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『あの子のこと』(56)「闘うのは慣れてる」

「で、何しに来た」
 拓人さんは、私が聞いたことのないような声でつくしさんに鋭く問うた。
「泊めてよ」
「何でだよ!」
 語気を荒げる拓人さんのそばで、私はただあっけに取られるばかりだった。
「この状況見ろよ。分かるだろ?」
「そんなの関係ねえし」
 つくしさんは目を座らせたまま、白い厚手のタイツにミニのフレアスカートをはためかせてバタンとベッドに倒れこんだ。

「勝手に俺のベッド占領すんな。帰れよ!」
「気が済んだら帰るわ」
「不法侵入で警察呼ぶぞ」
「呼べば? 闘うのは慣れてる」
 不意につくしさんの口調が冷静になった。
「何なんだよ……。他に泊まる男の家なんぞいくらだってあるだろ?」
 私は思わず息を飲んだ。
 
「現状報告をしておこうと思う」
 むくりと起き上がって、つくしさんはしっかと拓人さんを見つめた。
「他の学校を受験しなおすの? 今から出願するのは厳しいだろ。それとも海外狙いか」
 拓人さんの口調も落ち着きを取り戻しつつあった。
「まさか。何で学校の不当な処分から逃げ出す必要があるわけ? 言ったでしょ。私は闘うのは慣れてる」
「処分の撤回を求めるのか。直ぐには決着が付かないだろうしそれに」
「これだから温室育ちの坊ちゃんは……」
 ふっと鼻で拓人さんをあざ笑うと、つくしさんは冷めきった飲みかけのほうじ茶に手を伸ばした。

「売られた喧嘩は買うのが鶴間流。つくしもパパがママと私のために闘い抜いたように、この不当な処分を完全撤回させて名誉回復するまで徹底的にやり抜く」
「つくしさんのお母さん、いじめられたりしたの? 大変だったのね」
 私は思わず口をはさんだ。
「つくしとお姉ちゃんの自慢のママよ。二年前に亡くなったけど、病室にも入れなかったけどずっとママは私たちの事を大切に思ってくれて、手紙をくれてたの」
 つくしさんは少し声を詰まらせながら、スマホを差し出した。

「誰が何と言おうと、つくしの担任や校長がどんな言葉でパパとママをあざけろうと、PTAがママを無視しようと、世界にたった一人のつくしのママなの。ママを母親として扱うわけにはいかないと言い放った担任に校長をPTAを許さない。ママを侮辱ぶじょくした全てを、組織ごと血祭に挙げてやる。中学一年生の私はそう誓った」
 拓人さんは私にスマホの画面を向けた。
 絵に描いたように幸せで満ち足りた家族写真がそこにはあった。

「お父様は何と?」
「もちろんパパはいつだってつくしの、そしてママの味方だった。パパの仕事の都合で地方に転勤になって。東京でそんなひどい扱いを受けた事なんて一度も無かったけど、パパもママも覚悟は出来ていたみたい」
 つくしさんの手元にスマホを返した。つくしさんはスマホをじっと見つめながら話した。
「それで、今回も学校を相手取って裁判を起こすのか?」
 拓人さんが胡乱うろんな目線をつくしさんに送った。
「それは最終手段。まずは弁護士を立てて学校側と交渉する事になった。私が不当な扱いを受けるいわれはない」
 つくしさんは停学処分を受けて腹をくくったようだった。

「学校の処分が正しいかどうかはさておき、つくしさんが今の仕事を続けるのは危ないんじゃないかしら。心身にとても負担が掛かるし、悪質な業者だっているでしょう」
「若葉さんに話したんだ……」
 つくしさんがちらりと拓人さんを見た。
「違うの。私は随分前から知っていた。緑道脇の公園で、ワゴン車の前で瘦せこけた監督さんと会話していたのを偶然聞いてしまったの」
 その言葉に、つくしさんは酒で赤くはれた目をきっと座らせた。

「若葉さん、心配なんかしないでください。私がやりたくてやってる事なんです。私は被害者なんかじゃない! 馬鹿にしないで」
「馬鹿になんかしてないだろ! 俺だって噂を聞いてからずっと不安だったんだ。それにあんな仕打ちをされた大野の身にもなれよ。仮にも大野の事が好きだったんだろう。俺がもし大野なら」
 拓人さんが再び声を荒げた。
「たっくんはあの人じゃない」
「そりゃそうだけど、同じ男として」
「勝手に他人の気持ちを代弁して何になるの。他人ひとの名のもとに恩着せがましく自分の考えを押し付けるだけじゃない」
「ひどい仕打ちをされた母親の代わりに憤って、父親を巻き込んで裁判を起こしたんだろ。同じことだ」
「同じじゃない!」
 つくしさんはキイチゴ色のミニハンドバッグをベッドに叩きつけた。

「ママは家族よ。私の大切な家族。他人じゃない」
「友達だって大切だろうが」
「他人だもん!」
 拓人さんはいらだちもあらわに髪をかきむしった。
「なあ、何で大野にあんな事をしたんだ。大野との関係を終わりにしたいなら、直接二人きりで話せばよかっただろう。何であんなさらし者にするようなやり方をしたんだよ」
「あんなやり方だから意味があったのよ。これだから甘ちゃんは」
 つくしさんはキイチゴ色のミニハンドバッグを開けると、電子タバコを取り出した。
「人の部屋で何勝手に吸ってんだ」
 拓人さんの言葉に耳を貸さず、つくしさんはがらりとサッシ戸を開けて電子タバコをくわえた。

「被害者面が出来るじゃない。変な女に付きまとわれて仕方なく相手をしていたけど、今じゃ完全に無関係になったらしいよ大変だったねって」  
「それこそあんたがその大層にご優秀な腐れど頭でこねくり回した妄想だろ。勝手に大野の立場を妄想して代弁したのと同じじゃないか。結局あんたは一度だって、生身の大野に向き合った事なんて無かった。自分に都合のいい『大野君』でお人形ごっこをしていただけじゃねえか」
「そうかもね……」
 つくしさんは電子タバコをサッシ戸の外に向けてため息をついた。

「つくしは今度こそは普通になろうと懸命けんめいに頑張って努力した。そんな頃あの人に出会って、あの人に気に入られようとしてばかりいたの。普通の人に愛されればつくしも普通になれるって思った。でもそんなのつくしじゃないって、そんなのおかしいって気づいて元のつくしに戻っただけだよ。これがつくしだよ」
「そうかよ……。それがあんたか。良く分かった。俺はこれ以上あんたと話し合う気も、あんたに巻き込まれる気も無い。出て行けよ」
 拓人さんは乾いた笑いを漏らした。

「拓人さん、落ち着こう」
 拓人さんは、私とつくしさんの間に結界けっかいを張るかの如く腕を広げた。
「ゆいさん、心を寄せれば全部餌にされるだけだ」
「そんな……」
 私の言に耳を貸さず、拓人さんはつくしさんに向けてゆっくりと言葉を紡いだ。
「出ていけ。十秒以内にだ」
「小っちゃい男。さよなら」
 つくしさんは冷ややかに吐き捨てると、サッシ戸をぴしゃりと閉めて歩き去った。

「ごめん、帰ってくれないか……。一人でいたい」
 拓人さんはうつむいたままつぶやいた。
「拓人さんは、何も悪くないよ」
 私はぎゅっと拓人さんを抱きしめると、微動だにしない体から身を離して玄関ドアへと向かった。
 拓人さんが玄関まで見送りに来なかったのは初めての事だった。

※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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