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私と神上司|パンセクシュアルと職場


「神のような上司がいる」

これは入社して数か月たってから私が口にするようになった言葉だ。
入社してから1年間、私の上司だった人物は、人物が「神」であり、「スーパーアライ」だった。
スーパーアライ(Super Ally)…スーパーマーケットではなく、超絶(SUPER)、LGBTイシューに対し高い意識と学習姿勢と当事者意識を持ち、同時にそのイシューと向き合う私という人間と真摯に向き合ってくれた、私の味方(ALLY)という意味。

私は彼女のことを「神上司」と呼び、セクシュアリティと働き方において話す機会があればまず彼女の自慢話をした。それほど私は彼女を慕っていたし、上司のように接してくれる他者と出会ったことがなかったのだ。今振り返ると、彼女は私にとって人生で最初の、そして最も心強い「ALLY」だったのだと思う(私の抱えていたALLYコンプレックスについてはいつか気が向いたら言語化する)。

彼女の何が「神」だったのか。
せっかくなので、彼女の思い出と、そんな上司もこの世に入るのだということをここに残したい。そして、しんどい気持ちを抱えている人には、こんな人間も世の中にはいるということを知ってほしいし、逆にもしマネジメントをする側の人がいるのなら、神上司のエッセンスを持ち帰ってほしい。

①受容と尊重の姿勢
上司は、LGBTについての専門的な知識は特段なかったが、それ以前に人間を受容する力が高かった。まず、どんな時でも他者の言い分を聞き、決めつけで物をいうことはなく、また他者の感情を一度は必ず受け止めた。
その姿勢の中には、部下である私への、一人の人間としての尊重があった。
上司として、人間として、とてもできている人だった。
ある時は「お客さんを思ってやったことへのクレームなら全部受け止めるから、あなたらしく仕事をして」と背中を押し、
またミスをしたときですら、「萎縮することであなたの良さを失わないで」と言ってくれた。

神だろう!!!?

(余談だが上司はクリスチャンで、上司にとっての神が示すものはひとつだけなため、上司の前で神と多用すると困惑されてしまう)

そんな人物だからこそ、私は、過度な気構えなく、LGBTに関する自身の活動の話について、また自身のセクシュアリティについての話もできるようになったのだと思う。


②自省すること・おごらないこと
いくら慕っている相手とはいえ上司は上司だ。
あれ?と思う表現があっても、目上の人間に指摘することは難しい。社内で嫌な表現を耳にし、自分のなかで息苦しさに耐えている人は日本中腐るほどいるだろう。
神上司は人間ができている人であったので、胃のあたりが痛くなるような発言はもちろんなかったのだが、ちょっとした性役割「やっぱり女の子は~」といった発言が出ることもあった。「ちょっとした」表現。人によっては「揚げ足を取るな」とか「そんな小さなことで…」と嘲笑されたり非難することもあるような分類の表現だと思う。実際、私はそういう言葉を受けたこともある。
しかし、上司を慕うからこそ「ちょっとした」表現もしてほしくなかった。そんな葛藤のなかで恐る恐る発言した私に対して、上司が笑顔で返してくれた言葉がこれだ。

「無意識で使っちゃってた、教えてくれてありがとう」
「また何か言ってたら教えてね」

私的120点の回答!!!!!

自身の発言に対し指摘した若造に対して、こういった言葉を返してもらえるとは当時の私は想像すらしていなかった。しかも関係性は上司と部下だ。日本的な年功序列、年長者を敬う価値観のなかではタブーとも言われても仕方ない行動をした部下にそれを返すことができる上司が果たしてどれほどいるだろうか?
この言葉を返してもらえたからこそ、私は「言ってよかった」と思うことができたし、その後、上司をより信頼できるようになったのだと思う。
この人の下で働くことができて、本当によかった、とこの時改めて私は思った。それだけ救われた言葉だった。


