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鷗外とその家族④ 激情の妻・志けとの二十年

1. 若き日の短い結婚生活と、四十代での再婚

鷗外は生涯で二度の結婚を経験した。
一年たらずで終わった二十代の結婚の後、母の奔走の甲斐あって四十一歳で、二十近く年下の女性と再婚する。


一度目の相手は、幕末に榎本武揚らと共にオランダへ留学し、日本造船の父と呼ばれた海軍中将・赤松則良の長女、登志子だった。代々津和野の御典医の家系で、父親は千住で町医者を開業していた鷗外の一家からすれば、格差婚である。それほど鷗外は一代で出世し、周囲からも将来を嘱望されていた。しかし育った環境の違いは生活上の齟齬となって現れ、すれ違いを生む。鴎外はストレスから弱り果て、生まれたばかりの長男をおいて家を飛び出してしまう。結局そのまま離婚が成立した。


鷗外の母・峰は結婚する気のない息子(ドイツから帰国したばかりの鷗外は、『舞姫』のモデルになったエリスを思っていたという説がある。『舞姫』は登志子との新婚生活中に発表された)の縁談を無理にすすめたことを反省しつつも、二人の不仲には妻の容姿に一因があると考えた。登志子は教養のある慎み深い女性であったが器量がすぐれず、本人もそれを気にして、嫉妬深い性格となってあらわれた。峰は次の結婚相手には、きれいで気立てのいい人を望むようになった。


鷗外のもっぱらの関心は学問であったから、結婚のことはのらりくらりとかわして十数年経ったが、母親は諦めきれず最愛の息子のためにあちこち手を尽くした。ある時、美人の誉が高かった大審院判事・荒木氏の娘の噂をききつけ、見合いをすすめる。これが二人目の妻、志けである。彼女もまた一度目の結婚生活をほんの短い期間で終えていた。
見合いの日、志けは愛読していた『舞姫』の太田豊太郎のような相手を見て、一目で恋に落ちる。鷗外もまんざらでもなく、のちに「この年で美術品のような妻をもらいました」とのろけともおどけともとれる手紙を親友に宛てている。


2. 妻と母親の間で…

さて、「結婚はゴールではない」とはよく言ったもので、当人たちも周囲も満足して一緒になったはずなのに、ここからが誰にとっても面白くない日々のはじまりだった。


結婚後、志けを待っていたのは、夫の母と祖母、年下の弟妹たち、さらには前妻の子である於菟との大家族での生活だった。夫は最初、いずれは家を出て自分達だけで暮らそうと話していたが、一向にその気配はない。もともと森家は鷗外の母である豪傑・峰が切り盛りしている家だから、夫は母に頭が上がらない。義母の方も新しくきた嫁に覇権を譲り渡す気などさらさらなく、志けは財布を渡してもらえない。


判事の娘ということもあり一本気な気質で、相手に譲るということを知らない若妻は、次第に義母と衝突すようになる。両親に対し忠孝を実践する鷗外は、当然その板挟みにあう。さらに新しい母がくると喜んでいた長男・於菟(おと)のことを嫁があまりかわいいがらないものだから、祖母(峰)の孫への偏愛はますます強まり、そこに新たな分断が生じる。一家の主である鷗外は全方位に気をくばり、家族の融和を試みるも全て徒労に終わる。はっきりいって、家庭は全然心休まる場所ではない。


志けの正直すぎる性格は美点より、難点となって多く現れ、周囲との軋轢を生んだ。鷗外の柔和な人柄と知性を慕い、大切に思っていた生家の人たちは、自分たちの家長が大変な苦労を強いられていると憂慮した。しかしその一家の長が、長らしいきっぱりとした態度を示さず、いつまでも煮え切らないからしょわなくていい荷物を延々か抱えるはめになった、という見方もできる。


3. 家庭内における鷗外の優柔不断な一面

鷗外という人は、学問に対する崇高な理想のためにはどこまでも真摯であったが、実生活の煩いごとには正面から向き合わず、敢えて触れないきらいがあった。長男の於菟は、父にとっては取り組むべき学問という大きな山に対し、家庭内の面倒や女の相手は小事であった、と位置付けている。面倒なことをスルーするだけでなく、都合の悪いことはちょくちょく論のすり替えを行って、切り抜けていたところがある。

例えば家族を悩ました志けのヒステリー発症の原因を、次女の杏奴(あんぬ)は、家を出るといった約束を父が守らなかったためだと、断言している。一方長女茉莉によると、当の鷗外は、妻の最初の結婚相手がひどい遊び人だったため、若く初心(うぶ)だった志けが精神的にひどいショックをうけたからだと分析している。ひどい乖離である。


また、志けの度重なるヒステリーの矛先を逸らすために、そのエネルギーを創作に昇華せよと、小説の執筆を進めた。夫婦間の問題がいつの間にか芸術の話にすり替えられている。志けの自己表現はあまりにも幼稚であるが、愛する男に真正面から向き合ってもらえないというのは辛かったに違いない。ただ、鷗外は妻の気質を「恐ろしくもあり、気の毒でもある」と娘婿への手紙に書いており、理性の及ばない激しい気質を相手にする苦労は想像に難くない。


ところで、この鷗外がなしえなかった複数世帯の同居解消をスパっとやってのけた人物がいる。長男・於菟の妻、冨貴(ふき)である。鷗外の死後、志けとその子ども達、於菟とその一家は同じ敷地内に暮らしたが、志けと冨貴の折り合いが悪く、妻の発案で於菟は家を出る決断をする。


