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【最終章:適応障害を経験した私からのメッセージ】適応障害になってから退職するまでどんな感じだった?

序章から読んでいただいているみなさん、ありがとうございます。
この記事からご覧になっているみなさん、もし気になる部分ございましたら
ぜひ前の記事も併せて読んでくださると嬉しいです!



ついにこのシリーズ、最終章となりました。
前回の記事までで退職までの流れは大体書いているのですが、
適応障害になってからの日々を総合して、どんなことを感じたか、
療養中どんなことを意識していたか、そしてこのnoteという場所で感じた適応障害に関することなど、最後に書いてみようかと思います。
基本的にnoteで記事を書くときは”ですます調”で書いていませんが、今回は本文もみなさんに向けたメッセージ感が強いので、あえてですます調で書かせていただきますね。
少しでも寄り添えるような記事になっていたらいいなと思います。

以前の記事と重複するところもあるかもしれませんが、ご興味あれば覗いていってください。


最終章:適応障害を経験した私からのメッセージ

1.メンタルヘルスの不調は恥ずかしいことでも悪いことでもないよ

メンタルヘルスの不調って、少し恥ずかしいと思っている方いませんか?
あまり人に言えないなとか、病院に行くのってなんか…と思っている方いませんか?

ひと昔前は「メンタルの不調なんて心の弱い奴がなるもんだ!」とか
「情けない!甘やかすからそうなるんだ!」と言われていた時代があったかと思います。
もしかしたらいまだにそのような考えで、メンタルヘルスの不調に対して「根性論」を唱える方もいるかもしれません。
近年になってそれが少し緩和され、以前よりも身近なものになったように感じます。
芸能人やアイドルたちも公表し休養するなど最近よく耳にしますよね。
影響力のある人たちのそういった公表は私たちの励みにもなっているのではないでしょうか。

ただ一方で、自分自身のメンタルヘルスの不調を認めるのはちょっと…という人も少なくないと感じています。
私の友人にも「なんかやばい気はするんだけど、会社の人たちにメンタル病んで会社辞めたって思われたくないから病院は行きたくないんだよね」といっている子がいました。
個人の自由です。ただそういった周囲からの目が個人を縛り、選択肢を狭めたり、苦痛な時間を一人で耐え忍ばなければいけない人たちも社会にはたくさんいるだろうなと感じました。

さて冒頭の質問に戻ります。
私も正直、自分がメンタルの不調を感じて病院に行くまでは「私は病院に行くほどの状態なのかな」「病院にいっているのを知られたらなんて思われるだろう」と思っている部分がありました。
心療内科への抵抗感というよりも、自分の症状を軽くみすぎていました。
真面目な人ほど、そしてメンタルの不調を感じやすい人ほどもしかすると自分の症状を軽くみて、「私なんかはまだ病院に行く程度じゃない」とか「この程度で病院に来るなと思われるのでは?」と不安に思ってしまうかもしれませんね。

ではそんなみなさんは、風邪をひいたり熱を出したら病院にいったり薬を飲んだりしませんか?たまに病院にも行かず薬も飲まない人がいますが、そんな人でもさすがに少し休みませんか?
では骨折をしたり、皮膚に異常があったりしたら病院に行きませんか?
体の異常事態には「病院へ行く」ということの抵抗感は低いですよね。
きっと体の異常は目に見えて状態がわかるから自分でも判断しやすいですよね。
鼻水が出てくるとか熱があるとか、喉が痛いとか骨が痛いとか、皮膚が炎症しているとか。
これはいつも違うとわかるから病院へ行って治療をする
それが私たちにとっては普通になっていますよね。

心も一緒だと思うんです。
心は内側にあってぱっと見では状態は分かりません。
でもその代わり、いろんな方法で状態を教えてくれます。

突然涙が出てきたり、食欲がなくなったり、夜うまく眠れなくなったり、学校や仕事へ行く時に毎回お腹が痛くなったり吐き気がしたり。
いつもと異なる体の反応があったら、その反応を無視しないであげてください。
そんな反応が出ているときは心の異常事態です。
心が風邪をひいているのかもしれないし、心の一部が折れてしまったのかもしれない。心に炎症があるのかもしれないし、心が咳をしているのかもしれない。
それなら病院に行って診てもらって薬を持ったり、消毒をしてもらったり、何かケアをしてあげなければいけないと思えてきませんか?

