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壊れていたのかも、本当はずっと⑥

孤独でした。
誰にも言えませんでした。
誰が聞いたって彼と別れた方が良い、そう言われると思って怖くて1人で耐えてました。

以前、本当にフォロワーさんが少ない時に、
「私を精神疾患にした奴に、同じ目にあえ!と思うことは罪ですか?」とツイートしたことがあります。

見つけてくれた方から、
「そう思うのは当然だよ。」とリプライをもらった事を今でも覚えています。

そう思ってもいいですか?
せめてそう考えるのは許してくれますか?
あなたはどう思いますか?

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前回の事で心が壊れてしまった私は、まず初めに食事がとれなくなりました。
ストレス性の胃炎も併発し、とても苦しかったです。
その後、とにかく息が吸えなくなりました。
肩にはいつも誰かが乗っているような重みを感じるようになりました。
そして、眠れない。
寝られたとしても、酷い悪夢。
動悸と震えで明け方に飛び起きます。

仕事中も涙が止まらなくなったり、物事が覚えていられなくて、デスクがメモだらけになりました。
その文字も震え、何も頭に入ってこず、気が狂いそうでした。

会社から有給休暇をとるように勧められ、いよいよ寝たきりの生活を送るようになります。
勿論、決まった日にはお義母さんの看病の手伝いには行っていましたが。

私の両親も、当時の私は怖かったと言っています。
どんどん壊れていく私を見るのも辛かったと思います。
本当に、何も出来なくなりました。

元気だった頃は今の職場で社員にならないかと誘われた事もありました。
今回の事でそんな声はかからなくなってしまいましたが。

本当に、本当に、辛い毎日でした。
寝たきりでした。
食事をとることも、お風呂に入ることも出来ませんでした。
不安に囚われ、膝を抱え、髪が抜ける程に頭を抱えました。
心が休まる時間なんてない。
苦しさしかない。
具合が悪い、涙が止まらない。
かと思えば、涙すら出ない「無」になる時間。
あぁ、これは死ぬなと思いました。

そんな時、うちの両親が私を助けるために、私と彼のために家を借りることを提案してくれました。
そして彼との同棲生活を始めました。

同時にメンタルクリニックに通い始めました。
あんなに親身になってくれてた内科の先生ですら、私の目を見ることも無く「もううちでは無理ですね。」と言いました。
見放されてしまったと、そう感じました。

初めてメンタルクリニックに行きました。
立つのも歩くのもままならない私は母に手を引かれ、泣きながら問診票を書きました。

診断名は、「全般性不安障害」です。
他にも適応障害・PTSDからくるパニック障害・抑うつ。
先生は優しかったです。
泣きながら事情を説明する私にティッシュを差し出しながら微笑み、こう言いました。

「あなたは偉いね。心が綺麗。本当に頑張り屋さんだね。今日は、何とかしたくて来てくれたんだよね。それだけですごいよ。不安なんてコントロール出来たら、メンタルクリニックなんて無くなっちゃう。出来なくて当たり前なんだよ。繊細は悪いことじゃない。また、顔見せにいらっしゃい。一緒にゆっくり治して行こうね。」

本当に、早く勇気を出して診察を受ければ良かったと思いました。

その日に精神安定剤2種類・抗うつ剤2種類・睡眠導入剤を処方されましたが、劇的に改善されるわけではありませんでした。

彼は本当に私をよく見て、よく支えてくれました。
私と暮らすということは本当に大変だったと思います。
私は以前出来ていたことが全く出来なくなり、頭もまわらず、しょっちゅう発作を起こし泣いていました。

コンロ2つにフライパンとお鍋。
料理中に火加減がわからない。
吹きこぼれるお鍋にパニック。
本当に泣き崩れるしか出来なくて、それでも美味しいと食事を食べてくれていました。

