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社会人1年目冬・23歳・借金860万円


高校2年生の時、父が職を失った。
仕事を辞めてからの父は、なぜだかやる気に満ち溢れていて、

やる気というか、誰かに対する憎悪と戦意に近い何かが溢れ出すようで、
気味が悪かった。



後から聞くと、(父が言うには)不当なリストラを受けたようで、雇用主か何かを相手取って裁判を起こしていたようだった。


その頃私たち家族は(兄は就職していたので父母と私)、俗に高級住宅街と言われるような場所に住んでいたのだけど、
父は職を失ってからも引越しを拒み、執着するようにその地を離れようとしなかった。
収入なんて、母のコンビニアルバイトの給料しかなかったのに、一年以上住み続けた。

おそらく裁判は父の思うような結果に至らず、
貯金も底を尽きたのか、父は部屋探しを始めたけど、
その時も高級マンションの物件ばかり見ていて、母は悲しそうに「無理だよ〜」って笑ってた。




ある時から、というか、だんだんと、
父が母を怒鳴りつけることが多くなった。

昔から短気で怒りっぽくて、キレているのは日常茶飯事だったけど、
それにしても頻度が異常だった。


私が小さい時から、母は父に怒鳴られてもただ「ごめんなさい」と繰り返すばかりだったけど、
いつからか母も父の理不尽な怒りに対して怒鳴り返すことが多くなって、
毎日のように喧嘩をするようになった。


リストラとか裁判の話と一緒に聞いたけど、父はその頃「双極性障害」と診断されていて、もう感情なんてコントロールできる状態ではなかったようだった。
聞いた時は、少し気の毒だと思った。




一晩中続く夫婦喧嘩を仲裁するために、私は夜通し父と母の言い分を聞くことが日常になって、
いつしか私が授業中でもLINEの通知がひっきりなしに鳴るようになって、

最終的には、今日私が家から離れたらどっちかが相手を殺すんじゃないかな、とか考えちゃうくらい家庭内の空気が異常な日もあって、
高校を休むこともあった。

大好きなはずの日本史の授業を受けていても自然と涙が流れたり、
高校が終わって最寄り駅に着いてから家までの道で、だんだんと鼓動が激しくなるのを感じたり。

今思えば笑っちゃうくらい異常な状況だけど、
小さい頃から家庭内に不穏な空気が流れるのは当たり前だったから、
当時は、まあ人生こんなもんだよな、とか呑気に思ってた。




家がそんな感じでも私は他の高校3年生と同じように受験生になって、
人並みに有名私大とか目指しちゃって、そこに入学するのを夢見て勉強に励んだ。

良いのか悪いのか、父母どちらも肩書とか学歴へのこだわりが強いから、
私が高校3年生になり、部活を引退して、いよいよ本格的に受験シーズンに入ってからは、受験勉強に励む娘の邪魔をしないように気を遣い始めた。

ってその気遣いが続いたのも最初の1週間くらいだったけど。



父母の喧嘩仲裁と受験勉強の両立が日常となった中で、私が一番心配だったのは大学の学費だった。
家族のことを考えると、父が近いうちに何らかの収入源を手に入れるとは考え難かったし、
母がどれだけアルバイトでシフトを入れても、家賃や生活費を賄うので一杯一杯になるのは学生の私でも分かった。


というか、周りの親と比べても年齢が少し上の母が限界まで肉体労働をするのは少し心配だから、はなから母に大学費用を払ってもらう気も起きなかった。




私は日本学生支援機構で、借りられるだけの奨学金を申請することにした。

学費のことだけ考えれば、上限いっぱい借りる必要はなかったかもしれないけど、
もし完全に家庭が崩壊して一家離散とかになれば、
関西に実家がある父母はそちらへ帰って私が一人で東京に残ることも十分に考えられるし、
大学生活のイメージがついていない中で、学費以外は全てアルバイトで賄う覚悟を決めることもできなかった。

私がもっと頭が良くて優秀な成績を収めていたり、
前もって調べてよく準備していれば、学費免除とかそういう選択肢があったかもしれないけど、

ちょっと、余裕がなかった。


利子がある奨学金も多額申請したけど、もうそれは絶対に社会人になって、安定的に収入を得られる企業へ就職して、頑張って返すしか無いと思った。




結果的には上限いっぱい借りておいて良かった。

笑っちゃうけど、遺伝なのか、大学生になってから私も「双極性障害」と診断されたからアルバイトなんて出来なかったし、
父の声を聞くと過呼吸を起こすようになって家族と一緒に住めなくなったから、
大学の近くで一人暮らしを始めた。

双極性障害。
ネットには、「遺伝することはない」って書いていたり、「遺伝も考えられる」って書かれていたりで、
よく分からないけど、
主治医から病名を告げられた時には、

