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秘密の重みと植木鉢ヘルメットの公園

すべて秘密というものはその部分に働く者の慢心から洩れるのだと気がついたのはそのときの何よりの私の収穫であったであろう。

横光利一「機械」より

公園の入り口に、植木鉢を頭から被ってヘルメット代わりにしていた少年がこちらへ歩いてきた。僕は、すぐに少年からその目を離せなくなった。

奇抜な姿をしていたからなのか、もしかしたら、植木鉢柄の帽子だったのかもしれないと、自分の目の錯覚なのかと思ったからだ。

思い込みは、時に事実を覆す。

だが少年は、間違いなくプラスチック製の植木鉢を頭から被り、普段使いしているような空気を持ち、ちゃんとしたあご紐を装着し歩いてきた。

僕は図書館で借りた本を青空の下、野外で気持ち良く音読していた。

そして、「田中冬二」の詩集をベンチに置き、ニヤニヤと浮き足だっていた心を沈めた。詩集を自らの傍らに置くという僕の行為に少しのカッコ良さを感じつつ、少年が僕の前を通りすぎるのを腕と足を組みながら待っていた。

少年は、その手に植木鉢とお揃いの茶色の長方形のプランターを手にしていた。

頭と手にそれぞれ抱え、いったい何をそんなに植えるのか僕は気になった。

「やぁ。君はどこで何をするんだい?」

少年は、僕の独り言だと思ったのか怪しいおじさんだと思ったのか一切こちらを見ずに、足取り早く通り過ぎようとした。

僕は、不審者のおじさんの仲間入りになってしまう恐怖に駆られ、少し優しく歩み寄った。

「待ってくれないかい。質問を変えよう。君はその植木鉢に何を植えるんだい?」

少年は立ち止まり、僕の目を見てから、少し疑いを残しつつ温和に僕に微笑んだ。

「おじさん。こんにちは」

僕は、あれほど挨拶だけはしっかりしなさいと言われて育ったのに、それを思い出させてくれたこの少年に感謝しながら、挨拶すらしない自分に腹が立った。

「やぁ」は、挨拶ではないと心にメモした。

「やぁ、挨拶が遅れて悪かったね。こんにちは。もしよかったら、おじさんに君がそこに、いったい何を植えようとしているか教えてくれないかい」

心にメモした瞬間に「やぁ」と発している自分に呆然としながらも少年の返事を待った。

少年は、少し困ったような表情を残しつつ淡々と言った。

「秘密だよ」

僕は、少年が何を秘密にしているか知らないが、その秘密という言葉に興味を持った。

「なるほど。一つだけ聞かせておくれ。いったい何の秘密を植えるんだい?」

少年は、深く息を吐くように笑いながら僕に言った。

「おじさん。秘密は、秘密だよ。おじさんには言えないから秘密なんだ」

僕は、はぐらかす少年に一つの提案をした。

「君の秘密を僕は知らないし、知ろうとも思わない。だけど、もし秘密を植えるのに邪魔にならないのなら、僕の秘密も一緒にしてもらえないかい?」

「おじさんも秘密を隠したいことがあるの?」

少年は、初めて僕に興味を示した。

「おじさんくらいになると、全身を秘密で隠さないと歩いて行けないくらい厄介なんだ」

「雰囲気も見た目も怪しいもんね」

思わぬ直球に心が傷ついたが、耐えられる大人になれた自分に感心した。

「そういうことは、言わないで秘密••にしておくことだぞ」

気の利いた大人のコメントの存在を確認しようとしたが、存在しなかったかのように流された事実にショックを受けたが、少年はどうやら僕に付き合うことにしたみたいだった。

「おじさん。じゃ、この植木鉢に秘密を一緒に植えよう」

そういうと、少年はヘルメット風植木鉢を地面に置いた。僕は、ヘルメット風植木鉢が植木鉢として少年が認識していたことに一つ安堵した。

「なぁ。秘密を植えるにはいったい何で植えるんだい?」

少年は、少し考えてからこう言った。

「おじさん。通常の秘密は、砂の上に乗せてその上にまた砂を乗せるんだ」

僕は、答えた。

「なるほど、でもその方法だと砂は固まらないから秘密はすぐに漏れていってしまわないかい?」

少年は、笑いながら語る。

「おじさん。その通りだね。じゃ、下の砂は濡らして固めよう。漏れないように」

「それを世間ではサンドイッチ戦法と言うんだ」

僕のサンドイッチ戦法のネーミングは、不発だったがやり方は採用された。そして、渇いた砂を秘密の上に覆った。

「ねぇ。おじさん。おじさんの秘密は叶えたいもの?隠したいもの?」

「それを君に伝えると秘密の重みが減るなぁ。どうだろう。ならば僕達の秘密を打ち明けて2人の秘密にしないかい?」

少年は、逡巡しながら答えた。

「わかった。僕の秘密教えるよ」

私は、少年にこう言った。

「なぁ。それは本当はとても危険なことなんだ。一つ秘密を喋ると秘密の重さは軽くなる。一回喋ったから次に喋ってもいいやってなってしまうんだ。君が心を許して僕に秘密を話そうとしてくれたことは嬉しい。だけど、おじさんの秘密なんて君の人生からすればとても軽い。おじさんがもし君だとしたならば、秘密を聞いた瞬間に違う人に喋る自信がある。な、秘密は秘密にするのが一番だとは思わないかい?」

少年は、笑いながら納得した。

「おじさん。最低だけど正しいね。じゃ最後に秘密がうまくいくように四つ葉を探そう」

最低だけど正しい僕は、四つ葉を一緒に探して植木鉢に置いた。なぜだか2人で手を合わせ、お互いの秘密の成就を願った。

少年は家に帰るというので植木鉢を洗った。濡れた植木鉢をそのままヘルメットにもさせるワケにもいかず、僕は僕のハンカチで拭いた。

「おじさん。またね」

少年は、プランターを抱え走り出そうとしたので僕は最後にとびきりの台詞をプレゼントした。

「なぁ。今日のことは秘密だぞ」

少年は、この日一番のハッキリした声でこう言った。

「こんな怪しいおじさんの話し、誰にも出来ないよ」

結局、不審者からの脱出が出来ずに終わったことを、僕は心から秘密にしたかった。

ベンチに戻り、「田中冬二」の詩集をもう一度、音読してみた。

潮風の粗い香りがパッションを掻き立てる
浜昼顔の花が咲いていた
海辺の町の小料理屋の昼
鱚の塩焼さよりの刺身鮑の酢のもので
酒を酌みながら女とたわけていた
夏衣の女は胸をはだけてセンシュアルだ
グラマーな女だ
そのうち酒のまわつた女はしなだれかかつて来た
女の爛熟した体重がダイナミックな夏を感じさせた
それは白南風のトリックだ
そしてまたトラップだ

田中冬二 白南風より

最高の音読により、昼から夜のお店に行きたくなり、それを秘密に出来るのか、さっき隠したはずの秘密がもう漏れているのにとても不安になった。

欲望とは、秘密にしても隠しきれない事実を知る。

思い込みは、時に事実を覆す。

この物語は秘密です。










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