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小説 「長い旅路」 31

31.凶報の真偽

 俺は、夜が明けるなり概ね2泊分の荷物をリュックに押し込んだ。新幹線の切符など駅に着いてから当日分の自由席を買えばいいし、宿泊先にも当てはある。昔住んでいた町に行くのだから、ビジネスホテルがどこにあるかくらいは憶えている。
 恒毅さんは「高熱が出た」と偽って欠勤することにしたと言い、俺について来た。独りで行かせるのは心配だからという。

 ろくに睡眠が取れなかった俺は、新幹線の中で席に着いた後も、怒りや憎しみを抑えきれなかった。隣に座っている恒毅さんに、敵方の卑劣ぶりを語り続けた。
「あの場長は魂が腐りきっているので、平気で嘘を吐きます。賄賂や買収だって朝飯前で……」
「和真、声が大きい!」
「被害者に金を積んで、社内で起きた『殺人未遂事件』を隠蔽したんです!!」
「し、ず、か、に!」
早朝であるため あまり多くはないとはいえ、他の乗客達が、俺達のほうを訝しげにチラチラと見ながら通路を歩いていくのは感じる。そして、誰も俺達の前後には座らない。
「和真。せっかく座れたんだ。少しでも、寝たほうが良い」
(寝れるものか……!)
とはいえ、声を張り上げて良い場所ではない。黙って窓の外を眺めながら、辿るべき旅程について考えることにした。

 新幹線と在来線を幾度となく乗り換え、8時間近く掛かって目指していた片田舎の駅に着いたら、恒毅さんにタクシーを呼んでもらった。彼だけは新幹線の中で駅弁を食べていたが、俺は何も食いたくなかった。飲料と飴だけで充分だった。
 タクシーの運転手には、目指す寮から近い神社の名を告げた。そこへ向かう道中、気さくな初老の運転手は後部座席に並んだ俺達と しきりに世間話をしたがったが、俺は一切応えず、恒毅さんだけが適当に応えていた。公共交通機関が整っていない この町では、観光客と思しき人間がレンタカーではなくタクシーを利用することは非常に珍しいらしく、運転手は嬉しかったようだ。

 全く人気ひとけの無い神社の鳥居前で降ろしてもらい、そこからは歩く。
 中国の大河を思わせる、岩だらけの山に、甌穴おうけつが点在する大きな川……そこに架かる橋を、淡々と渡る。俺は何とも思わないが、その景色を初めて見る恒毅さんは深く感嘆し「帰りに写真を撮らせて!」と熱望した。
 帰りならば、好きにしてもらおう。


 道は、体が覚えていた。
 自分も住んでいた独身寮の駐車場に、見たことのある車が停まっている。俺より1年下の後輩・沖田のものだ。あいつは内気な性格で、入社当初から独りで居ることが多かったが、現場作業に関しては真面目にきちんとやる奴だった。職場内の誰とも つるまず、例の3年下の後輩によるアウティングの後、俺を執拗に侮辱した集団に加担することは無かった。だが、俺に味方することも無かった。加害者達からの報復を恐れていたのだろう。
 車があるなら、部屋に居るはずだ。俺は、躊躇ちゅうちょなく沖田の部屋のインターホンを押す。しばらくして出てきた沖田は、最後に会った時よりも、日に焼けて、逞しい体つきになっていた。いかにも真面目そうに見える質素な眼鏡は、変わっていない気がする。
「え、倉本さん……!!?」
初めは俺の顔を見てそう言ったが、俺が「自死を図り、失聴した」と知っているためか、その後は もっぱら恒毅さんだけに話しかけた。彼に「ご親戚の方ですか?」と尋ね、俺が突然訪ねてきた理由とか、どこから来たのかについて、しどろもどろに訊いていた。
 恒毅さんが何かを答える前に、俺は沖田に詰め寄った。
「真田課長が『死んだ』ってのは、ガセだろ!!」
「い、いいえ……本当です」
俺は口話で訊いているのに、沖田は明らかに恒毅さんに向かって答える。
「は!?」
「ネットに、ニュースが載りました……」
少しは聴こえていると理解したのか、俺のほうにも視線を向けるようになってきた。
「ふざけんなよ!!」
沖田に掴みかかろうとする俺を、恒毅さんが力づくで止めた。
 沖田がその場でズボンの尻ポケットからスマホを取り出し、何らかのサイトにアクセスして見せてきた。それはローカル新聞のweb版で「県内の養鶏場に勤務する40代男性が、敷地内の受水槽の中で死亡しているのを同僚が発見した」という主旨の記事が載っていた。死因は「溺死」とある。
「何なんだよ、これは!!」
この「40代男性」が、彼だというのか!
「……つまらねぇ死に方させやがって!!」
「和真!ダメ!」
俺が沖田に掴みかかりそうになるたびに、恒毅さんは止めにくる。俺はその手を振り払い、腹に力を込めて宣言した。
「俺、今から場長ぶっ殺してくる!!」
「や、め、な!!通報されるよ!!」

