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【1分小説】陽だまりを抱いて

お題:「たんぽぽ、迷子、急ブレーキ」
お題提供元:お題bot*(https://twitter.com/0daib0t)
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 きっと迷子になった綿毛がここへ舞い込んできたのだ。アパート七階の小さなベランダで、いつの間にかたんぽぽが一株咲いていた。

 ビル風のせいでごうごうと風の音がして窓がガタガタ揺れていて、おまけに貨物列車の通る線路の沿線にあるものだから、ここでの生活はいつも不本意な騒音と共にあった。

 けれどその陽だまり色の花はご機嫌に揺れていて、聞こえているはずないのに、まるでそれらの音を楽しんでいるようで。

 そろそろ仕事に行かなきゃ。身支度を整えようと部屋に入って、はたと気付く。

 部屋には何もなくなっていた。テーブルもベッドもお気に入りのクッションも。ただ六畳分のフローリングが寒々しく広がっているだけだ。

「……どうして」

 外で急ブレーキの音がしたのはその時だった。胸騒ぎがして、玄関から廊下へ出る。眼下の道路を見ると、歩道に乗り上げた車のそばで人が倒れている。見覚えのあるスーツ。大学三年のインターンシップの前に買ったもの。
そこで倒れていたのは、紛れもなく私だったのである。

 ああ、思い出した。

 私は死んだのだ。けれどそれが信じられなくて、初めて一人暮らししたこのアパートが忘れられなくて、たんぽぽに生まれ変わって綿毛になって、ここのベランダに戻ってきたのだった。この部屋にお別れをするために。

 私のそばを綿毛が通り過ぎた。ベランダのたんぽぽが綿毛になったのだ。
ここでの思い出も、もうおしまい。私は目を閉じて、舞い上がる綿毛に想いを馳せる。相変わらずのビル風に、綿毛はどこまでも青空へ飛んでいく。