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ショートショート『レモンケーキ』

山の麓の小さなお店。
レモンケーキしかないお店。

だけどここには、いろいろなところから
多くの人がやって来る。

レモンケーキに使うたまごは
ご近所にある養鶏場のあかりさんが
毎朝、採れたてのたまごを持ってきてくれる。

今日も両手いっぱいのたまごを抱え
あかりさんがやって来た。

「つぐみちゃーん、卵持ってきたよ」

「あかりさん、いつもありがとうございます!」

「こにらこそ。そういえばつぐみちゃん、
 市内にお店を出店する話、断ったんだって?」

「はい…声をかけて頂いたのはうれしいんですけど
 やっぱりこのレモンケーキはここでしか作れな
 いので」

「そうだね。だって、あのレモンのためのレモン
 ケーキだもんね!」

「はい!このレモンケーキはあの木になる、あの
 レモンじゃないとダメなんです!」

「はははははっ」

二人とも、朝から何だか楽しそうだ。

つぐみはこの土地で生まれ育ったわけではない。もともとこの店は、母方の祖母が住んでいた家だった。

祖母は、祖父が亡くなってから、長らく一人でこの家に住んでいたのだが、祖母も二年前に他界した。その後は、つぐみの母が定期的にここへやって来て、風を通したり、掃除をしたりしていた。

ある日、つぐみは母に連れられ
久しぶりに祖母の家へ行くことになった。

「なつかしいな〜
 昔はよく、この広い裏庭で走り回ってたな」

「そうね。あら、今年も立派に育ってるわ」

母が見つめる先にあったのは
たわわに実ったレモンの木だ。

「この木とも、もうお別れね」

母は寂しそうな表情でつぶやいた。
つぐみは、突然の母の言葉に
驚きを隠せなかった。

「お別れって、どういうこと?」

「ここまで来るのに片道2時間はかかるでしょう。
 管理も大変だし、そろそろ手放そうかなと思っ
 てね。おじいちゃんやおばあちゃんとの思い出
 が詰まった家だし、今まで残してきたけど、
 そろそろかなあって」

母の表情は寂しげではあるが、
どこかほっとしたような雰囲気も感じた。

風に乗って運ばれるレモンの爽やかな香りが、
つぐみには妙に心地よかった。

「良い香りね」

「うん」

「このレモンの木はね、おばあちゃんが
 お母さんのために植えてくれた木なのよ」

「お母さんのために?」

「そうよ。お母さん、小さい頃は体が弱くてね。
 風邪ばっかりひいてたの。それを見かねた
 おばあちゃんは、手作りでいろんな物を作って
 くれたわ。いつの日か、はちみつレモンを作ろ
 うと、裏庭にレモンの木を植え始めたの。
 ビタミンCが風邪に良いって思ったんだろうね。
 だけど、こんなにも長い間立派な実をつけ続け
 るなんて思ってもなかったわ」

「そうだったんだ…知らなかった」

つぐみは、このレモンの木に祖母の愛を感じた。
ますます大事にしなければ、そんな風に思った。

「お母さん、私ここに住もうと思う」

「えっ、つぐみが!?どうしたの急に?」

「だって、この家はお母さんにとって
 とっても大切な家でしょ?
 それに、このレモンの木だって」

「そうだけど…つぐみ、本気で言ってるの?」

「うん、本気だよ!私決めた。
 ここで、おばあちゃんが大事に育ててきたこの
 レモンを使って、お菓子屋さんをやる!」

つぐみは、レモンの香りをかぎながら、近所のケーキ屋さんで出会ったレモンケーキを思い出していた。

レモンの形をしたコロンと可愛いレモンケーキは
甘酸っぱさがたまらなく美味しかった。

つぐみは、お菓子作りなどほとんどしたことはなかったが、このレモンで美味しいレモンケーキを作ってみたいと思った。

そして始めたレモンケーキ専門店。
メニューはレモンケーキだけ。 

だけど、甘さや酸っぱさを選べるよう
4種類のレモンケーキを用意した。

素人ながら、レモンの香りが際立つ美味しいレモンケーキを作ろうと、つぐみは何度も試行錯誤を繰り返した。

そして迎えたオープン前日。

つぐみは、翌日の開店に向けて
準備を進めていた。

その時、視線を感じたつぐみが入口の方へと目をやると、そこには六歳くらいの女の子が一人で立っていた。

「こんにちは」

つぐみが笑顔であいさつをすると、女の子は店の外へと逃げるように出て行った。しばらくすると、女の子はまたお店の中へ戻ってきた。

「レモンケーキ食べる?」

つぐみの問いかけに女の子は静かにうなずいた。

「ちょっと待っててね、すぐ持ってくるから」

そう言ってつぐみは一旦厨房へ戻って行った。すると今度は、大人の女性の声が聞こえて来た。

「マコ!やっと見つけた。勝手にどこかへ行かな
 いでってママいつも言ってるでしょう?」

どうやら、女の子のお母さんらしい。

「こんにちは。あの…よかったら試食どうぞ」

つぐみはレモンケーキを手に店の方へ戻って来た。

「すみません、勝手に入っちゃって…」

「いえいえ、お気になさらないでください。実は
 この店、明日がオープン初日なんです。これ、
 うちの看板商品です。というか、レモンケーキ
 専門店なんですけどね」

つぐみはそう言って、親子にレモンケーキを手渡した。すると、

「美味しい!」

レモンケーキを口にしたマコは、ほっぺに両手をあて、満面の笑みでつぐみを見た。

「うれしい〜!マコちゃん、ありがとう」

つぐみの言葉にマコは、笑顔で大きくうなずいた。それを見た母親は驚いた。

「マコがこんなに笑顔を見せるなんて…
 何とお礼を言ったら良いのか」

「そんな、お礼だなんて。美味しいって笑顔を見
 れるだけで私はじゅうぶんなので」

「私たちは最近この辺りに引っ越して来ました。
 マコは新しい土地に慣れず、保育園でもなかな
 かお友達が出来なくて。だんだん、マコから笑
 顔が消えて行ったんです。こんな風に笑うマコ
 を見たのはいつぶりだろう…」

母親は声をつまらせた。目を潤ませながら娘を見つめる母の顔は、安心と娘への愛しさで溢れていた。

親子を見つめていたつぐみは、胸があつくなった。祖母の母への愛が、こうやって繋がれていくのを目の当たりにして、つぐみは、お店を開く決心をして本当に良かったなと思った。

「あの、おいくらですか?」

「これは試食なので、お代は結構ですよ。また食
 べたいって思ってもらえたら、ぜひまたいらし
 てください!」

「マコ、絶対来る!ねぇ、お母さんいいでしょう
 ?明日も来ていいでしょう?」

「ええ、もちろんよ。明日のオープン楽しみにし
 ています。また来ますね」

つぐみはお店の外に出て、親子を見送った。
マコは夢中でレモンケーキの美味しさを母親に伝えていた。母親もうれしそうに娘の話に耳を傾けていた。


つぐみも慣れない土地での新たな出発に不安がないわけではなかった。だから、マコの気持ちが痛いくらいによく分かる。

仕事を辞めて、この土地にやって来たつぐみは、毎晩、近所の小料理屋を手伝わせてもらっている。つぐみが幼い頃から家族でお世話になったお店だ。

女将も大将もつぐみの事を応援してくれる。

自然と繋がれるご縁を大事に、つぐみはこれからも歩み続けたいと思った。


おしまい𓍯



最後まで読んでいただき
ありがとうございますᵕᴥᵕ


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