もし病院に行くことに抵抗があったり、メンタルの不調を感じて自己嫌悪に陥っている人がいたら、こう思ってみてください。
「あ、いま私の心風邪引いてるっぽい」もしくは
「あ、なんか心が乾燥してる!荒れちゃってるじゃん!」

どんな人だって、ストレスはかかるし、タイミングや環境によって自分だけではどうにもできないときだってあるんです。
どうか自分を責めないであげてくださいね。

2.自己嫌悪に陥ってもいい、その後にポジティブな言葉をかけてあげて

私のnoteを読んでくださっている方々や、この記事にたどり着いた方の多くは、適応障害になった自分(そのほかメンタルヘルスの不調になった自分)を責めてしまう方じゃないかと思うんです。
なんで?って思いました?
やさしいからです。
責任感があるからです。
自分のことより他人を優先してしまうからです。
いつも周りを見て気を遣って誰かのために動いているからです。

そんな人だからこそ「休んだら周りに迷惑がかかってしまう…」「あの仕事どうなっているかな、早く治さなきゃ…」「みんな大変なのに私だけ休むなんて」「私が弱いから、忍耐強くないからこうなるんだ」
そんなふうに思ってしまっているんじゃないでしょうか。

でも自分で自分のこと優しいとか責任感あるとか言うの恥ずかしいとか、そもそもそうかな?と疑問にさえ感じてしまう人もいるかもしれません。
周りから「優しいよね」とよく言われたり、「なんで周りの人はこうやって物事を中途半端にして平気なの?」と感じることが多かったり、自分もいっぱいいっぱいでも困っている人がいたら助けようとしたり、頼まれたら断れなかったり、すぐに自分を責めてしまう癖のある方。
そんな人ほど謙遜し、自分を過小評価してしまうように思います。

誰かが適応障害でおやすみしたりしたら、大丈夫かなと心配して、そういえばあの時から少し様子が変わったかも?と思ってみたり、私にもっと何かできたのではないかなと思ってみたり、その人の仕事で私にできることは率先してやろうとか、私の言葉が少しでも励みになればいいなと相手にメッセージを送ってみたり。

人にはできるんですよね。
でもそれがいざ自分のこととなるとなかなかできない。

自分を責めることはできても、自分で自分を大切にしてあげるって難しいと思っていませんか。
「どうしてこうなっちゃったんだろう」「あの時もっとこうしていればよかったのかな」「もっと頑張れるはずなのに」
そう思うことは悪いことではありません。
そう思うことで今までの自分の行動を振り返ったり、何が私自身をここまで追い込んでしまったのか、どういう時にどういうケアを自分にしてあげていたらよかったかを考えるきっかけになると思います。
ただその後が重要です。
自己嫌悪で終わるのではなく、必ずポジティブな言葉を自分にかけてあげるんです。

「そっか、私すごく頑張ってたんだね。まずここまでよく頑張ったよ。」「今まで人の分まで頑張って来たんだから、少し休むくらい当たり前だよね。」「こうして体を壊すまで頑張っちゃうなんてそれだけ一生懸命に取り組んでいたんだね、偉いじゃん私」「大丈夫、人生全体の時間で考えたらこの時間はほんの一瞬。」「ちょっと自分のこと放っておきすぎたからたくさん愛でてあげるね」

そんなふうに少し明るい言葉を自分にかけます。
声に出さなくてもいいので、心の中で唱えてもいいです。
自分で自分をぎゅーっとハグしてあげてもいいです。
騙されたと思ってやってみてください。

自分で自分の今の状態を認めてあげるだけで、なぜか少し心が軽くなるんです。
そして今の状態を認めるということが前に進む第一歩になると思っています。
なかなか認めたくなかったりしますよね。
まだ頑張れると思ってみたり、病気というほどでもないしと思ってみたり。
でもね、そう思っているうちは苦しいままなんです。
私過去に2回ほどこの状況経験してるので、もうわかったんです。
自分で自分のことや状況を認められないうちはずっとこれを繰り返すって。
逆に認めるとなぜか今まで喉に突っかかっていた魚の骨のようなものが取れて、少し穏やかになれることも。

すぐには本気でポジティブな言葉を自分にかけるのは無理だと思ってもいいので
一旦自分に優しい言葉をかけてみてください。
あなたが困っている人に話しかけるように。
誰かが弱っている時に励ますように。
一生懸命頑張った人のエネルギーが切れてしまっているのをみた時に声がけするように。
それをそのまま自分にいうんです。

大丈夫。あなたはもう十分頑張ってる。だから休んでも誰も怒ったりしない。
あなたにも休憩が必要。まずはあたたかい湯船に浸かって、美味しいものを食べて、アラームをかけないで寝よう。
明日のことは明日考えよう。大丈夫。

