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2度目のカウンセリング、カウンセラーとの別れ

転院してからは、将来のことを棚上げして生きることにした。

そして、それまでの勉強、座学的なコースから外れてしまったことから、全然違う道、違う生活や生き方をしようと思ったように思う。

それで、運送会社の倉庫で仕分けの仕事を始めた。あまり人目を気にすることもなく、しかも頭よりも体を使う、人間関係や接客、人を扱うのではない仕事についた。

といっても派遣労働者としてだ。

この倉庫での肉体労働は、当時の自分にとって新鮮で、リハビリにはちょうど良かった気がする。

お金をもらって筋トレをしてる感覚、働いて体を使えば使うほど、自分の筋力がアップして、体が強くなっていく感覚があった。

そして、倉庫への積み込みは、テトリスみたいでパズル感覚で達成感や楽しさがあった。

そうこうしているうち、そんな生活をしているうち、鬱っ気というか、何にもできないしたくない…という気持ちは和らいでいった。

しかしながら、週一度のペースで同時に働いていた地元の顔見知りのレストランでの接客の仕事は、緊張や苦手意識を持っていた。

苦手な人、緊張する相手の前で接客するのは苦痛で、社会不安障害、社交不安はそのまんま残っていた。

そんなこともあり、また、再度不調になってしまうのが怖い、また、薬を飲まなかった時の離脱症状が怖くて、服薬と通院は続けていて、気が向いた時にカウンセリングを受けるという日々は続いていた。

そんな生活の間、海外に住む友人のもへ尋ねたり、興味のあった格闘技の同好会の練習に参加するなどして4、5年の月日が過ぎ、30を手前にした時、将来への不安や、今の派遣労働者としての立場や待遇への疑問や不満なども出てきて、なにか職につくことを考え始めた。

ただ、1度目の就職の失敗で、普通の仕事はもうできないと思っていたし、その時の自分が思ったのは、昔から自分は群馬の祖父母と密接に関わっていたり、家に祖父母と同居していたりして、老人と接するのには緊張しないし慣れている。

だから、老人相手の、老人介護の仕事をしてみようと思った。そして、その後介護の資格を取る、職業訓練校の試験を受け資格をとり、地元のNPO法人が運営する介護施設で働くことになった。


2度目のカウンセリング、女性カウンセラーとの面談の終了は、この介護施設での就職が決まるか決まらないかといった、もしくは職業訓練校への入学が決まるか決まらないか、詳しくは忘れてしまったが、そんな時期に訪れた。

将来に迷ったり決めたりしないといけない時期、久しぶりにカウンセリングを受けてみようと思い面談の予約をした。

すると、カウンセリングの場に現れたカウンセラーの先生は、その時半年ぶり?くらいにあったカウンセラーの先生は、お腹が大きくなっており、妊娠出産のため、病院を辞め、産休に入ることを告げられた。。

これから、自分の将来や未来が変わる不安な時期に、頻繁には通っていなかったものの、自分のそれまでを知っているカウンセラーの先生がいなくなるのはショックだった。不安になった。

しかし、産休というおめでたいことでもあり、そんな自分の本心は告げることもなく、引き継ぎや今までの経緯などを話し、面談は終えたと思う。


こうして、私の2度目のカウンセラーとのカウンセリングは、またしても自分の意思とは関係なく、突然、不如意に終了することになった。

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