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SNSで配信しながら車生活をしていた時、彼に出会った。

いまだに親には言っていないことだけど、20代のある時期、一人で車生活をしていた。

それまであまりに仕事が忙しくて、時計の針が「2時」を差していたらそれが夜中の2時なのか昼の14時なのか判断がつかないくらい、太陽を見ずにぶっつづけで働き詰めだった。

えーい!と、投げ出したくなったのかもしれない(こまかいことは覚えてない)。家を解約し、足を伸ばして寝れるという基準だけで選んだ中古車を購入し、初夏だったので「涼しいところへ行こう!」と北海道へ向かった。ルートは『東京→新潟→船で北海道→南下』だったけれど、まったくのペーパードライバーだったので運転なんてちっともできなくて、スタートから3時間の埼玉県で事故り、廃車。すぐに同じ車種の車を買いなおして再スタートした。なぜか辞めようとは思いつかなかった。

持ち物は、ふとんとパソコンとカメラとギターのみ。
ふとんがあれば眠れるだろうと思った。パソコンがあれば発信も仕事もできるだろうと思った。カメラがあれば風景が撮れる。そしてギターがあれば、出会った旅人と仲良くなれるだろうと思った。なぜか旅人たちは音楽でセッションをすると思い込んでたから(海外にいた時はよくあった。でもここは日本だったわー)。ちなみにギターは『LET IT BE』しか弾けない。

まあ、つまり、ほとんどなんにも考えてなかった。

北海道から南へ……都道府県を順番にまわりながら、SNSで実名&リアルタイムで情報を発信し、連絡をくれた人に片っ端から会っていた(よくそんな危ないことしたな)。また、各地の同世代に「なんで働くのか?」をインタビューし、WEBに掲載していた。今思えば完全に人生を見失っていた(今もそんなに変わらないけど)。

途中、類は友を呼ぶのか、旅をしている人にはよく会った。

この日本縦断たこのすけくんは、リヤカーにたこ焼きの材料を詰め込んで、旅先で泊めてもらうかわりにたこ焼きを振る舞っていた。ちなみにいまだにたこ焼きを焼いてるらしい。おそらく焼きはじめから10年近く焼いてるはず。初志貫徹。すごい。

旅人以外にも、各地でたくさんの人に会い、いろんな人のお世話になった。SNSで連絡をくれ、一週間も実家に泊めまらせてくれたうえに毎日お弁当をつくってくれた人もいた。……そんななか、ある一人の男性に出会った。

どのSNSでどうやって出会ったどの土地の人かも忘れてしまったけれど、たしか同い年だったから、20代の青年。「会いたい」と連絡をくれ、ミスタードーナツで待ち合わせをした。やってきたのは、眼鏡をかけた細身の大人しそうな男性だった。笑わないな、という印象。窓際のカウンターに並んで、夕暮れる道路をながめながら、ボソボソとおしゃべりをした。

たしか彼が「聞いてほしいことがある」と切り出した気がする。

「誰にも言ってないんだけど」とはじめた彼は、家族の死について話してくれた。ある日とつぜん自殺してしまった、彼の大事な家族。気づいてあげられなかったこと。理由がわからないこと。自分が原因のひとつになったかもしれないこと……ものすごい勢いで、溢れるように、彼は話した。

わたしは聞くことしかできなくて、「うん、うん」と頷くことしかできなくて、ただただうつむく彼の横顔を見つめていた。「これまで誰にも話したことなかった。自分でも不思議なんだけど、たぶん知らない人だから話せるんだと思う」。しだいに強ばっていた雰囲気がほころんで、安心したような表情をになっていく。最後に「これからは誰かに話せそうな気がする」と言った声は嬉しそうだった。温かかった紅茶がふてくされたように冷えていたのが印象に残っている。

「今日、泊まりにおいでよ」と彼は言った。
いろんなことが頭をよぎったけれど、その時のわたしは「うん」とすぐに答えていた。

ロフト付のワンルームマンションで、ものすごく丁寧にもてなしてくれた。好きな音楽や、大学で勉強したことなど、たわいもないお喋りをして、お茶を飲んだ。会った時には無愛想な印象だったけれど、雰囲気が少しやわらかくなって、たまにうつむいてはにかんだみたいに笑った。「女の人がうちに来たことないよ」とも言っていた。夜はリビングにふとんを敷いてくれ、彼はロフトの上で眠った。翌朝は、彼が出かけるのに合わせて一緒に家を出た。

その時「ありがとう」と握手をした。

わたしは話を聞いて頷いていただけだし、なんなら泊めてもらったので感謝する立場なんだろうけど、彼の方がものすごく力強く「ありがとう」と言ったので、またもやつられるように頷いてしまった。それまで旅をしてはなにかをもらうばかりだったけれど、旅をすることそのもので感謝されたのは初めてだったな。

それから、2〜3度SNSでやりとりしたきり、連絡はとっていない。

今考えると彼が悪人ではなくて本当によかったし、実名で位置情報をリアルタイムで垂れ流すなんて、良い子はマネしちゃ絶対にダメな行動だったと思う。ただ、その時はなんだか、手探りの暗闇の中ですがりつかれたような気がして思わず彼についていってしまった。

夕焼けを見ながら話したミスドは、もうどこのミスドかわからない。でも窓から見えたオレンジ色の印象が強かったからだろうか、それとも夕焼けについて彼と話したからだろうか、今でもときどき夕焼けを見ると彼を思い出す。

    ↑ 車生活中に撮影した夕陽。
      たぶん青森。

 

結局、わたしの車生活は、次の家を持つまで数ヶ月続いた。

今となっては本当になんでそんなことをしていたのかわからないし、出会った人たちのこともあまり覚えていない。きちんとお礼を言っていない人もたくさんいるので、自分の礼儀知らずは今でもすごく反省している。また、唯一無二の友人が何人かでき、WEBで連載していたインタビューを見てお仕事をくれた人もいた。

そんななかで彼のことは、夢だったんじゃないかという気がするほど繊細な記憶だ。連絡先ももうわからなくなってしまったし、そもそも名前は聞いていない。どこの誰かもわからない。幸せだろうか。笑えているだろうか。きっともう、2度と会えない。

でも時々ふと、会いたくなるんだよね。
もし会えたら今度はちゃんと、わたしの方がしっかり「ありがとう」を言いたい。


    ↑ 車生活ではこんなふうに
    洗濯物を干していました、の図。


              おしまい。

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