③アンテナの高さと当事者意識
上司は度々、LGBTに関わるニュースついて、自ら私に声がけをしてくれた。
テーマは「政治家の問題発言」から、「韓国のアイドルグループ(BTS)のしたスピーチの内容」までさまざまだったが、「LGBTについて関心を持っている」という姿勢を私の上司がとってくれていたことは非常にうれしいことだった。
特に私は、あまりに悲惨なニュースを目にするとその日の仕事にまで影響が出かねない人間だった(特に2018年の8月頃はつらかった)が、職場の人がその情報を知っていてくれるだけでも本当にありがたいことだった。
上司だけでなく「政治家の問題発言」については声をかけてくれる人も多く、怒りを表明してくれる人もいた。
これが本当に本当に嬉しかった。

テレビの中では見慣れた政治家の問題発言でも、発言の対象となっている人間やそれに近しい人にとっては、「またヘンなこと言ってるよ笑」で終わらせられないことはたくさんある。ポジティブなニュースも、ネガティブなニュースも、私にとっては、私や、私の大切な人たちの人生を、命を左右するテーマだ。その、私の価値観までもを尊重してもらえている気がして、本当に嬉しかった。

④行動力
私は社内で勝手にLGBT研修を数度開催している(自由な職場だ)。
初めての研修は、本当にどきどきだった。入社して、しばらくの時期が経ったこともあり、いろいろと考えた結果、自身のセクシュアリティについてもオープンにして研修を行うことを決めた。
職場という、自分がこれからも本名で生き続けなければならない環境でのカミングアウトは恐怖でしかなく、不安ばかりの研修だったことを覚えている。

一方で、やってよかったと思えることもたくさんあった。LGBTについての研修をしたその日に、上司はLGBTに関する書籍を買い、自身のパートナーさんとお子さんにも話をしたそうだ。
私はいつも、人前でLGBTについて話した後は「今日の話をどこかで誰かと共有して~」といった話をするのだが、そこまで即座に行動してくれる人間がいるとは思えていなかったし、それだけすぐに行動してくれたということが、一緒に働く立場としてうれしいことだった。

また、研修後上司はハグをしてくれた(ツイートを見て思い出した)。

「これも嫌な人にはハラスメントだよね?大丈夫?」と真剣に聞いてくれたのを覚えている。セクシュアリティやハラスメントについての話題は冗談めかして扱われることが多いなかで、聞いた話をすぐに自身の行動に落とし込める上司の理解力と行動力も、改めて上司を尊敬するきっかけとなった。


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LGBTQと職場について語られるとき、しばしば

「仕事のクオリティにセクシュアリティのことは関係ない」

「T(トランスジェンダー)へのハード面の配慮は必要だが、性的指向のマイノリティなんて趣味の話に、企業が気を使ってやる必要がない」

という発言が出ることがある。

上記の発言ははたして事実だろうか?

少なくとも私は、セクシュアリティを含め丸ごと私を尊重してくれた上司に本当に救われたし、学んだことが多くあった。

上司がいなければできなかった成長が山ほどある。
それはひとえに上司のマネジメント力、で片付けられてしまうかもしれないが、そうではない部分もあったと思っている。

残念ながら私はマイノリティ性を有している人間だ。
同時に、私以外にもマイノリティ性を有している人間はチーム内にもいる。
多様な属性を持つ個人をマネジメントする、個人と一緒には働くうえで、その人にとって重要なものが尊重される環境づくり、というのは、セクシュアリティに限らず必要なのだと思う。

それが実現できていたからこそ私は上司を慕うことができたし、また自らも私以外の他者を考え、行動することができるようになった。
思いやり、とか書くと軽い言葉になってしまうかもしれないが、個々がそういった考え方をする職場は、やはりどんな人間にも働きやすいのだと思う。
そしてそれがダイバーシティ&インクルージョンの目指す職場環境なのだと思う。

少なくとも私はそれを実現する一人の人間として今日も頑張って社内で働いていきたいし、また、次世代を担う人にも、この意識と、同じような安心感が与えられる職場がもっともっと増えていければいいなと願っている。

自分、は切り分けられない。
プライベートと仕事は地続きだ。
自分のいろんな側面を丸ごと尊重してくれる職場環境は、今後もっともっと求められてくると思う。

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