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霧の中に見えてくるもの

朝起きると、海の方から霧笛の音が聞こえる。
ああ、霧か…
そんな時はカーテンを開けなくとも、窓の外には煙るように白く濃い霧が、辺り一面たちこめている情景が目に浮かぶ。

私が住む場所は周りをぐるりと海に囲まれた島(と言っても街はすぐそこで、短い運河橋で繋がっているので島を意識することはあまりないが)なので、一年を通して霧がよく発生する。
霧の日は、海上を航行する船同士が衝突しないように、何度も霧笛を鳴らし合っている。

私は霧の朝が好きだ。
海も船も、遠く向こう岸に見えていた島も、道路に停められた車も、みんな墨絵のように霞んで白い煙の中にかき消され、窓から見えるいつもの風景が知らない場所に変わってゆく。

陸地と海の境がぼやけた海岸を歩いていると、霧の中でよく姿は見えないのに、近づいて来て去ってゆく人たちの話し声だけが聞こえてきたりする。

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須賀敦子のエッセイ『ミラノ 霧の風景 / 遠い霧の匂い』の中で、
"霧がかかっていると、あ、この匂いは知ってる、と思う"
というくだりがあるが、霧に匂いがあるだろうか?
ゆっくりと深く霧を鼻から吸い込んでみる。
ー 湿った空気の匂いがする
ー 雨の日もこんな匂いがしてた

"イタリアでは霧の「土手」というのか「層」というのか、「バンコ」という表現があって、これは車を運転していると、ふいに目の前に霧のかたまりが立ちはだかり、運転者はそれが霧だと分かっていても反射的にブレーキを踏んでしまい、そのため冬になると街中の追突事故が絶えない"
と須賀さんは書いているが、私の住む国ではそこまで厚みはない気がする。

気温が一気にマイナス20度近くまで下がった真冬の晴れた朝には、海上一帯から湯気のような霧がいっせいに立ち昇り、早朝に短時間だけ現れる気嵐けあらし、この国では海煙うみけむりと呼ばれる現象はとても幻想的で壮大な眺めだ。何度見ても写真に収めたくなる。そう思うのは私だけではないようで、近所に住む人々も次々に家から出て来て、その風景を眺めたり写真を撮っている。
感動すると共に、人間の力では決してコントロール出来ない自然の雄大さに、畏怖の念も抱く。

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霧というと浮かんでくる本は、イタリアの美術家 ブルーノ・ムナーリの『The Circus in the mist きりのなかのサーカス』という絵本だ。


学生時代、色彩構成だったか絵本制作の授業だったかを担当していた教授に勧められて、初めて自分で購入した洋書の絵本だった。
白いトレーシングペーパーを捲るごとに、霧の中で霞んでいた信号やバスや車などが現われる。覗き窓のような丸い切り抜きからはサーカス一座の動物やピエロが見えてくる。洋書だけど絵だけ追っていくだけでも楽しめる。


まだソビエト連邦時代の1975年に制作された、ユーリ・ノルシュテイン監督のアニメーション『霧につつまれたハリネズミ』も、霧の中の風景が描かれた傑作だ。
切り絵をコマ撮りするというアナログな手法を用いているのに、霧や湖などの映像表現が素晴らしく、詩的で豊かなイマジネーションが感じられる。



ギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの『霧の中の風景』も、霧と聞くと思い浮かぶ作品だ。


アテネから12歳の姉と5歳の弟が父親がいるというドイツを目指し旅するロードムービーは、旅芸人の一座との出会いや時に過酷な体験などもあるのだが、一番印象に残っているのは白い霧の中に見えてくる風景だ。




じっと静かに霧に包まれていると、時間が止まってしまったように感じる。
そのうち霧の中にぽっかりと異界への入り口が開いて、この世と繋がってゆくのかもしれない。

いつもは見えなかったものが、見えるようになるのではないか?
そんなことを思いながら目を凝らし、白く揺蕩たゆたう霧を見る。









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