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日本建築の歴史を考える①「床」と「多多美」

これから何回か、日本建築についての記事を書いていきたいと考えています。
日本建築の特徴である畳、そして床などについて、建築や生活文化の観点から触れていくことにします。

1、日本における伝統建築の特徴

日本の伝統的建築は、「床」に直接座り、寝る生活を前提としています。これを「床座」といいます。
床座は大型の家具(ベッドや椅子など)が少なくて済むため、室内レイアウトの自由道が高いというメリットがあります。さらに時代が進むと、収納も建物と一体化し、装飾的な要素も加わって「床の間」

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に代表される日本独自のインテリアが生まれました。
開閉を自在に調整でき、取り外しもできる襖・障子、さらに京都では今でも見られますが、簾戸

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のように、季節に応じて入れ替えができる「建具」も、日本建築に独特の雰囲気を与えています。
そして、これらの多くは木や紙などの植物素材であり、全体の統一感をもたらし、軟らかい雰囲気を醸し出しています。

2、日本では「上がる」時に履物を脱ぐ

そして、日本における床座の特徴は、「建物内に上がる時、履物を脱ぐ」ことです。
古代の日本は中国文化に大きな影響を受けていますが、中国(隋や唐、明など)を見ると、屋内で必ずしも履物を脱ぐわけではなく、この点については日本独自の風習と考えてもよさそうです。

靴を脱ぐようになった理由は、気候的なもの(蒸れないようにする)、信仰に基づくもの、或いはその複合要因と様々な説があり、今後も議論が続くでしょう。
いずれにせよ、平安貴族たちは屋内で履物を脱いで暮らしていたようなので、既に古代において履物を脱ぐ習慣はあったことになります。

しかし、座る場所、寝る場所はできるだけ「土足」と距離を置きたいという発想が、畳などの敷物を「上がった」場所でさらに敷く習慣を生んだと考えています。

3、日本における「多多美」

さて、日本の床座文化になくてはならないもの、それが「畳」です。
畳の原型は、縄文時代に竪穴式住居で用いられた植物性の敷物、「薦(こも)」です。
現在も畳に使われる藺(い)など、弾力のある植物の茎を編んで作ったものですね。生まれは縄文時代ですが、近代に至るまで生活の中で使われていた、超ロングセラー商品。
薦が文書記録に見られるのは、『隋書』倭国伝

草を編みて薦と為す。雑皮を表と為し、縁為に文皮を以てす…

とあり、どうやら縁もついたお洒落な薦が用いられていたようです。これは一般の家ではなく、貴人の住まいでしょう。

そして、畳が文書に登場するのは『古事記』

阿斯波能 志祁志岐衰夜通 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弓 和賀布多理泥斯

ええっと(汗)古事記はこれだから読みづらいんですが。とりあえず読める状態に。

葦原のしけしき小屋菅畳、いや清敷きて我が二人寝し

何となく読めるようになりました。
つまり、「葦原の粗末な小屋に、華やいだ気持ちでスゲで編んだ畳を敷き、二人で寝たものだ」という感じでしょうか。
それと、実は個人的には「畳」より「多多美」の方が好きだな、なんて思ったり。

そしてここで気になるのが、わざわざ「菅」畳としていること。
特定するための言葉を足しているということは、他の畳もあるのではないか?という疑問が出てきます。

そこでもう少し調べてみると

卽於內率入而 美智皮之疊敷八重亦絁疊八重敷其上坐其上而

…(汗)

即ち内に率入れて美智の皮之疊八重に敷き、亦絁の疊八重に其の上に敷き、其の上に坐させまつりて

うーん。これはよくわかりませんね。
現代語訳では
「直ちに宮殿内に招き入れ、海驢の毛皮の畳を八重に敷き、さらにその上に絁の畳を八重に敷き、その上にお座りいただき」
という感じでしょうか。
ここで気になるのが、「美智の皮之疊」、そして「絁の疊」という表現。
「美智」というのは、海驢(アシカ)

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ですね。つまりこれ、毛皮の敷物ということになります。
そして「絁」は絹織物のこと。やはり現代の畳とは全く別物のようです。

つまり当時の畳は「畳める程度の薄手の敷物」という意味合いで使われていた、と推測することができます。

それが奈良時代に、少し様子が変わってきます。
技術の発達により、藺や菰(まこも)を薦より緻密に織った敷物、「蓆(むしろ)」の生産が増えたのです。
藺は手触りに優れ、菰は弾力性があり丈夫という特徴があったため、菰蓆を芯にして表面に藺蓆を被せ、周囲に縁をつけて厚みを持たせた敷物が生まれました。
菰蓆を1枚だけ使ったものが「薄畳」、複数枚重ねたものが「厚畳」と呼ばれたようです。

その後、中世になると薄畳は「薄縁(うすべり)」と呼ばれるようになったため、畳といえば厚畳を指すようになり、特定するための「厚」が抜けて「畳」となったと考えられます。

とはいえ、厚畳も今の畳ほど厚いものではなく、部屋の中の座る・寝る場所にピンポイントで敷くものでした。
持ち運びができ、弾力性もあったのです。マットレスくらいのイメージでちょうど良いかもしれませんね。
古代では、畳を床全面に恒常的に敷いたわけではなく、床の構造も畳を敷くことを前提に作ったわけではありませんでした。

古代の部屋を描いた絵巻物では「縁」の側面が見えています。

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そして、室町時代くらいになると、それがが消えます。

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つまり、室町時代くらいには、畳を敷くことを前提に設計していることになり、書院造などはそれをよく表しています。
この辺りも観察してみると、意外発見があるものだったりしますね。


というわけで、今回は畳の歴史などについて少し書いてみました。
次回は、今回あまり触れていなかった「床」そのものについてもう少し触れていきたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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