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パブリックスペースとの距離感

中宇治BASE#Cという企画は、私が大学の卒業論文

「まちづくりとサードプレイスの在り方と可能性」

の中で、研究として行っているのもあり参考文献があります。


マイパブリックとグランドレベル

著者:田中元子   出版:株式会社晶文社   (2017年)

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私が思い描いていたものが言語化されている感じがして、個人と公共の交わり方が分かりやすいくて本の中にアンダーラインを引きまくりました。

今回、私の企画は「中宇治BASE」という場所を、いかに活用できるかという実験的な意味も持っています。

この著書の中にも記されているのですが、私たちは街を歩いていると無意識に1階を見て「賑わってるな」とか「廃れてるな」とか思っているんですね。

ということは、道を歩いている私たちにとって、道の延長線にある建物の1階部分が街の空気感、自分の感覚にとって重要だということではないでしょうか。

そして、その道から、建物の中に、どれだけ自然と入っていけるかが「居場所をつくる」「サードプレイスとして存在する」ということにおいて大事かが問われます。


先日、中宇治BASEにて小学生を対象に町歩きイベントが開催されました。

記録係として携わらせて頂きましたが、小学生の感覚は面白くて

家族とよく行く花屋さんを紹介してくれる小学3年生の男の子がいたり

自分の家の近くにも公園があるけれど、ちょっと離れた公園に行くと聞くと

「親の行きつけは自分にとっても行きつけになっているということ」

「地域の中で大きい公園が人気であるということ」

というのは面白いな〜、とか。



子育て世代を狙うと、育った子もやってくるのだから

そりゃ長いお付き合いになりますわ、なんて思っちゃったり。

広場って、まさに公園だよね〜って感じたり。

遊具多くって選択肢が多いってことだもんね

それにプラスして、ある程度広いと他の集団とスペース被ることもないもんね

って納得しちゃいました。


著書の中で記載されている、良い1階の在り方的なものの特徴として挙げられている3つを、今回の中宇治BASE#Cで生み出せないかと思っています。

⑴風景としての美しさ

⑵退屈と感じない日常空間

⑶多様な価値観、存在が許されている空気感

まず出来立てほやほやの中宇治BASE#C、ガラス張りの扉があって、段差もない、扉が開いたら、まさに道の延長線上のような設計。それをいかに空間として演出できるか。そして、4回開催するという単発イベントではなく継続的なイベントにすることによって「今日は何してんねやろ」って覗いてもらえるように。

何よりも、このイベントの軸にもある「芸術文化」が多様な価値観、存在という点で提示していけたらなあって思っております。

特に、ワークショップで。

あ〜もっと知識を入れなければ…と、卒論は書き進められていないくせに本は大量に買ってしまう私のnote、ぜひこれからも見てください。一応毎日投稿しております。

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福富梢さんによるコミュニケーションワークショップでは、他者との価値観のズレを認識して、私はこうやって考えるけど、あなたの考え方も素敵ね、みたいな感じができると良いなあとか思っております。言うてしまえば、「聞く力」と「伝える力」としか言いようがないのですが。(ね、梢。)

庄波希さんによる身体表現ワークショップでは、生活をしていく中で、言葉にできない感情、感覚を表現していこうよ!身体は嘘をつかないんだ!という何その魅力的な感じ…っていう私も受けたいんだけど…っていう自分を許せるようなものになっていくのではないかと思います。(ガチでかっこいいぞ)


講師紹介

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文化屋 店主・福富梢さん
文化のある暮らしを提案する何でも屋。生まれ故郷である岐阜市を主な活動拠点としている。美術科高校、演劇部卒。



庄波希さん

心と身体を通して実存している感覚や嘘のない身体を探求しながら、見えない何かを消化する行為としてダンスを展開している。また、 薬局での心体表現 WS や小学校でのアウトリーチ事業、モデルプロダクションで身体表現と演技授業なども取り組む。大阪芸術大学舞台芸術学科特別賞。令和元年尼崎市姉妹都市派遣事業アーティスト。HIxTO(ヒクト)。



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