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東京おどるおばあさん

最近また能の本を読んでいて、去年の暮れにあった時間を思い出した。

少し混んだ電車の中、座っているおばあさんが中吊り広告のあたりをぼんやり見つめながら、手をヒラヒラとゆっくり動かしていた。その目を見ると、そのあたりにある特定のものを見ているのではないと分かる。何かを思い出そうとする、自分の記憶をたぐるような目だった。

そのゆっくりとした手の動きは、きっとかつて、舞踊でもやっていたのだろうという手つきだった。頭の中では衣装を着て、照明に照らされて踊っているのかもしれない。数日後に迫る発表会に向けて現実的な緊張感にさらされているのかもしれない。またはただ手首の調子が悪くて確かめているだけかもしれない。よく分からないのがよかった。

髪の毛はカラカラに乾いていて、なんとなく寂しそうに手をヒラヒラさせ続けているおばあさん。いずれにせよ少し綺麗だった。農村で大切にされている古い神社みたいだった。

電車が地下から出て、電車の中が陽に照らされて少し明るくなると、パタっと動きをやめて、目を閉じてしまった。いい時間だった。

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