私もあんな人間の娘なんだなあ、ちゃんと。

と涙が出た。

父に対してそれなりにマイナスな感情があることを知っている主治医は、気休め程度に慰めてくれた。


そんなこんなで、通院費が発生したのもあって奨学金は借りた分だけちゃんと使った。




大学は行ったり行かなかったり、死にたいと泣いたり泣かなかったり、を繰り返したけど、
ゼミの教授がうつ病を患った経験がある方だったり、
一人でどうしようもなくて深夜2時に泣きながら電話した時に「タクシー代出すから今すぐおいで」と家に呼んで宥めてくれるような理解ある同期に巡り合ったりして、
周りのサポートに恵まれたのが大きくて、4年で卒業できた。




大学4年の前半くらいには、自分の扱い方もそれなりに分かるようにもなってきて、
社会人として4月を迎えることが出来た。

慣れないことが多いし、
おそらくダメなんだろうけど会社に病気は秘密にしているから誰にも相談できないし、
社会人生活は普通にしんどいけど、
周りには優しい人たちがいて、
なんだかんだ今のところ辞めずに生きている。



そして、先月から奨学金の返済が始まった。
大学卒業の段階で、私は一体いくら奨学金を貸与されたのか改めて確認したけど、
860万ちょいとかだった。

けらけら、社会人1年目で借金800万円越えなんて笑っちゃうぜ。

まあでも、奨学金がなかったら、
私は大学進学を諦めているか、
母と私で無理な数のシフトを入れて精神すり減らして、早い段階で人生を諦めた引きこもりニートになっているか、
全ての責任を父になすりつけて殺人でも起こしているかして、
今頃真っ当な社会人にはなっていないから、


必要だったんだろうな。



慣れないパソコンで知りたくもない父母の所得とかを打ち込んで奨学金の申請をしたあの時から、
こんな未来になることは覚悟してたのに、
それがちゃんと現実になってしまうと、やっぱり少し苦しい。


しつこいほど揺れ動いてた感情に嫌気がさして、
ここ数年は楽しいとか悲しいとかを自然と表面に出すのが苦手になっちゃったけど、
代わりに苦しい時は、胃がはち切れるまで食べ物を詰め込む。


「あー調子いいな、病院行くのやめれないかな」と日中は思えていても、
結局毎晩、食べきれないような量の食べ物を買って、
全部詰め込んで、
レシートを見て「そんな余裕無いって言ってるじゃーん」って笑う。


おかしいよなあ、



でもなんだかんだ一番苦しいのは、
「これが普通。」
って思ってた自分の家族が、
全然普通じゃなかったことに気づいたことで。

ドラマとかを見ていて、崩壊してる家族を見ると、
「こんな人たち、中にはいるんだろうな、可哀想に。」
とか他人事のように思っていたけど、
はたから見れば私たちも、十分崩壊していた。

高校の担任に強く促されて面談した児童相談所の人に、
「精神的虐待って言うんだよ」
って言われた時、
それを自分が認識できないまま生活していて、大人になろうとしていたことがショックだった。

みんな同じようなもんだと思ってた。

違ったんだなあ。



でもまあ、みんなが経験し得ないことを若いうちに経験出来たし、
おかしい状況にいるって気づいてから自分の親は自分と言い聞かせて、
自分のダメなところはダメと直して、
自己肯定感アホほど低いけど良いところは出来るだけ認めて、
向いてるものややりたいことはできるだけ触れさせたことで、

それまで気づいてなかったけど音楽と本が生き甲斐で、
いつかその道に進みたいと夢を抱くことにも繋がったから結果オーライかもしれない。

まあ、夢を抱いたところで追うことは難しいけど。




もし、
今もまだ父が働き続けてて、あの頃住んでたマンションから引っ越さなきゃいけないなんてのもなくて、
奨学金とか1円も借りずに社会人になってたら、
夢だった音楽の仕事とか文章の仕事とか映像の仕事とか、目指せてたのかもしれない。(夢多すぎ)


とか妄想することはあるんだけど、
私はちゃんと稼ぐ必要があって、
夢が叶うまでギリギリの生活をするとかそんなことできなくて、

申し訳程度に、いつか夢が叶う時があるかもしれないと、努力してはいるんだけど、
仕事で疲れちゃうと手が回らなくて、「やっぱり無謀か〜あはは」ってフローリングに寝そべってそのまま寝落ちしたりしてる。



それでも諦めきれないうちは胸の中で大事に取っておいておくことにしているし、
夢なんて見るだけなら無料だから、それでもいいじゃないと思ってる。

とか言いながら、負けず嫌いなので「いつかは」とかしぶとく考えてるけどね。



2023/11/3  23:04


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