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意味のないこの世界で、あなたと出会えてよかった【ありがとう、進撃の巨人】

人生は、この作品を「観る前」と「観た後」に分かれる。もう観る前には戻れないことに、半ば愕然としてしまう。

『進撃の巨人』。
おそらく、私の人生観の一部を形作っている作品。

彼らの台詞を自分ごととして受け取っては、勝手に心臓を捧げてきた。『紅蓮の弓矢』のドイツ語歌詞を必死で暗記していた頃から、かれこれ10年が経つ。

先日、アニメ最終回が放送された。
25歳にもなって、嗚咽しながら泣くとは思わなかった。
どこが琴線に触れたのか理解する暇もなく、ただ感情を激しく揺さぶられ、その衝撃に涙があふれ、最後はずっと「ありがとう、ありがとう」と思っていた。観終わってから一週間が経とうとしているが、まだ静かな余韻の中にいる。思い出し鳥肌に何度も襲われる。

この作品と出会えてよかった

今の感情を忘れないように、できるだけ純度の高いうちに、言語化しておきたいと思った(それなのに気づけば時間が経ってしまった、時は流れていく)。
人は忘れてしまう生き物だから、せめてこの一瞬の感情だけは、残しておきたいと思う。

※これは、解説記事でも考察記事でもありません。ただの感情の羅列です。直接話すと早口になってしまうであろう感想を、自分なりに言語化してまとめたものです。居酒屋でオタクの友人の語りを聞く心持ちで、読んでいただけると幸いです。

★★最終回のネタバレを含むので、観ていない方はブラウザバックして、どうか本編を観てください。本当に素晴らしいので……★★


「また生まれてもいい」と思う瞬間

戦況は冒頭から、かなり救いようがない。勝てる可能性は限りなく薄く、絶望的な状況に飛び込んでいくことを皆が覚悟している。

いったいなんのために戦っているのだろう。そんな疑問を抱く間もなく、彼らは進み続ける。進み続けるエレンを止めるために進み続ける。

そんな中、アルミンがオカピ巨人に飲み込まれ、生死の境を彷徨うことになる。何かを変えるためには、何かを捨てなければならない。そう理解しながらも、エレンを殺す決意がつかない隙をつかれたアルミンは、自身を激しく罵倒する。ここの演技がとにかくすごい。アルミンは自己肯定感が低い。それでもいつもみんなを率いてきた。責任感が強く、優しいアルミンだからこそ、彼は自分をゆるせない。見ていて心にぐさぐさと刃が刺さった。

私はアルミンが好きだ。それは、「いつどんなときでも、考えることをやめない」人だから。
今回も、ただの自己嫌悪でアルミンは終わらない。考えろ、考えろ、と必死に考える。考える、という行為に、こんなに真摯になれる人を私は知らない。考えながら、今何をすべきかを考える。何を捨てるべきかも。

そんな中、「道」でアルミンはジークと遭遇する。すべてを諦めた目をしたジークが、砂を無意味にいじっている。ここの演技もすごい、本当に。ジークはアルミン(エレンの友達)に、「生命」について語る。
いのちあるものは殖えようとする。だから、死ぬのはこわいという感覚が植え付けられている。いのちが脅かされるのは恐ろしいことだから、何としてでも生きようとする。これが私たちの本質なのだと。

何かを得たいという要望も、死から遠ざかるために抱くものなのかもしれない。だとしたら私たちは、殖えることを課された奴隷だ。そんな連鎖は終わらせたほうがいいんじゃないか…。クサヴァーとジークが叶えようとした安楽死計画は、筋が通っている。私が彼らと同じ世界にいたら、賛同していただろうか、反対していただろうか。わからない。

でも同じことを、私も思ったことがある。身体は意思とは関係なく生きようとする。なんのために心臓は動いているんだろう。どうして死にたくないと思うのだろう。死を思うとこわいのだろう。それがただ殖えるためなのだとしたら、なんて虚しいんだろう、と。諸悪の根源のように見えた光るミミズ、でもあれが、私たちの始まりである「いのち」だとしたら。殖えるためにただ行動しているだけの存在を、どうして責めることができよう?

それなら、私たちには生まれる意味も生きている意味もない。ただ殖えるだけなのだから。そう思いながら生きられるほど、私は強くない。どんなよろこびもくるしみも、いつかみんな無になる。何を成しても残しても、いつかは灰になって消えていく。
だったらこの人生は一体何なのだろう?

