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チキン・マンチュリアン【1】 インドにおける中華料理の登場

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


昨年(2023年)の夏だったか、「インド中華」に世の注目がにわかに集まった。「町中華」や「ガチ中華」といった中華料理ジャンルが脚光を浴び、ネット記事やテレビ、雑誌などで取り上げられた結果、その余波の一つがジャンル違いのインド料理の一支流にまでたどり着いたかっこうだ。

「えっ、インドにも中華があるの!?」
「スパイシーな中華ってなんだか面白そう!」

大方の反応はそのようなものだった。しかし余波の力はさほど強くなく、インド中華メニューを出す店が増えたわけでも、ましてや大手コンビニが商品化することもなく、いつしか一般の人々の話題にのぼることもなくなっていった。

日本では中華料理はもはや非日常的な「外国料理」というカテゴリーを越えた、いわゆる「町中華」と呼ばれる日常料理と化して久しい。ではインドはどうだろう? 実はインドでも同様に、中華料理は数ある外食産業の中で最もありふれた料理ジャンルの一つとなっているのだ。

少し規模の大きなレストランに行ってメニューを開くと、「ムグライ」、「ベジ」、「ローティー」などといった項目の中に「チャイニーズ」と書かれた項目が必ず出てくる。そこに羅列してあるのが、現代インドにおいて「中華」と認識されている代表的な料理群である。よく見ると、そこには同じ中華料理でも日本のそれとはかなり異なるものが並んでいる。これこそインドで食べられている中華、つまり「インド中華」なのである。

そのインド中華の代表的なものに「チキン・マンチュリアン」という料理がある。日本では耳なじみが薄い料理だが、インド人がイメージする中華料理の筆頭といっていい。まず、この料理の来歴からみていきたい。

屋台で売られるチキン・マンチュリアン
屋台で売られるチキン・マンチュリアン


英領時代の首都が置かれたコルカタ(旧カルカッタ)には、富やチャンスを求めて内外から多くの人たちが集まった。そこには世界に名だたる華僑=中国系移民も含まれていた。当初こそ農園や港湾で肉体労働をしていた彼らは、やがてコルカタ市内に進出し小さな店を借りて商売をはじめるようになる。ビューティー・パーラーと呼ばれる女性向けの美容室や靴屋、皮製品屋といった商売がそれで、インドで唯一中華街の現存するコルカタでは、今もそれらの古い店舗が点在する。もちろん飲食業に進出する華僑も多かった。その中で「チキン・マンチュリアン生みの親」といわれるのが、1950年にコルカタの中華系移民3世として生まれたネルソン・ワンである。

幼くして父親を亡くしたワンは、早くから料理人だった養父の元で働いたのち、1974年に27ルピーだけポケットにしのばせてムンバイ(旧ボンベイ)に出る。やがてクリケット・クラブのキャンティーンに職を得たワンは、クラブのメンバーから「何か変わったものを」とリクエストされる。そこで鶏にパコーラーのように衣をつけて揚げ、コーンスターチの餡をかけて出したところ好評を博す。この創作料理にワンは「チキン・マンチュリアン」という名前をつけ、数年後、ムンバイ市内一等地のケンプス・コーナーに自らの店チャイナ・ガーデンを構えるや、店の主力メニューとして売り出した。

大都会ムンバイの高速道路
大都会ムンバイの高速道路


ちなみに、名前の元となったマンチュリアンとはいわゆる地名としての「満州」のことだが、この料理を創作したワンはそれまで中国に行ったことがなく、いわゆる満州料理とは無関係。日本にもナポリタンや天津飯、菓子のシベリアなどといった料理名があるのと同様、「外国の地名をつけることで得られるそれらしい雰囲気」の獲得を目的としたものにほかならない。こうした料理の名付け方は世界共通で見られるもので、外国の地名が謎めいて感じられた、牧歌的な時代ならではの産物といえる。

ワンがマンチュリアンを創作したのと同時期の1970年代、同じムンバイのタージマハルホテル内に中華レストラン、ゴールデン・ドラゴンがオープン。本場中国・四川省出身のシェフがインド人客向けにスパイシーな中華料理の提供をはじめた。ここで出された料理にもまた「シェズワン(四川)・チキン」というそれらしい名がつけられた。ここを発祥として、今もインド各地には「シェズワン〇〇」という料理名が多くみられる。

さまざまな中華料理がインドにはある
さまざまな中華料理がインドにはある


もちろんワンたちの登場以前から、コルカタを中心に中華料理を食べさせる店は数多く存在していたが(現存最古の中華料理店Eau Chew Restaurantの創業は1922年)、インド随一の商都ムンバイで、とりわけ富裕層の脚光を浴びることで、以降中華料理は全インド的に拡がっていった。さらに「中華料理が出来ること」が調理技能者としてのコックの腕の目安にもなった。それまでの「タンドール調理が出来る」「ナーンが焼ける」「ルマーリー・ローティーがクルクル回せる」といったプロ調理人としての技能要件に中華料理が新たにつけ加わったのである。北インド・南インドの出身を問わず「レパートリーとしての中華料理が出来る」ことがコックとして誇示すべき技量となった。それは同時に大型レストランでの勤務実績も意味していた。

現存するインド最古の中華料理店、Eau Chew Restaurant
現存するインド最古の中華料理店、Eau Chew Restaurant


インド人コックの作る「インド中華」はインド人客の口にあわせた、いわゆる日本人コックが日本人客の口にあわせて作る「町中華」的な料理である。ただ、昨今ではインドも日本と同様に、本格的な中華、いわゆる「ガチ中華」的な料理店が都市部を中心に増えつつある。とはいえ、まだ日本ほど中国系移民の姿が目立たないインドでは、今のところ「町中華」的なインド中華の方が幅を利かせている。次章ではマンチュリアン以外の「町中華」的なインド中華を深掘りしていきたい。







小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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