 沖田は俺達2人を、玄関の三和土たたきまでとはいえ、中に招き入れた。他の同僚や近隣住民に聞かれては困る話をするためだろう。
 恒毅さんが「大きめの声なら、彼にも聞こえるから」と、自分ではなく俺に話すよう諭した。沖田は素直に頷いたが、結局は両方に語りかけるように、俺達2人の顔を、交互にチラチラと見ている感じだった。
「真田さんは、去年から『副場長』になってました。……うちだと、受水槽を見るのは 場長か副場長の仕事で……」
記事にあった事件の日、沖田は出勤していたらしい。
「夕方、真田さんが独りで受水槽を見に行った後、何時間経っても戻らなくて……だから、ずっと終礼が出来なくて。場長が様子を見に行ったら…………水の中で沈んでいるのを、見つけたって……」
あまりにも疲れていて、うっかり転落したのだろうか?
 受水槽の中など、俺は見たことが無い。鶏6万羽に飲み水を与え続けられるほどの膨大な容量であることだけは分かるが、内部の構造までは知らない。服を着たまま転落したら、成人男性であっても自力で脱出するのは難しいような造りなのだろうか?……そもそも、日常的に行うはずの「確認」を、水位を示すための窓やメーターではなく、わざわざ蓋を開けて水面を見て行う必要があるのだろうか?
(まさか……『入水』したのか?)
いや……それは考えにくい。あんなに大事にしていた息子さんを遺して、死を選ぶような人ではない。部下の自死でさえ、止めた人だ。
「平社員の自分達は、終礼無しで帰らされて……係長よりも上の人達が、パトカーや救急車が来るまで残っていて…………あとは、よく知りません」
 詳細は何も知らされないまま、それでも生きた鶏の世話を止めることは出来ないため、彼らは通常通りに出勤し続けることを求められ……今日に至るという。事なかれ主義の場長は、従業員の誰が何を尋ねようとも「ご遺族の許可を得ていない」として、真田副場長の死については何も語らないという。そして、受水槽そのものに異変や欠陥があったのか、あるいは事故後に点検や修理等が行われたのかどうか、それも沖田には分からないという。(一度だけ本社から社長が来て、事故現場を視察したとは言っていた。)
 俺が居た頃から変わらない、不透明かつ隠蔽主義の組織だ。

 恒毅さんが、どこかの営業マンのような改まった様子で、沖田に何度も頭を下げた。
「ありがとうね、沖田くん。せっかくのお休みなのに……突然、申し訳ない」
「いえ。大丈夫です……」
 沖田は今回の件を受けて、いよいよ転職活動を始めたらしい。彼自身も「生命の危険」を感じ始めたという。

 俺達には宿までの足が無いことを察した沖田は「自分の車で送る」と言い出した。しかし、恒毅さんがそれを丁重に断り、俺達は来た道を徒歩で引き返した。後ろめたさからだけではなく、絶景を見たあの橋を、車で通り過ぎたくはなかったのだろう……。
 彼が黙々とスマホで写真を撮っている間、俺はリュックを背負ったまま地べたに座り込み、欄干らんかんの隙間から雄大な水の流れを見ていた。立ち上がったままでは、ふらついて川に落ちるような気がした。……水に生命を奪われた彼に、誘われてしまいそうだった。
 納得のいく写真が撮れたのか、恒毅さんが「神社に戻って、タクシーを呼ぼう」と言った時、俺は沖田が見せてきたのと同じ記事を、自分のスマホから見返していた。
 生前の彼との、大切な記憶が……溢れんばかりに思い起こされ、止まらない。自分の目鼻から滴り落ちるものを、拭う気にもならなかった。彼の笑顔と楽しげな声ばかりが蘇ってきて、その人に「もう二度と逢えない」という現実が、押し寄せてくるのだ。沖田の証言と、新聞社が公表した淡白な文字列が、彼の死は「場長が吐いた嘘」ではなく「事実」であることを示している。……認めざるを得ない。
 もっと早く、他者を頼ってでも連絡を取っていれば……間に合ったかもしれない。もはや【再起不能】であるかに思われた俺が、彼という存在に背中を押されて再就職を果たしたことを、本当に話せたかもしれない。
 出来ることなら、彼によって救われた生命で、人間らしく生きている様を……彼に見せたかった。せめて、あともう一度、逢って、この姿を見せたかった。彼が最後に見た俺は、もはや「害獣の死骸」同然の、至極 見苦しいものであったに違いないのだから……。
 だが、それはもう永遠に叶わない。何を悔やんでも……もう遅い。

 恒毅さんが、立ち上がる気力も無い俺の隣にしゃがみ、慰めるように肩を叩いてくれたが……俺は、真っ暗なスマホ画面から目を離すことさえ出来なかった。彼が いそいそと自分のリュックを降ろしてフェイスタオルを取り出し、俺の前に差し出してくれて、やっと そこでスマホを拭く気になった。

 タヌキの一匹も通らない橋の上で、しばらく2人並んで座り込み、美しいとしか言いようのない川を眺めていた。俺は、借り物のタオルを首にかけ、何ひとつ言えないまま、この清らかな水の流れで醜い自分の心を洗ってもらえはしまいかと、愚かにも願っていた。


次のエピソード
【32.喪失】
https://note.com/mokkei4486/n/n436f81ce0fa5

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