【1分小説】雲で月を洗う
お題:なし
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お母さんが雲で月を洗っている。
キッチンの椅子の上に立つと、それが良く見える。
「駄目だよルリ、降りなさい」
お母さんは洗い物をしながらそう言った。
いつもは「こら!」ってこちらに飛んでくるのに、今日はこちらを見ようともしない。
くしゅくしゅと揉みこんだスポンジから白い入道雲がわき立つ。キッチンの明かりの下で、カレーのお皿が白い月になる。さっき私が食べたやつ。いつもは私とお母さん、それからお父さんの三つのお皿があるのに、今日はお父さんはいない。
お母さんが鼻をすすった。
「お母さん」
「なに」
「泣いてる?」
答える代わりに蛇口がひねられ、ざあっと夕立が降り出した。柔らかな雲が崩されていく。月の光が水に砕けてバラバラになる。
夕飯の前、お母さんが電話口のお父さんに向かって怒っていた。お母さんが怒った時の声は、弦を張り詰めすぎたバイオリンみたいに、不安定で、千切れそうで、きりきりと私の胸を締め付ける。
蛇口の夕立の向こうに、その残響が聞こえる。
黙っているけど、お母さんはまだ怒っている。そして、泣いている。
私は椅子から降りた。
シンクの横の布巾に手を伸ばす。
「取って、それ」
「いいよ。あっち行って」
「手伝うよ。お月さま、みがくの」
また三人でカレーを食べたいから。