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ファルーダ【1】 トラウマのファルーダ

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。



インド亜大陸で広く見かけるデザートに「ファルーダ」という飲み物、いや食べ物がある。後述するように、飲み物なのか食べ物なのか判然としないほどさまざまな形状を持つデザートなのだが、むしろ個人的にはその捉えどころのなさ、得体の知れなさにこそインドの食文化の奥深い謎を解く手がかりがひそんでいるのではないかと思い、静かに追い続けている。

ファルーダに過剰に反応するようになったのは、数年前に開いたとある食事会がきっかけだった。都内某所に現在も営業中のパキスタン料理店があり、自宅から比較的近かったこともあってオープン当初から何度か通っていた。コックとして働いていたパキスタン北西部出身のカーンさん(仮名)は腕も確かで、時折メニューに載っていない郷土料理なんかを食べさせてくれた。そのどれもが美味く、その腕を見込んだ私はインド亜大陸料理好きの知人らに声をかけ、郷土料理を中心とした食事会を企画することにした。打ち合わせする過程で彼の料理に対する深い知識を知るにつれ、ああこの人にまかせていれば大丈夫、との思いを強くしたのだった。

そして迎えた食事会当日。準備された料理は美味しさと珍しさを兼ね備え、集まったインド亜大陸料理通たちの舌と好奇心の両方を満足させるものだった。運ばれてくる料理の一品一品に称賛の声が上がるたびに、私はリクエストに応えてくれたカーンさんの腕を誇らしく感じた。満腹感にひたり、最後のデザートが運ばれてきたその時だった。

「近所ノ店デ、イイ材料ガアリマシタ」

晴れがましく言いながら、カーンさんは人数分の小鉢に小分けされたデザートを運んできた。一人一人の前に置かれたそれは、白っぽい色味の太い麺が同じ乳白色の突起物にからまるようにしてとぐろを巻き、小鉢の中で屹立していた。

食事会で出されたファルーダ


「???」

全員の頭に疑問符が浮かんだ。それまで料理話題などで和気あいあいと盛り上がっていたテーブルを一瞬にして静寂が支配する。煮物などの和食用とおぼしき小鉢に入ったそれを見て、私はもしやと思い尋ねた。

「これってクルフィー・ファルーダですか?」

カーンさんは胸を張るようにしてうなずいた。

確かに私はデザートとして何気なくファルーダもリクエストしていた。ファルーダとは麺的なものをクルフィー(インド式のアイス)または欧風のアイスクリームと共にいただく冷たいデザートで、麺は通常アロールートというイモ類やトウモロコシなどのでん粉によって作られる。パキスタンでは専用の大きな製麺機が市販されているほどポピュラーなものとなっている。しかし日本では原材料となるでん粉の入手先がわからない、と難色を示すカーンさんに「いや、あなたほどの腕ならきっと美味しいものが出来るはず。期待してますよ」と無茶振りしていたのを、その時になってようやく私は思い出していた。

一般的なクルフィー・ファルーダ(デリーのRoshan di Kulfiにて)


この食事会の最後に出てきたファルーダは「生うどん」で代用されていた。湯通ししてないうどんのボソボソした食感はお手製のクルフィーとも合わず、それまで本格的で「ガチな」パキスタンの郷土料理に魅了されていただけにその落差は大きかった。こうしてその日の食事会は何となく気まずいまま閉会した。

その時は気づかなかったが、パキスタンにおいてもインドにおいても料理職人と菓子職人とはスキルの異なる別の仕事なのだ。例えば同じ和食といっても寿司屋と和菓子屋が全く異なるように、同じ食文化圏内の職人だからといって何でも作れるわけではない。

パキスタン・カラチの菓子屋の店頭


料理をリクエストするということは精緻な現地の食事事情に精通し、的確なメニュー編成能力が大きく問われる。食べたいものを漠然と「その地方の料理だから」という安易な理由でやみくもにオーダーすると手痛いしっぺ返しを食らう、ということをその時痛切に学んだのだった。

さて長い前置きとなったが、本題はここからである。うどんでの代用に強烈な違和感を覚えた我々だったが、果たしてあの時のうどんの使用は完全に不正解と言い切れるのか。ある国の料理が別のある国で作られようとする時、必ずしもすべての食材が調達出来るわけではない。流通網の整った現代においてすら、満足にファルーダ麺一つ日本国内で調達出来ないのだ。

実はこのファルーダというデザートも、ナンやビリヤニ同様、インドにとって外来の料理である。元来ペルシア(イラン)東部の街シラーズで発祥したという麺状の冷菓「ファルーデ」は、その後インドに伝わりさまざまな形状、スタイルを経て現在のファルーダとなった。そのインドにおける変貌ぶりは、源流たるシラーズのファルーデの原型を一切とどめていない、すがすがしいまでの現地化がみられる。ならばあの時出てきた「うどんファルーダ」こそ、本来の現地化のありようを体現したものではないか。伝播した先の環境や食材によってその姿を変えるという、もしもそれがファルーダ的なるものの定義だとしたら「現地と違う」ことこそむしろ正解なのではないか……。

現代の「インド料理」が少なからず外国由来であり、そして外来料理の現地化を考える上でファルーダほどそのテーマにふさわしい料理はない。こうしてはいられない。改めて現地でファルーダを食べる旅に出かけなければ。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com


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