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文章書いてるとイライラしてくることないですか?っていう話

外に向かって文章を書くようになってから半年たった。


たった半年と言うべきか、もう半年と言うべきか分からないけれど、とにかく半年が過ぎた。


確証はないけれど、周りの人によると私の文章はすこぶるいい感じらしい。
「読み物として面白い」と言ってもらえる機会が幸いにも何回かあって、私は素直にうれしかったし、当分続けようと思っている。単純なのだ。



ただ最近、私の文章ってどうなんだろうな…と思うことが増えた。



語気が強すぎたり、やたら強気に見えたり、中身がないような気がする。


私は読んでいる人のことは分からない。
どんな環境で生きて、どんな価値観を持っていて、どんな経緯で私の文章を読むに至り、そしてどんな風に私の文章を解釈したか、分からない。

たとえ相手から半生を聞かされたとしても、私は私の人生しか生きていないから、結局は私のフィルターを通してしか理解できない。

だから私には他人のことは分からない。

昔はそういう自分のことを、相手を慮ることもできない冷徹なやつだと思っていたが、実際自分は自分でしかないのだから仕方ないと今は思っている。



話がそれた。



私の文章はつっけんどんだ。愛想のない文章だと思う。
周りからは「淡々としている」と言われることが多いけれど。

これは「ですます調」でなく「だ・である調」の文体の影響が大きくあるのかもしれないとは思っているのだけれど、他に何か思いつくことがあれば教えてほしい。


自分のことほどよく分からないものだから。


つっけんどんだから、読んだ人が傷つかないかどうか、一応気にしている。言い回しを工夫してみたり、いろいろと私なりに配慮してはいる。



けれど、最近はどうなんだろうか。

工夫はしている、のだけど、なんとなくイライラしているような文章になることが増えた。別に怒っていないのに。

私からみてイライラしているように見えるだけなので実際どうかは分からないんだけど、文章を書いていてどうもそんな印象を受ける。


自分で書きながら、この人どうしたんだろう、と思う。




そう見える原因について候補をいくつか考えてみた。



1.「伝えたい!」という熱量が高まりすぎて脳がオーバーヒートしていて、怒っていると錯覚している

2.「もっと見てくれ!」と承認欲求が暴走している

3.思っていることをうまく書けないフラストレーションがたまっている

4.考えにタイピングが追いつかないもどかしさ



こんなところだろうか。



1ならべつにいい。以前ツイッターでこの手の話をしたときに共感も得られたので、私だけではないことを知っている。健全であり、問題もない。

3と4は技術力の問題であり、練習したり経験を重ねたら向上するかもしれない。これはのんびりと前向きにとらえられる課題だ。


問題は2かもしれない。
今のところ、文章以外で承認欲求が満たされる活動をしていない。今自分で書きながらぞっとしているのだけど、私は今の生活において文字以外の手段で人とほとんど接点を持っていない。


強いてあげるとしても恋人にご飯を作る時くらい。


まったくひとりじゃないならいいじゃないか!このリア充め!というヤジが聞こえてきそうだ。けれど、私は人と関わり合いながら自分をブラッシュアップさせていくタイプの人間なので、これはちょっとひどいかもしれない。ひどいというかまずい。


最近noteを書く頻度は落ちているし、以前ほど「エッセイスト」という認識もないし(最初からないだろうという意見もあるが)、何か別方向でアクションを起こさないとイライラ問題は収まらないかもしれないな…。




あ。



もう一つ思いついた。



5.やりたいことがあるのに我慢している



人は我慢しているとフラストレーションがたまる。当然である。
そして、私は自分のことを後回しにしやすい性質がある。

世話焼きなので、世話を焼く対象がいるとそちらばかりにかまけてしまい、つい自分のことは後回しになってしまうのだ。

ダメ人間量産機とも言うが、今は置いておこう。


自分を後回しにすると、自分の中でちょっとした我慢が積み重なっていく。ひとつひとつは取るに足らないことだけど積み重なれば火種が大きくなり、いつ大爆発してもおかしくない。



これかもしれない。そんな気がしてきた。すごくそんな気がする。


わぁー(大の字)。

これはもう、自由に好きなことするしかないなー(ごろごろ)。






これも私の性質だが、書くと悩みが解決する。

難儀なのか単純なのか分からないが、我ながら愉快な人間だ。



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