3.休むことがあなたの今のやるべきこと

「休む」ことに強い抵抗を感じる人もいますよね。
ダラダラする時間を作るとなんだか悪い気がする、勿体無い気がする。
ずっと動き続けることに抵抗のない方や、その方が性に合っているという人はそれでもいいんです。
ただ、本当は疲れているのに責任感や使命感に駆られて休むことができなかったり、有給を取ることがすごく申し訳なく思ったり、休みなのになんだかんだ仕事を頼まれたらやっちゃったり。
いませんかそんな方。

これって日本人の特徴なんでしょうか。
休むとかサボるとか、すごく悪いようなそんな風潮さえ感じる。
適応障害で休職している時、お昼時に外に出るとランチタイムのサラリーマンたち、夕方外に出ると帰路につくサラリーマンたちがいて、なんだか罪悪感を感じていました。
「皆さん頑張っているのに、私だけ休んでいてすみません」
そう思っている時期がありました。
だから休み始めてすぐは、休んでいるなりにやらなければいけないことをやらなきゃ!と意気込んでいて、転職サイトを見たりして、周りの人が働いている時間に何かしらやっていなければと思っていました。

でも、当時の私のやるべきことって「休む」なんです。
極端に言うと「休む」ことが仕事です。

ただそれまで一生懸命働いていた人が急に時間を与えられて、休むとなると最初の数日はおそらくやりたかったことをやって、睡眠不足を解消して有意義に過ごせるけれど、人によっては三日くらい経つと「何をしたらいいんだろう」となるかもしれません
案外時間がありすぎるとことは、逆に生活を難しくしてしまうんですよね。
さらにこれはコロナ禍で感じた方も多いかもしれませんが、時間があると余計な考え事が増えます。
余計なといっても普段日常の忙しさで考えることをしていなかった問題、後回しにしていたことに直面するんです。
後回しにしていた問題って、複雑だったり考えるのにエネルギーをたくさん要するから後回しになっていたりしませんか。
だから、休み初めて少し経つと休んでいるのに疲れるという謎現象が起きるんです。
体は休めていても、脳が休めていない証拠です。
脳が休めていないと心も休めないんですよね。

私もその現象に陥ったんです。
その時病院の先生からは「好きなことだけしてください。外に出たくない日は無理に出なくたっていい。好きなものを食べて、好きな場所に行って、好きなことをしてください。」
好きなことをしている時間は脳も心も穏やかで幸せです。
それが風邪をひいた心をケアしてくれるお薬になります。
病院で処方してくれるお薬のほかに、自分で処方できるあなただけの薬があるはずです。
その薬で心をケアするための時間が「休み」です。

休んでいい。大丈夫。いいんだよ。

4.前に進み続けなくていい、足踏みも時には必要

生きていると前に進まなければならない、止まってはいけない、周りと歩幅を併せなきゃと自然と思うように、この社会はわたしたちを生き急がせている気がします。
歩みが止まってしまった時、周りとの歩くスピードが変わって遅れをとってしまった時、進んでもいないしかといって後退したわけでもない微妙な時間を過ごしている時。
そんな時恥ずかしくなったり、情けなくなったり。
私もあります、そんな経験。

でもね、車も一緒です。
ガソリンがなくなったら走れない。
人間にもみんなそれぞれエネルギーがある。
それがなくなったら走れないんです。

歩みがこれまでと少し変わったら、心のガソリンが少なくなっていないか確認する時なんです。
そしてすぐにガソリンが補充されることもあれば、かなり時間がかかることもあるんです。
でも大丈夫、あなたの歩みは止まっていないから。
命が尽きるまで歩みは止まらないと私は思います。
おやすみしている間はその場で足踏みの状態です。
足踏みしたり、ちょっとストレッチしながらガソリンを補給して
次に進む方向を確認している状態。

「どっちに行こうかな?こっちだとなんとなくガソリンの減りが早そうだな…でもこっちはこっちで最初の段差が結構あって乗り越えられるか?」
そんなふうに道の状態を確認しているんだと思います。

私はここ数年で、なんとなくわかってきたことがあります。
「今こっちに進んじゃダメだな、今進むべき時だ、今休むときだ、今動き出せる時だ」
この感覚がわかるようになってきました。
進むとよくない方向へ行こうとしている時は心が反抗してくるんです。
とってもモヤモヤして、なんだかついてきてくれていない感覚。
でも進むべき方向に気持ちがちゃんと向いている時って、スイスイ気持ちが前向きになって、物事が前進していっている感覚になります。
これは正直直感的なものです。
だから言葉で説明しても、なかなか掴めない感覚かもしれません。