だから、意味を見出そうとしてきた。世界を生きることを選択してきた。生きる意味なんて思えば、ささいな一瞬だったと思う。

夕飯の匂いを辿るように帰った日、夕立にはしゃいだ夏休み、人生を語らった飲み会の帰り道、誰にも見せない小説を書き上げた日…そういったいくつもの瞬間にこそ、人生の意味がある気がした。それらひとつひとつに意味がなくても、私にとっては生きたいと思える理由だった。こんな瞬間と出会えるならば、この意味のない世界で生き続ける意味がある気がした。

アルミンが思い出させてくれた。なんのために、などと考えず、ただ生きていることが幸せだった瞬間を。

「また生まれてもいいかなって」

アルミンとの対話の中で、意味のない行為自体に意味があることを見出したジークの言葉に、私はぼろぼろ泣いた。この対話シーンは、これからもずっと宝物だと思う。何度でも思い出したい。

そしてアルミンは、ベルトルトと向き合う。自分がいのちを奪った友人に、力を貸してくれと頼む。
あのとき、アルミンがベルトルトを喰った日。友人のいのちと引き換えに、故郷の日常を破壊した巨人の力を手に入れ、人類の希望だったエルヴィンのかわりに、調査兵団団長を任されたアルミン。それを知らされ、壁の上で吐いている姿が脳裏に焼き付いて離れない。それでも彼は、すべて受け入れてたたかう決意をする。彼はどこまでも強く、まぶしい。

世界を救うのは愛だった

結局のところ、愛は世界を救えないが、世界を救うのは愛なのだと思った。

始祖ユミルが飢え、囚われていたのも愛だったし、ミカサを縛り、解放したのも愛だった。

クルーガーがグリシャに「進撃の巨人」を継承するときに、「壁の中で人を愛せ」と言っていた。その言葉を思い出し、これは壮大な愛の物語だったのださか、と思った。

思うに愛とは、すべて相手に合わせることではない。何があってもあなたを守る、そう思って生きていたミカサが、エレンを自らの手で殺す決断をする。究極の愛のかたちだ。私は衝撃で、しばらく動けなかった。

これまでエレンの言うことには何でも従い、身を挺してエレンを守ってきたミカサ。しかし「マフラーを捨てて俺のことは忘れてくれ」という頼みには、「ごめん、できない」と答える。エレンを殺す決意をしてマフラーを巻き直すシーンは、本当に鳥肌が立った。強く美しいミカサ。アッカーマンの血ではなく、ミカサはミカサの意志で、生きることを選び、エレンを殺すことを選び、愛し続けることを選ぶ。

自らの首をはねにきたミカサを、安心したように見つめるエレン。彼の視界に最後に映ったのは、真っ平らになった大地でも一面に広がる海でもなく、愛するひとりの女性だった。それが救いだと思った。エレンは人として死ねたのではないかと。

悪魔としての役目を終えたエレンに、優しく口づけするミカサ。紛うことなき愛のかたちを、背後で見つめる始祖ユミル。

震える首筋を 包み込む温もり
私は何度でも この寒さに立ち向かう

『二千年後…若しくは……二万年後の君へ・・・』Linked Horizon

この歌詞を聞くたび、涙腺が崩れ落ちてしまう。エレンのいない世界で生きなければならないミカサの、孤独と強さがあまりに滲み出ていて、世界の残酷さと美しさに、胸の奥がくるしくなる。

同時に、トロスト区攻防戦のことを思い出す。まだエレンが巨人化できると明らかでなかった頃。アルミンを助けてエレンが巨人に喰われたと知ったミカサ。一度は生きることを諦めようとしたミカサが、「たたかえ!」というエレンの言葉を思い出し、何としてでも生きると決意し直すシーン。折れた刃を握り直し、ミカサは自身に言い聞かせる。

「死んでしまったらもう、あなたを思い出すことすらできない」。

一度救われたら、人はその記憶に何度も救われる。

人類の8割を殺した悪魔になったエレンを、ミカサは生涯想い続けた。想いを秘めながら、エレンのいない世界を生き、人生を全うした。本当は、エレンと一緒に生きていたかったはずだ。マフラーなんて何度でも巻いてやる、という約束を果たしてほしかったはずだ。

生きていくと、人は幾度も別れに立ち会う。「死」はこれだけ文明が発展してなお、覆すことのできない永遠の別れとして訪れる。死が紛れもない事実として存在する以上、必ず、遺される者がいる。死に立ち会うとは、会いたい人にもう二度と会えなくなると知ることだ。それでも遺された者は、命ある限り生きていかなければならない。そのときに人生をあたためてくれるのは「記憶」なのだと、深く感じ入った。あなたには会えなくても、思い出す限り、記憶の中で会える。切なくて美しい救い。


エレンを絶対ひとりにしない

すべて終わったあと、アルミンはエレンと「道」で話した記憶を取り戻す。幼少期を過ごした場所から、アルミンの本で見た場所、そして、地ならし後の平らになった世界で、二人は話をする。このシーンは、微笑んだり泣いたりしながら観た。

