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生い立ち(母との別れ、その後)

当時、私は学校を終えた後、校区内にある児童養護施設に併設された児童館で夕方まで過ごしていた。

母が出て行った次の日も、私はその事を誰にも言えずに普通に学校で過ごし、いつものように児童館に向かった。

夕方になって、母が迎えに来た。もう会えないと思っていたのにどうして?って疑問でいっぱいになった私に、いつもより優しいけど元気なく「お母さん、ちょっと先生とお話があるから待ってて」と告げて職員室に入って行った。私はボランティアのお姉さんに連れられて、お汁粉を飲みながら別の部屋で待つことになった。なんとなくだけど、良くない事を話しているんだろうなと思っていた。

どれくらいの時間が経ったのかは分からないけど、母と先生との話が終わり、母の車で帰ることになった。途中で保育園まで弟を迎えに行ったが、車の中では何も話さなかった。というより母からいつもと違う空気を感じていたので話せなかった。

その日の夕食は母のメニューの中でも好きなランキング上位のソース味の炒飯だった。いつもと様子が違う母と、それを察していた私。幼くて状況を理解するはずもない無邪気な弟。気まずい空気の中、母から今後の事について告げられた。

もうこの家には帰って来られない。父方の祖父母の家で暮らしなさい。×君(弟)は小さいから先に祖父母の家に行く事になったけど、あんたは準備が整うまで明日からは○○園(施設)で寝泊まりしなさい。準備には少し時間がかかるけど、転校する事になるから明日の朝学校で先生に「親が離婚するので準備が出来たら引っ越します。」と伝えなさい。

要約すると、こんな感じだったと思う。離婚って何?と尋ねたら「先生は大人だから言えば分かる」と。今思えばメチャクチャだなぁと呆れるけど(笑)

私は忘れないように、時間割の準備をしながら「おはよう!スパンク」のメモ帳にそれを書いて大切にランドセルにしまった。


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