でもあなたのその足踏みは、間違いなく次への大きな一歩の準備をしています。
だから大丈夫。走り続けて疲れ切った足を少し休ませてあげてください。

焦らなくても大丈夫。焦ると大抵いいことないですからね。
必ずタイミングが来ます。
スピリチュアルでもなんでもなく、本当になぜかタイミングってくるんです。
自分の気持ちと周りの状況、それが変化してマッチするタイミングが。

5.本当の気持ちを言葉にしてみて

私は日記を書く習慣はありません。
続いた試しがないんです。笑
でもnoteは続いています。
毎日書くわけではなく、気持ちを言語化したい時、自分の心の中を整理したい時、自分の経験が誰かのためになったらいいなと思って記録したい時。
書きたい!と思ったときに書いています。

そんな時は言葉が溢れてくるんです。
療養中、noteには書けないことは自分のジャーナルに書いていました。
あまりネガティブなことはnoteに書きたくなかったので、ネガティブな感情を言語化したい時はマイジャーナルに綴っています。
文章構成とか気にしません。
胸の内をそのまま書き出します。
書いているうちに前もこんなふうに思ったことあったような…となってきたり、きっとこれが原因だなぁとなってくるんです。
言語化しないと、難しい数式を頭の中だけで解いている感覚になってしまうんですよね。
途中式とかを書かないと解けないじゃないですか。
気持ちも同じで、まず問題を書いて背景を書いて今の状態を書く。
そうしてこのモヤモヤの感情の発端がわかるという仕組みです。

ネガティブな気持ちの日こそ、言語化は大切だなと感じています。
もちろんnoteでこうして言語化するのも私にはとっても大事で、私はこの療養期間、noteというアプリにも読者の皆さんにもたくさん助けられたと思っています。
誰かが共感してくれる、みてくれる人がいる、肯定してくれる人がいる、似たような状況の人がこの世のどこかにはいる。
自分一人じゃないんだと、何度も心強くなりました。
もし今適応障害療養中の方や何か他のメンタルヘルスの不調で悩んでいる方、ぜひこのままnoteを活用してみてください。
あなたにとっての何かのヒントやきっかけと出会える場所になると思います。

6.最後に

ここまで読んでくださったそこのあなた、本当にありがとうございます。
よくぞここまできてくださった…
ライターでもなんでもない私の書く文章は拙く、読みづらい部分も多々あると思います。
それにもかかわらず読んでくださって、さらにはコメントをくださる方もいて、いつも励まされています。

きっとこの記事に辿り着いた方の中には、助けを求めている方もいるかもしれません。
苦しくて、分からなくて、情けなくなって、誰かに聞きたいけど聞きづらいし、周りに似たような人がいない。
そうやってここに辿り着いた人がいるかもしれない。
私のこの記事があなたの今のモヤモヤを解消するお手伝いができていれば嬉しいです。
そしてこの記事を読んでくださった方、過去に似たような経験のある方、ぜひコメントを寄せてくださいませんか。
私のためではありません。
助けを求めてこの記事に辿り着いた、孤独でどうしていいか分からなくなっているときにこの記事に出会った読者の方のためです。
コメントでよければ体験談やメッセージを残して欲しいんです。
noteを見ていると私と同じような体験をした方、同じような感性を持っている方、似たような方法でセルフケアをしている方をよく見かけるんです。
ぜひあなたの言葉もここに残して欲しいんです。
私が皆さんの言葉に救われたように、その輪を広げて行きたいんです。
どうかよろしくお願いします。

大丈夫、あなた一人じゃない。
今は苦しい時期だろうし、悲しくなって情けなくなって泣きたくなる夜もあると思う。
その感情はあなたが自分としっかり向き合い始めている証だと思います。
今まで自分のこと以上に他人のためにエネルギーを使ってきたり、誰かの期待に応えようと必死にやってきたあなたが、SOSを出した自分と向き合っている証拠です。
それを経験したあなたは以前のあなたより何倍も強くてやさしい。
もっと愛に溢れた人になる。
あなたの人生は誰にも邪魔されてはいけない。
進むときも立ち止まるときも。
あなたが進む道はあなたが作っていいんです。
大丈夫。
こうして自分と向き合うことができるあなたには、必ずまた前に歩き始めるタイミングが来るから。
自分の心と対話を大切に。

もしまた苦しくなったらここへ帰っておいで。






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