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DV加害者の気づき

こんにちは。ももかたまちゅりです(@momokatamachuri)

DVとは、家庭内暴力のことです。
夫婦、親子に限らず、兄弟間でもDVは存在します。
これは、単なる喧嘩とは違います。
一方的になぶりつけるのは、喧嘩ではありません。

加害者は、相手をなぶる時、どんな気持ちなのでしょう?
みなさんは想像できますか?
想像できる人は、少ないかと思います。
いろんな感情からDVに発展するのだとは思いますが、共通してるのは『加害者意識がないこと』です。
加害者意識がある状態でDVに発展するのは、とても少ないです。
多少『良くないこと』だと思っていても、『悪いこと』だとは思っていない。
だから、被害者側がどんなに相手を更正させようとしても、なかなか気づけない。
気づけないから、DVが止まらない。

正しいことは、正義じゃない。
それがわからなければ、DVをしてる自覚はもてない。
今回は、そういう話。

毒親から受けたストレスの矛先』で書いたように、私は姉にDVをしていました。
同じ部屋だったせいもあって、ちょっとの物音でもイラついて 怒鳴りました。
頻繁に、髪を掴んで、引きずりまわしました。
そのせいで、姉の綺麗な髪は薄くなりました。
時間が経っても、許されることではないと思っています。
あれから10年以上経って、姉の綺麗な髪は元に戻ったけど、私の罪は消えていない。

当時の私は、姉以外にストレスの捌け口がありませんでした。
最近 いじめ問題で、休んだ(精神科に行った)方がいいのは、被害者ではなく 加害者側だという声があがってきました。
私は、その考え方に全面的に賛成します。

いじめは、いじめられる側に問題がある場合もある。
でも、それがいじめていい原因にはならないと思っています。
何か"嫌だ"と思うことをされたなら、何が嫌なのかハッキリ言えないことに問題がある。
どうしても言えないなら、適度に距離を取ればいいだけなはずです。
無視する必要もない。
それを、わざわざいじめに発展させるなら やっぱり、どうしたっていじめた側が悪くなる。

いじめやDV、虐待は、単なる加害者側のストレス発散です。
『間違ってることを正してあげてる』
『みんなが嫌がってるから、やっつけてあげてる』
『汚いから綺麗にしてあげてる』
などなど、自分の行動を正当化しますが、やってることは ただのストレス発散です。

問題なのは、加害者側が、意識下で本気で『間違ってることを正してるだけ』と思っているところ。
だから、難しい。
私もそのうちの一人でした。
『同じ部屋で生活してるのに、物音をたてる方が悪い』と。
『相手が寝てるのに、平気で電気をつける奴の思考がわからない』と。

今でも、自分の意見が絶対正しいと思うことはあります。
そして、それを人に押し付けてしまいそうになる。
怒ったり 手を出したりはしないけど、心のなかで『意見を押し付けないように』と何度も唱えます。

姉にDVしたことを謝ったとき、姉を二度と傷つけないと誓いました。
実際、それから1回も暴力を振るってないし 怒鳴ってもいません。
姉が不機嫌でも、そっとしておくことを身につけました。
それでも 姉に八つ当たりされると イラッとして『なんだよ』と思うことはあります。
でも、それだけです。
何か理不尽に感じたら、疑問を投げかけるようにしています。
そうすれば、思ってもみなかった回答にハッとさせられることもある。

例えば、約束をやぶられた時。
『約束を守るのは当たり前じゃないの?どうして約束をやぶるの?約束をやぶられたら、何を信じればいいかわからないよ』と、私は泣きました。
姉は『たしかに約束を守るのは当たり前だね。やぶっていいものじゃないし、それが正しい。まちゅりは、正しい。でも、まちゅりにはできても、世の中には できない人もいるんだよ』と言われました。

ハッとしました。
正しいからと言って、全員ができるわけじゃない。
例えば、体調が悪かったら?
例えば、約束を忘れてしまったら?
そういうミスじゃなくとも、世の中には『約束』を大事に思ってない人もいる。
約束を守るのは正しいことかもしれないけど、守ろうとしていても守れない人もいる。
そもそも約束を約束と認識してない人もいる。
約束の意味が違う人もいる。

そして、約束を頑なに守ろうとしたがために、自分を苦しめてしまう場合もある。
約束を守るのは正しいことかもしれない。
でも、正しいことは 必ずしも正義なわけじゃない。

それがわかってから、私は人に自分の正義を押し付けないように 意識し始めました。
そして、なるべくイライラしないように 努力もしました。
約束を頻繁にやぶる相手とは 約束しても、約束と思わない。
大事な用事である場合には 約束をやぶらない人を巻き込む。
普段約束をやぶらない人がやぶったら、どうしようもない"何か"があったと考える。

いろいろ試してわかったのは『約束をやぶられるのが嫌なんだ』と最初に伝えていても、『やぶる人はやぶる』ということ。
そういう人とは少しずつ距離をとるようにする。

こんな風に『自分の正しいと思うこと』に反することをされても、対処法はたくさんあるんですよ。
『口で言ってもわからないから、殴るんだ』なんて、バイオレンスな発想も理解できなくはない。
むしろ、すごく気持ちはわかる。
本当に、言葉が通じない人っていますからね!!(笑)
でも、仕方ないモノは仕方ないんですよね。
できないものはできないんですよ。

だって、私にもありますよ。
どうしても苦手なこと。
それを、許されてるんです。
私が何かを苦手なこと、大体まわりの人たちは許してくれてるんですよ。

私が、一番 許されたと実感したこと。
『イラついて、暴力を振るったこと』ですよ。
許しちゃいけないことが、許されたんですよ。
私は許されたのに 他人は許せないなんて、それこそ 正しいことですか?

間違いがあるのは仕方ないんだよ。人間だもの。
なんなら、間違いがあって 当然なんだよ。

私は、仏のような心はもてません。
だから、またDVするんじゃないかといつも恐れています。
子供が可愛くて好きだけど、自分の子供が欲しいとはあまり思いません。
見知らぬ子供になつかれたりしても、どこかで自分を恐れてる。

あまり良くないやり方なのを承知の上で、私は、上から目線に生きています。
約束をやぶられたら『ああ、この人はその程度の人か』と心のなかで見下します。
全然優しくないやり方。
でも、そうやって見下すことで『しかたないか』と思えるようにしている。
そのことを、私は理解している。

だからいつかは、相手を見下すのではなく『別の人』として認識できたら嬉しいな と思っています。

そのためには、ストレスをためないようにするのが最善だと思います。
ストレスがたまれば余裕がなくなる。
余裕がなくなれば、人を許せなくなる。
人を許せなくなると、孤独になる。
孤独になると、人は暴力的になるんだよ。
それが他者に向くか自身に向くかは、人それぞれだけれども。

「弱いことになんの価値があるの?」
「弱さを知っていると色々なことを許せるようになる。」
「間違っている人を許す必要はないよ。」
「人じゃない、君のことだ。自分を許すために、人は優しくなるんだよ。」

サクラダリセット

優しくなれる環境をつくる。
それが今の私に、私がしてあげられること。

サポートに興味をもっていただき、ありがとうございます。いつか 私の文書が、あなたの手元に残る形になって あなたをそっと支えられればと思います。