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HSPブームに見るラベリングの罠

最近、HSPに関する発信をやたらと目にする。

「HSPあるある」
「HSPの私がしている〇〇」
「HSPの彼女をもつ彼氏の・・・」

なんだか胸のあたりがもたれてくるのは私だけだろうか。

HSPとはHighly Sensitive  Personのこと。環境感受性が敏感な人を指す言葉だ。

今やかなり浸透している言葉だと思うので説明は省くけれど、詳細な情報を知りたい場合は以下のサイトがおすすめ。
Japan  Sensitivity  Research

ネットに溢れる様々な情報のうち、根拠ある正しいものをまとめてくれている。

私がHSPという言葉を知ったのは2017年の秋。
自分に自信がなくて、他人からの見られ方をとても気にしていた私は
ネットでありとあらゆるワードを検索して、この本にたどり着いた。

「鈍感な世界に生きる 敏感な人たち」

この本にはHSPチェックテストがついていて、
私も診断した結果、HSPとのことだった。

この本に出会った時、とてもホッとしたことを覚えている。

みんなが気にもとめないことが気になって、気になっていることを気にしてますます息が詰まる。
そんな日々に「原因があったんだ!」とわかって、

私だけじゃなかった
私がおかしいわけじゃないんだ

そう思うと、心がフッと軽くなる気分だった。

正体がわかったなら、使いこなせばいい。
姿が見えずに怖がっていたおばけを、味方につけたみたいだった。

ところが今は「HSP」という言葉を見ると疲れてしまう。

「HSPだから、人混みが苦手」
「HSPだから、すぐ疲れてしまう」
「HSPだから、些細なことでも傷ついてしまう」

そういうこともあると思う。
けど。

(出かける時は人混みをなるべく避けたい。そう思うのはやっぱり)
「HSPだから、人混みが苦手」

(ただ仕事をするだけなのに、帰宅するとぐったり。こんなに疲れるなんてやっぱり)
「HSPだから、すぐ疲れてしまう」

(仕事でミスを指摘されたことが忘れられない。こんなに気にするなんてやっぱり)
「HSPだから、些細なことでも傷ついてしまう」

こんな風に、これまで自分にとって当たり前だった世界を、
みんなみんな「HSP」という性質に紐づけて
自分だけの小さな快適な世界に閉じこもろうとしてはいないだろうか。

自分を守ってくれた鎧が、重すぎて足枷になっているかのように。

これは自戒をこめて書いている。

たまに声が大きいお客さんにイライラするけれど、カフェで作業することが好きだ。

だけどいつしか「私は音に敏感だから」と、
万一に備えた耳栓がわりのイヤホンが手放せなくなった。

嫌なニュースを見て落ち込んでも、忘れるのをじっと待つことができた。

それがいつしか「私は心が繊細だから」と、
嫌だな、悲しいな、とわざわざ反芻して、落ち込んでいる時間を長引かせてしまったりする。

これはHSPに限った話ではない。

「私は女だから」
「男の子だから」
「ママなんだから」

自分を表す言葉があるのは幸せだ。

自分のことを説明できて、理解してもらえるということは、
世界と繋がれるということだから。

だけど、いつしか言葉の枠に自分を収めようとしてはいないだろうか。

どんな言葉よりも先に、私は私だ。

このことを忘れないようにしよう、と思う。

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