途中、アルミンはエレンを殴る。感情を露わにし、ミカサを傷つけたことを罵る。決して暴力で解決しようとしないアルミンが、唯一手を出すのは、大切な友人を傷つけられたときだ。殴り慣れていない感じもアルミンらしい。そこでエレンは本音を漏らす。ずっと感情を殺し、自由の奴隷として進み続けてきたエレンが、思春期の男子のような感情を吐露する。
ミカサが他の男とくっつくなんて嫌だ、俺が死んだあとも10年は引きずっててほしい、本当は死にたくない……。
本音をこぼすエレンに、アルミンははっとしたように、考えようと言う。それでも何も変わらないのだと、エレンは告げる。そして、自分がこれから行うことをアルミンに伝える。

人類の大量殺戮を、アルミンは認めることができない。いくら友人だからといって、到底ゆるすことはできない。しかしアルミンは、エレンをひとりにはしない。

「この世から人を消し去ってしまいたいと思ったことは、僕にもある」と言う。そして、エレンに外の世界を見せたのは自分だと伝える。この平らになった景色を見せたのも。

だから、これは僕たちがやったことだと。
一緒に地獄に行こうと言う。

三人で、とはいわない。ミカサは連れて行かない、という暗黙の思い。アルミンもまたミカサを大切に思っており、幸せを願っている。

外の世界を見せてくれてありがとう。
アルミンのこの言葉からは、エレンの罪を背負う覚悟が伝わる。

ずっと前のシーンを思い出した。故郷のシガンシナ区を襲撃され、避難を余儀なくされた幼い日の三人。配給のパンを持って走ってくるアルミンと、いらないとはねのけるエレン、無理やりそれを食べさせようとするミカサ。三人の友情は、あの頃からずっと変わらなかった。こんなところに来てもなお。

ずっと、一緒だ。

すべて背負うようなアルミンの言葉は、アニメオリジナルの台詞だ。エレンをひとりにしない、アルミンの果てしない優しさを感じる。ここで私の涙腺は完全決壊した。

そして、シーンは現実世界に戻る。アルミンはエレンの死を受け入れ、かつてエレンが人類の敵でないことを滔々と説いたように、今度もまた、自分たちが人類の敵でないことを証明しに行く。武器を捨て、睨み合う人々の前に立ち、英雄として声を上げる。

思えばずっと、この物語の語り手はアルミンだった。


繰り返す歴史の途中で

私はこの作品のエピローグがすごく好きだ。漫画のラストシーンを読んだときから、ずっと。思い出すたびに鳥肌が立つ。

すべてのたたかいが終わって完、でもなく、それから数年後の世界が描かれて完、でもなく、生き残った人々が寿命を全うし、それから何年も何百年も何千年もの月日が描かれる。たたかいが終わり、文明が発展し、人々が移ろい、やがてまたたたかいが始まる。文明は滅び、またゼロになる。エレンの墓は大樹の根本に埋もれていく。

そして途方もない年月が流れたあと、ひとりの少年が森に迷い込む。かつて始祖ユミルが迷い込んだ大樹の洞に立つ。そこで物語は終わる。次に始まるのが悲劇か復興か、想像の余白を残して。

このシーンを観たとき私は、今生きている文明は、一体何度目なのだろうと思った。どうして当たり前のように、教わった歴史を一度目だと思っていたのだろう。もしかしたら、文明はこれまで何度も滅びているのかもしれない。今生きている時代は、何度も繰り返されたひとつに過ぎないのかもしれない。この先に待っているのは破滅で、そこからなにを得ても、千年後には無になって、また新たな破滅が始まる。人類なんてそんな愚かな生き物でしかないのかもしれない。この世界には守る価値もなければ、世界のためにたたかう価値もないのかもしれない――。

でも、
だとしても。
私たちはこの世界に、意味を見出すことができる。
意味なんかなくても、大切だと思う存在のために生きることができる。
たとえ歴史は繰り返すとしても、せめて今だけは。

それが、人類の救いではないか。

私はこの意味のない世界で、この作品に出会えてよかったと思う。繰り返し繰り返される歴史の中で、いつか忘れ去られるとしても、この刹那的な感情こそに、意味があると思える。

この歴史が、いま送っている日々が、どんな過去によって支えられているのか。あったかもしれない歴史を生きた彼らに、最大限の敬意を払う。

進撃の巨人は、ひとつの歴史書だった。

私たちもまた、歴史の途中を生きている。これから歩いていく道が、新しい歴史になっていく。

彼らが運命に翻弄されながらも立ち向かい、自分の意思を取り戻し、自分の意思で決断し、未来を切り開いていったように。私も人として、自分の意思で、自分の大切にしたいもののために生きていたい。進み続けたい。

この作品に携わってくれたすべての方々に、心からありがとうを言いたいです。素晴らしい作品を、本当に、本当に、ありがとう。この作品と一緒に大人になれて、私は幸せです。未来に語り伝えるオタクになります。

心臓を捧げよ。




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