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からくりとすり合わせの技

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愛知ものづくり産業史 機械産業編
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からくりとすり合わせの技⑦ 進化と原点回帰

からくりとすり合わせの技⑦ 進化と原点回帰

平成時代を迎えると、戦後の急激な経済成長の反動で、環境、エネルギー、福祉、安全といった社会問題が表面化し、官民あげた対応が求められるようになった。こうした状況のもと、愛知の産業界でも諸問題解決の一助となる製品の開発が進んだ。

その中心はやはり“車”だった。トヨタ自動車は平成9年に世界初のハイブリッド乗用車を開発。ガソリン車同様の走行性能を保ちつつ約2倍の低燃費とCO2排出量半減を実現した。また、

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からくりとすり合わせの技⑥ 国産技術の確立

からくりとすり合わせの技⑥ 国産技術の確立

戦前、愛知県下にまかれた重工業の種(工作機械、航空機、“車”)は、戦後の復興期(昭和20年代)を経て高度経済成長期(同30年代)に開花する。そして同39年に、地域唯一の銑鉄一貫製鉄所・東海製鉄(現日本製鉄名古屋製鉄所。東海市)が設立されると、これを追い風に同40年代以降さらなる成長をとげていく。

このうち著しい成長をとげたのが“車”である。昭和30年代、モータリゼーション化が進んで国内の自動車産

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からくりとすり合わせの技⑤ 戦後復興(必要なものは何でも)

からくりとすり合わせの技⑤ 戦後復興(必要なものは何でも)

アジア太平洋戦争(昭和16~20年)の末期、愛知の機械各社はアメリカ軍による空襲の標的となって壊滅的な被害を被った。しかし終戦からほどなくして、焼け残った工作機械や材料をかき集め、「必要なものはなんでも」というスタンスのもと、ものづくりを再開する。その後、朝鮮戦争(同25~28年)勃発にともなうガチャマン景気という追い風が吹いたことで、回復は決定的なものとなり、多岐にわたる機械製品がつくられた。

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からくりとすり合わせの技④ 重工業化の進展(祖業の活用)

からくりとすり合わせの技④ 重工業化の進展(祖業の活用)

日清戦争(明治27~28年)や日露戦争(同37~38年)を経て、政府は軍備拡張のために国内産業構造の転換(軽工業から重工業へ)を図り、民間重工業の成長をうながした。これを受けて愛知県下で創業した機械各社は、祖業の経験を活かして、今日の愛知ものづくり産業に直接つながる三つの製品を実用化した。

一つ目は工作機械。陸軍の要請を受けた大隈麺機商会は、明治37年に旋盤の生産を開始する。以後、陸軍向けの旋

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からくりとすり合わせの技③ 多彩な機械製品の誕生

からくりとすり合わせの技③ 多彩な機械製品の誕生

明治後期から大正時代にかけて、国産品の鋼材(普通鋼や特殊鋼)の普及が進むと、機械部品の素材の置きかえ(木から鉄へ)が大きく進展、国内機械産業の成長は加速度を増していった。愛知でも大正5年、電気炉製鋼による特殊鋼生産が始まった(電力会社・名古屋電燈の製鋼部門が独立した電気製鋼所による。現大同特殊鋼)が、これと前後して、県内外から集った起業家のアイデアのもと、多彩な機械製品(民需向け)が誕生している。

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からくりとすり合わせの技② 西洋製品の国産化(江戸時代の技の流用)

からくりとすり合わせの技② 西洋製品の国産化(江戸時代の技の流用)

江戸末期、鎖国が解かれて欧米諸国との国交が結ばれると、西洋の機械製品が続々と国内に流入するようになる。産業力(国力)の差を痛感した幕府や有力諸藩はこぞってこれらの国産化に取り組み、その志は後の明治政府にも引き継がれた。

こうした中、愛知のからくりとすり合わせの技は、ときの起業家のアイデアのもと、木の技、鉄の技ともども欧米の先端技術と融合する。その結果、近代的な機械産業がめばえ、木鉄混製(フレー

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からくりとすり合わせの技① からくり製品の誕生

からくりとすり合わせの技① からくり製品の誕生

ここまでの素材加工の技とは視点を変えるが、機械工学に関わる「からくりとすり合わせの技」も外せない。からくりとは、ぜんまいや歯車などを使って道具を自動的に動かすしかけ(自動装置)のことである。また、すり合わせとは、異なる素材や複数の部品を相互調整しつつ、一つの製品へと仕上げる手法のことで、現在、日本のものづくり産業界の誇る強みの一つとして世界的に認知されている。

ときは室町後期にまでさかのぼる。

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