4. 子には甘かった鷗外

話を戻して、偉大な文学者・鷗外の父親としての煮え切らないエピソードをもう一つ挙げたい。夫のいるフランスへ向かうため、神戸港で出港を待っている十七歳の茉莉のもとへ、父の知り合いが訪ねてくる。鷗外は娘がひどく世間知らずなのを心配し、また本来エチケットを教えるべき母親が、その手のことに気が回らないの苦々しく思い、人を遣って船上のマナーを授けることにしたのだった。


森茉莉のエッセイを少しでも読んだことがある人ならお分かりだと思うが、茉莉を溺愛してベロベロに甘やかし、何もできないお嬢さんに育てあげたのは、外でもない鷗外なのだ。対する志けは子に対する父の甘すぎる態度を心配して厳しく接し、娘たちに「うちのお母さん継母じゃないかしら」などと言わるはめになった。


本来なら夫や婚家に任しておく問題も、娘のことが心配で「妻の至らなさ」を口実に世話をやく。邪推かもしれないが、鷗外は妻の世間での悪評を織り込み済みで、こんな風に言ったのではないか。


鷗外という人は学問で高い理想を追求し、その意思の強さは大きな鋭い山の如きだが、小さい頃は犬やいじめっこが怖くて、母に手をひいてもらわないと学校にも行けない気弱な子供だった。本や植物を愛する、元来の細やかで優しい性質が、家庭内で子供たちへの愛情となって現れたり、優柔不断な態度となって現れたともいえる。


5. 若妻に重ねたかつての自分

ではなぜ、鷗外は消耗しながらも、志けとの結婚生活や周囲との調和のための忍耐を重ねたのか。若き日の身勝手から招いた離婚と周囲への迷惑を反省し、二度と繰り返さないと誓った、という見方が一般的だが、他にも二人の年の差が大きく影響しているように思う。


これは冗談でのやりとりだが、志けが「自分のことをもっと大事にしてくれる人のところへ行きたい」と言う。すると鷗外が「そんなわがままじゃどこにいっても突き返されて、また戻ってくることになるからここにいろ」と笑って返す。日々煩わされることはあっても、年長者の余裕から、十八歳年下の妻たことを可愛く思い、包容していたのではないだろうか。また、全力で周囲とぶつかる妻の姿に、かつての血気盛んな自身の姿を重ねていた部分があったのではないか。


志けとの間に子供を設けた時、鷗外は老境に足を踏み入れており、自制も心得ていたが、若い頃は文壇で派手にやりやっていた。坪内逍遥との没理想論争を始め、茉莉の言葉を借りれば「五枚批評が載ると、十五枚の反論でもって返す」ほど覇気に溢れていた。弟・篤次郎に養子縁組の話が来た時も、途中で財産相続に関して横槍が入り、最初の話と違ってきたのが気に食わず「男が一度言い出したものを」と仲介もたてずに断ってしまった。同郷の大先輩・西周(にし あまね)からすればもっと円満に解決する方法があり、「あいつもまだ若いからなあ」と言われてしまう。一家を背負って立つ長男として大事にされ、当時は両親ですら息子の機嫌を伺っているようなところがあった。それは不遜ともいえる最初の妻との離婚のしかたにも現れている。


こんな風に若い頃は己の信に忠実で、ペン(言論)という剣を自由に振り回していたわけで、自身の中にある癇癪は本人が一番よくわかっているはずだから、激しい妻の性質にも普通の人より理解があったのではないか。
また、二人の持つ激しさは真実(真理)を追求する姿勢として共通し、実生活での美意識や価値観となって現れ、夫婦や家庭の結びつきを強めた側面もある。二人は芸術に関しては一流好みだし、茉莉の衣装選び等でもセンスが一致している。


6. 妻へよせた信頼

次女・杏奴は晩年の父の姿として、長々と下らない用件を並べるたてる人にも、怒りを押し留めて理性的に振る舞う様子を回想している。そしてそんな父であるから、相手が母でなくとも忍耐強く結婚生活を全うしたはずだと。


一方、長女・茉莉のエッセイには母から聞いた、父が自分について話す場面がいくつかある。幼い頃、病で生死の境をさまよっていた時は「俺は電車に乗れば、もう茉莉を伴れて乗ることはないのだあ、と思う」「オレは茉莉ということだけで、今まで生きていたのだ」と。また、既に嫁いでいた娘が渡欧するのを見送った日には「今日はお茉莉が鳩(乙女の象徴)のようだった」と。誰に対しても穏やかで、自重的にふるまっていた鷗外が、こうやって自分の心情を打ち明ける姿に、妻への信頼がみてとれる。最初は駄々っ子と父親のようだった二人の関係も、二十年に渡る結婚生活で徐々に変化していったのかもしれない。


参考図書:
鷗外の遺産 1 林太郎と杏奴 (小堀鴎一郎、横光桃子 編、幻戯書房)
鷗外の遺産 2 母と子 (小堀鴎一郎、 横光桃子 編、幻戯書房)
鷗外の遺産 3 社会へ (小堀鴎一郎、横光桃子 編、幻戯書房)
父親としての森鴎外 (森於菟、ちくま文庫)
森鷗外の系族 (小金井喜美子、岩波文庫)
ベスト・オブ・ドッキリチャンネル (森茉莉 著、中野翠 編、ちくま文庫)





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