別れる時は本当によく話し合って決めました。
好きだけでは生活はどうにもならないことを私も彼もわかっていましたから。
私はやはり病気を少しでも良くしなければなりません。
お互いが自分のことで精一杯。
私も彼に寄りかかってばかりで、本当に至らない人間でした。
繰り返し不安定になる私を、これ以上彼の前で見せるのもつらい、と思いました。

ですが、本当に幸せな日々を過ごしたと自信を持って今は言えます。
お金を出してくれた両親には申し訳なくて頭が上がりませんが、それでも、私にとって人生で本当に尊い時間を過ごしました。

楽しかった時間、幸せだった時間は、これからも私の胸の中の宝箱に一生そっとしまっておこうと思っています。
別れる間際にはケンカも多くなってしまったけれど、振り返って見れば楽しくて幸せな思い出ばかりです。

私のレパートリーの少ない料理を喜んで食べてくれてありがとう。
明け方発作で飛び起きる私の背中をさすってくれてありがとう。
仕事で疲れてるのに、一緒に薬の管理してくれてありがとう。
一緒にいた時は気づけなかったけど、たくさん愛してくれてありがとう。
ああ、書いてて涙が止まらない。

本当に私が幸せにしてあげたかった。
本当に病気になってごめんね。
支えてあげられなくてごめんね。
やっぱり私は、誰よりも君の幸せを願うよ。
どうかどうか、私なんかよりずっとずっと幸せになって。
君は誰かに馬鹿にされたりするような人じゃないよ。
嘘は絶対につかないし、まっすぐで、本当に一生懸命出来る人だよ。
もう心配するのやめるよ。
君は本当に素敵な人だから。
自信をもってこれからの人生歩いてね。
私より可愛くて、健康な子と付き合ってね。
また笑って会おうね。
別れても君は本当に大切な人だよ。
たくさん傷つけてごめんね。
別れ間際の言葉、一生心に刻んで生きてくね。
もしも来世があるのなら、その時は君と一緒になりたいよ。
本当に本当に本当に、大好きでした。

そうして私たちは15年以上の交際に終わりを告げて、それぞれの人生を今歩いています。
私の不安が強すぎて、バランスを壊してしまいました。
彼には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私に出来ることは彼のし幸せを毎日祈ること、それくらいです。

ですが、円満に別れたので、本当にたまにですが連絡をとって会うこともあります。

ちゃんと新しく仕事が決まって頑張ってると聞きました。
お互いの最後の約束「この別れで死なない」はお互いに守れそうです。

一緒にいた時間があまりにも長すぎて、加えて婚約破棄。
まだ喪失感に苦しんでいますが、お互いがお互いにもう依存せず、お互いがそれぞれ頑張っている。
素敵な事だと、今は素直に思えます。

私も私で、夢を叶えるためにこうしてnote書いています。
必ず、もっともっと元気になります。

「こんなに辛いことがあったんだよ。」とみなさんに報告したいわけではありません。
「必ずや乗り越えて前に進んで行くよ。」というメッセージをこめたnoteです。

あの人の事も、少しずつですが恨むこと、憎むことをやめていきます。

誰だって幸せになる権利はあります。
私を精神疾患にしたあの人も今では父親になり、それに関しては、とても祝福なんて出来なかったけれど、きっと優しい心に変わっていく、かも知れないなんて思えたりもします。

あの人よりも、彼も私も、これから先の人生で幸せになると信じています。
お義母さんの病気もきっと治る。
どうかどうかどうか長生きしてください。

長い人生、自分はまだ若い方だと言い聞かせ、これからの人生を豊かにするために、私は今日もほんの少しの努力とできる限りの笑顔で生きていきます。

これが私なりの、精神疾患を引き起こした原因・苦しみ・闘い・悲しさ・後悔に対する、決着の付け方です。
必ず乗り越えて、1日1日を大切に生きていきます。


今回は感情のままに書きなぐってしまいました。
ですが、ありのままの私をここに記しておきたかったので敢えてリライトしません。
読んで下さって本当にありがとうございます。

あとほんの少しだけ、私のお話に付き合って下さい。
どうぞよろしくお願い致します。