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魂の声(2023友川カズキ11年目の仙台ライブ)

「たまちゃん、友川カズキのライブ行かない?」
友達の及川徳子に声をかけられた。

私の好きそうな濃いアーティストだと言う。
秋田訛りで歌い、ちあきなおみに曲を提供し、「どこへ出しても恥ずかしい人」というドキュメンタリー映画を撮られたりしているらしい。

及川は友川の「生きてるっていってみろ」の歌を「生きてるっていってみろ」
「生きてるっていってみろ」
「生きてるっていってみろ」
と、情熱的に歌いながら説明してくれたけど、
もちろんそれじゃ全然わからない。

ただ、ロックの黄金時代というラジオ番組を長年やっていただけあって、彼女は音楽を選ぶセンスがいいのだ。私には彼女が好きな音楽、がよくわからないが、彼女は私がどハマりする音楽の想像がつくらしい。

結局よくわからないまま、行くことになり、
ライブ当日になった。


小さなライブハウスは満員だ。
椅子がなくなるほどに。
人の間を縫って
ステージに立った友川カズキは
ギターを激しくかき鳴らしながら
秋田訛りの詩を熱唱する。
ビブラートがかかりすぎて
断続した叫びのようになった歌声。
濁声なのに、
聞いていてめちゃくちゃ気持ちがいい。

年齢層高だが、チラチラと若者や海外の人が混じる



歌詞がすごい。
歌詞というレベルではなくて、もうこれは
音楽にのせられた詩だ。
言葉の中に、風景と空気と温度がある。

例えば、競輪好きで、競輪がいかに楽しいか、
と言うフレーズを楽しげに歌った後で、
「その金があれば母ちゃんに新しいパンティが買ってやれる。子供に立派なグローブやバットを買ってやれるでしょう!」
とがなり、


そこに、「いけいけ何番の穴走れ!!!!」みたいなセリフがあって、
後に競輪場でボロ負けしてるシーンが
量感のある言葉で綴られていく。


どうしようもなさが、発光する。


腹を立て、力任せにテレビをつけながら
むしゃむしゃ食べるアップルデニッシュ。

空気と一緒に飲み込んだ時に喉に刺さった小骨と、そこをひらひらと通り過ぎる何かの思い。

怒鳴りながら歌われるシーンの一つ一つが、
映画のワンシーンのように心に残る。
自転車泥棒とか、フェリーニの道の世界だ。
小津安二郎かも。秋刀魚の味とか。

激しいギターにフラメンコを想起する。
そう思ってHPを見ていたら、
フラメンコギターを聞いて育ったフランス人チェリストと友川との、かっこいい共演映像が上がっていた。

そういえばライブ当日も、中国人の映画監督が撮影に来ていのだ。
日本には収まりきれない人なのかもしれない。
 

1人盆踊り

思わず彼の「1人盆踊り」という本を買って、読み始めた。友川は弟さんを1人自死で亡くしていて、そんなところにもシンパシーを感じる。

友川は弟の残した詩編の束を抱きしめ、仲間と共に本を編む。
そして、

>人生も詩も、たった1人のためだけのものであるが、それが時々、なんらかの形で多くの人の役に立ったりたたなかったりするだけのことなんだよ。より自分を獲得するためのたたかいでなければそれとて無意味なのだよ。〜お前がうちなる寒さに凍えながらも歯を食いしばりながら死ぬ気で産み落としたお前の詩編らは今オレの中にしっかりとあるぞ。安心せい。安心して、眠れ。

死んでしまった「たこ八郎」に捧げる歌といい、葬送の歌だという「夜へ急ぐ人」といい、友川カズキほど死を歌うアーティストはいないかもしれない。だからなのだろうか。彼の歌から、私は野太い、生命の叫びのようなものを感じるのだ。

濁声なのに透明に透き通り、自分の弱さも醜さも、崇高さも愛も全てを曝け出し、すべてを包み込んで、ただそこにある。

感動のあまり、ライブ後アルバムも聴きまくったが、若い頃の声より今のほうが、同じ曲でもずっといい。

ライブ盤出してもらえることを
切々に望んでいる。

以下は一番気に入った
「イカを買いに行く」


ダメなことばかり言っているので、沈黙がいっぱいあるYoutube。途中から曲になります。、今の声に近い感じ。


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