noteの海にボトルメールを流して遊んでいる
この世界には、
ボトルメールという面白い発明がある。
今はインターネットとSDGsの時代なので、わざわざ海に手紙を流す人は、きっともういないだろう。
いたらぜひ、その手紙を受け取ってみたい。
どんなにワクワクするだろう。
以前私は、「学校でのキャラ設定や自分らしさに悩んでいる10代のあなたへ(追伸あり)」という投稿の中で、こんなことを書いた。
書いて海に流すまでは私の仕事だけど
誰かに届けるのは流れに任せたい。
どこかの悩める10代の子に届いたかなぁ
まだ届くわけないか
何年後かには、誰かしらに届くかなぁ
と妄想するとちょっとワクワクする。
私のnoteは「感情や思考の言語化の練習」が
一番の目的ではあるものの
この投稿に限らず
割とどの投稿もこんな気分で書いている。
届いたら面白いけど、届かなくても仕方ない。
私の文章なんて所詮、海に流したボトルメールだ。
大勢の人に読まれなくて当たり前。
誰にも見つけられないまま流れ続けるかもしれないが、もしかしたら、どこの誰かも知らない人が真剣に読んでくれるかもしれない。
100年後、誰かが読んで「100年前の人間も今と考えてること大して変わんねーな!」と笑ってくれるかもしれない。
そうなったら、面白い。
(もしnoteがサービス終了したらこれまで書いた文章はどうなるんだろう?)
たまに、和歌などで「よみ人知らず」という作者名を見るが、名前も分からないどこかの誰かが考えた言葉が時代を超えて届くなんて、人間の壮大な遊びだなぁ〜と思う。
どんな人が書いたんだろう
どんな人生を生きたんだろう
未来人に評価されていると知ったらどう思うだろう
そうやって作者に想いを馳せると
すごく不思議で、少し切ない気分になる。
とはいえ、noteは本物の海とは違って
無名だろうと、初めての投稿だろうと
割とすぐ誰かに届く。笑
書き続けていれば何かしらリアクションは来るし
運が良ければ返事まで来る。
自分の頭の中で浮かんだ言葉を書いて、ただ流しているだけなのに、退屈しない楽しい遊びだ。
私は何をやっても三日坊主で飽きっぽいので、正直いつまで続くかは分からないが、飽きるまでもう少し、この広いnoteの海で遊ぼうと思う。
海に放ったはずのボトルメールを、書いた本人がいちばん見返してるのは本来変なんだけど、それくらいの矛盾は、見逃してほしい。
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