普通になれない
「普通」という言葉は嫌いだけど。
標準にすら届かないくせに他人と比べて、標準以下なら比べたところで大体に劣等感を抱くだけなのに比較がやめらない馬鹿な自分に対する皮肉感情を集約したのがこのタイトルです。
時々、「普通にならなきゃ」と思うことがある。
村田沙耶香さんの“コンビニ人間”という小説では「治らなきゃ」と表現されるような感情。
別に、自分が特異な訳でもなければ差別されたり、いじめられたりした訳でもないけど、なにかが違う気がするってだけなんだけど、
その感覚だけがずっとずっと枷で、私を制限してくる。
誰かと話しても、なにかが分からない。
その話してる内容よりも、なんで今それを話しているのか、どうして○○じゃなくて○○って言葉選びをしたのか、なんで、なんで、って、深読みのし過ぎ?
どう返事したらいいか、どう思われるかなんて自分にはコントロールのしようもないのに、こう言ったらこう思われるかな?とか、頭の中で推敲を繰り返すように返事を考えて、結局“正解”が分からなくなって、一番無難な言葉を選ぶ。
考えるだけじゃ分からない事は無数にあって。ただ考え続けるよりも、他人を参考にする方がいいのでは?
こういうとき、あの人、こう答えてたなぁ
みたいな。
どうしたら普通に思われるかを考えすぎて“普通”も“自分の意見”も何も分からなくなる。
昔から、不思議ちゃんだね、変わってるね、ってよく言われた。
嫌だった。
あなたの考え方おかしいよ、非常識だねって言われてると思ってた。
今になっては、別にそういう意味じゃないって思うこともできるけど。
でも当時は、じゃあこんな自分の考え方、感じ方はダメなんだって思った。
だんだん、自分自身がだめみたいに思った。
“普通”に囚われた。
普通じゃなきゃだめなんだって思った。
普通とは??
ってなって、何がだめで何がいいのか、何がしたいのか、色んなことが分からなくなって、自分の思ったことを口に出すことすら怖かった。いや、今も怖い。
学校で喋れなかった。動けなかった。
自分という人物として、正しく喋って、動かないとっておもった。
クラスメイトが、その人がその人として、正しい表情で、正しいことを喋って動いているって思った。
それがその人らしさだと思った。
その人のキャラクターだと思った。
めちゃめちゃ歪んだ思考。
考えていたら次第に意味が分からなくなって訳が分からなくなって自分が嫌いになった。
それから、ずっと孤独感と疎外感が募ってばかりで人と関わるのが怖かった。
そんな自分も嫌いになってく悪循環なんだけど
否定されることが怖い。間違うことが怖い。
普通じゃないことが怖い。
普通じゃなくてもいいのに。
間違ってたら直せばいいだけなのに。
分かってるのに恐怖感が一切拭えない。
動けない。
何がしたいのか分からない。
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