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ダイアナと鷗外の妻: 愛を求めた女たち

結婚当初より夫に女がいたダイアナと志け



少し前にNHKでダイアナ元妃のドキュメンタリーをやっていて、森鷗外の妻・志けとのいくつかの共通点について気づいた。

ダイアナ元妃は1981年20歳の時に、当時皇太子だった現国王のチャールズと結婚し、二児を設けるも96年に離婚。翌年、パリで新恋人とされる人物といたところをパパラッチに追跡され、激しいカーチェイスの末交通事故死した。

ダイアナとチャールズの離婚の原因の一つに、現王妃であるカミラとチャールズの愛人関係が知られているが、ダイアナ自身も多数の男性との恋愛遍歴があったことを自伝で告白している。番組の中で私が一番衝撃だったのは、結婚の時、すでにダイアナにはカミラの存在が伝えられていたことだ。


なぜダイアナの周りの人はこの結婚をとめなかったのだろう。なぜチャールズの関係者はカミラとの関係を精算させなかったのだろう。


この話を聞いて思い出すのが、森鷗外の二番目の妻、志けの最初の結婚である。
明治の美女として誉の高かった志けの最初の結婚相手は、裕福な家の子息だったが大変な遊び人だった。婚約中に囲っている女がいると新聞沙汰になるも、精算済みだと説明をうけ、そのまま婚姻が進められたが実は切れていなかった。男は婚姻の席で、そのことを悪びれもせずに志けに伝える。鷗外と再婚するのが21の時だから、この時はダイアナが結婚した頃と同い年か、もっと若っかたのかもしれない。

しかし志けの場合は、生家の両親が早々とこの話をききつけ、判事で大変正義感の強かった彼女の父親が、激しく怒って娘を引き取り、ほどなく離婚が成立する。

この時の様子は志け自身による小説「あだ花」に記されている(原稿は鷗外の添削で真っ赤だったという)。相手の容姿が気に入っていたものの、強い恋愛感情もなく、まだ結婚生活についてもピンときていなかった若い主人公が、家によりつかなくなった夫の帰りよりも、近いうち遊びにくると言った妹の訪問を心待ちにしているところで物語が終わるのが印象的だった。


家庭での役割にうまくなじめなかった二人

話はダイアナに戻るが、NHKの番組を見終わってから、ダイアナとチャールズの結婚生活について調べてみると、二人の生活上のすれ違いがわかってきた。
ウィキペディアによると、子供の頃から帝王教育を受けたチャールズは公務中心のプライベートのない暮らしに慣れていたが、ダイアナは愛情中心の一般的な新婚生活を望んでいた。ダイアナより13歳年上のチャールズは、初めのうちは時間をつくる努力をして譲歩したが、思い通りにならないと泣き喚き、時には自殺未遂までする彼女の子供じみた手口に閉口するようになった。そして次第に領地での田舎暮らしや傾倒し、大人の理解力のあるカミラとの交際が継続したとされている。

ここでもまた、19歳年上の鷗外と再婚した志けとの共通点を見出せる。
鷗外と志けの長女で作家の森茉莉によると、「舞姫」の愛読者だった志けは、見合いの日に鷗外に一目惚れし、生涯恋し続けたとされる。
しかし短い二人きりの新婚生活をへて、志けをまっていたのは、鷗外の両親や弟たちとの大家族同居であった。

鷗外の家系は代々藩医で、質素な暮らしをしていた。鷗外が子供の頃に明治維新がおこり、幼いころから優秀だった長男の林太郎(鷗外)に一家の命運を託して、島根の津和野から上京してきた。一家の団結力は強く、お嬢様育ちで我の強い志けは、夫の家族、特に同じく強い個性で家庭の采配をふるっていた義母と折り合いが悪かった。娘の茉莉は、母は父を独り占めしようして、みなと仲良くしたい父を困らせた。あの時代に自分が折れて年長者(祖母)をたてることができなかった母は家の中で悪者になったと、回想している。


こうしてみるとダイアナも志けも類まれな美しさを持ち、ステータスのある人物を射止めるも、中身は子供のまま。自身の愛ばかりを求めた故に、集団(家族や王室)の中での役割を見誤ったともいえる。それとも20歳そこらの、まだまだ愛されたい、甘やかされたい年齢に、それを求めるのは酷なのだろうか。

自身を相対化して輝くキャサリン妃


一方で、自身の役割をきちんと理解しうまく立ち振る舞うことでより輝きをます人というのもいる。現皇太子のウィリアム皇子の妻である、キャサリン妃もそんな一人ではなかろうか。

ちょうど何日か前に、夫妻でのツーショット写真をみたが、全身赤いファションに身を包んだキャサリン妃の笑顔は自信と自負に満ちていた。国母を思わせる風格すらあり、生まれながらのプリンスである夫を凌駕していた。その充実した表情はジャクリーン・ケネディを思わせた。

イギリス王室については記事がでても見出しを読む程度で詳しくないのだが、キャサリン妃は人間的にとてもできた人なのだろうなと思う。その場にふさわしい振る舞いができる一方、自ら望んで今の位置にいる人なのだな、という気もする。
そう思うのは、以前、二人の馴れ初めをドラマで再現した番組をみたからだ。

ドラマでは、キャサリンは幼い頃からテレビで目にしていたプリンス(ウィリアム)に憧れており、プリンセス願望があった。ここまではどこの子供にもよくある話だが、彼女の運の強いところは、大学の同じ寮にウィリアムが入ってきたことだ。みなが彼をプリンスとして扱うなか、一人の人間として接するキャサリンに王子は次第に打ち解けていく。

やがてパパラッチが二人の関係をかぎつけ、民間人であったキャサリンが衆目に晒されるようになる。
その時にとった行動というのが驚きだった。
両親にお金を借りて高級な服を買い込み、ハイブランドに身を包んでマスコミの前に姿を表すようになったのだ。皇太子に釣り合うような着こなし、身のこなしを身につけ、周囲を納得させるためだったという。

一般人の時代から、愛する人の立場、それにふさわしい人間にはどうすればいいかを考えて行動していたということだ。

よくキャサリン妃と比較して、メーガン妃が批判されているが、彼女は自助努力の国・アメリカで女優としてキャリアを積んだ人で、キャサリンの持つ個性とはまた異なる。彼女を選んだことは、一人の女性として輝きたいと願い続けたダイアナを母に持つ、ハリーらしい選択ともいえる。


ダイアナと志けを見ていると、美しく生まれついてもそれを持て余してしまう場合もあるのだなと思うが、それはそれで人間らしくて親しみを覚える。

社会に出て年月が経ってくると、個性はもちろん大事だが、それを他者との関係性においてどう活かすか、客観的な視点を持つことの大切さを強く感じるようになる。二人の人生をみながら、自分はきちんと相対化できているかな。そんなことを改めて考えさせられた。


写真は以前訪れたバラ園で撮影したものを使用しました。
鷗外の妻・志けに関するマガジンと記事はこちら。


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