキャッチコピーである。
起きてほしくないことほど、現実に起きてしまう熊太郎の人生。
本当に傷ついた時、熊太郎は絶望の中で人であることすら諦めてしまう。
悲しみは人を壊す。怒りは内面から人を食い殺す。

熊太郎の複雑で繊細な内面が殻を破って形を表した時、
目の前にあったのは浅はかで自分勝手で、直視できない世界だったに違いない。
自分がピエロを演じてきた世間とは、こうも単純だったのか…と思ったのではないかな。

周囲には熊太郎が突然暴走したように映っていたけれど、
そこに至るまでに、熊太郎の中では長い長い葛藤と苦悩の物語があった。
その長い物語そのものが「人はなぜ」の問いの答えのような気がしている。


「あかんではないか」で始まる、ある殺人犯の物語。
熊太郎の最後の言葉を、ぜひ読んでほしい。

城戸熊太郎の生涯は、もしかしたらこのためにあったのか。

振り絞った言葉は、震えるほど切ない。




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