見出し画像

生い立ち(母との別れ編)

男尊女卑があたりまえの田舎で、男家系に珍しく生まれた長女の私。外面がよく事なかれ主義の父親と、派手好きで酒飲みで気性が荒いけど料理やハンドメイドが大好きな母。4歳下に弟。祖父母もいとこもいるけど、それはまたいずれのお話しで。

私が幼稚園に入るころ、両親は温泉街のそばで飲食店を経営していて、1階が店舗で2階が住居という造りで、毎日深夜まで賑やかだった。巡業に来たお相撲さんや役者、スポーツ選手なんかも来ていて、壁にサインや写真がたくさん飾ってあった。今思えばそこそこ人気があったのだと思う。
ところが、私が小学1年生の秋頃にお店を閉めて校区内の貸家に引っ越す事になった。両親はそれぞれ違う仕事をするようになり、毎日毎日夜中に言い争うようになった。当時は子供だったからあまり良く分かっていなかったけど、おそらくお店の経営がうまくいかなかったのだろう。どちらかが時には激昂したり、シクシク泣いていて、私はそれが怖かったのもあるけど「子供が知ってはいけない大人の姿」だと思って、それを知ってしまった事を気付かれたらどうしようという不安でいっぱいで、母親に寝かしつけられている最中も「今日は喧嘩するかな」とドキドキしていた。時々、母の兄たちが来て仲裁をしていたけど、私にとっては優しかった叔父さんが怖い顔で声を荒げている姿にもショックを受けていた。

そんな状態が続いたある大雪の深夜、いつものように言い争う声が静かになったと思ったら母が寝室に入ってきて、大きなバッグに服や化粧品を詰め込み始めた。そして、寝たふりをして布団を被っている私を「mogoちゃん、mogoちゃん」と揺すって起こし、私は「今お母さんに起こされました!今の今までぐっすり寝てました!」という体を装って目を開けた。枕元には赤いセーターを着た母がいて「ごめんね、お母さんmogoちゃん大好きなんだけど一緒には暮らせなくなっちゃった」と私を抱きしめて泣いた。この時に母が着ていたセーターは、いつだったかに私が「お母さんのセーターきれい、私それ大好き!」と言った時のもので、本当にもう会えないんだなあと思って私も泣いた。だけどこの時期、母は私を頻繫に叱っては小さい弟を可愛がってばかりで私は嫌われていると思い込んでいたので、私だけに別れを告げた事が嬉しいと思ってしまった。

母が玄関から出ていき、車を走らせる音が聞こえなくなった頃、父が寝室に入って来て「大変だ、お母さんが出て行っちゃったから探しに行かないと!」と焦った様子で私を弟を車に乗せた。それが何時頃なのかは分からないけど、子供が起きていていい時間帯ではない事は分かっていた。外は吹雪で、車のフロントガラスにぶつかっては溶ける雪を後部座席でぼんやり眺めながら「お母さんにはもう会えないよ」と思っていた。

※母が出て行った日が何月何日かはもう覚えていませんが、自分の中では色濃く残っている出来事です。この事は記憶を頼りに初めて書きました。私は記憶力がとてもいいとよく驚かれるのですが、書いてみて当時の情景を思い出しては若干泣きそうになりました。記憶が定かではなかったり私の思い違いもあるかもしれませんが。
温かい布団から出た頬や鼻が冷たかった事や、結露した窓、オレンジ色の分厚いカーテン。父の車の中のタバコの匂いとぼわっと暖かいカーエアコンにフロントガラスを擦るワイパーの音…。きっとこれからも忘れないと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?