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【誰かに聞いてほしい気持ち】001 両親の写真

両親の写真が送られてきた。
ただ、それは父と母、それぞれ一人で撮られたものである。

父は、椅子に座り、少し笑顔でこちらを指さしている。
母は、介護用ベッドの背もたれを立てて上体を起こし、こちらに向けた顔は片目だけが薄く開いている。

これらの写真は、別々の施設から届けられたものだ。

母は、5年以上も前から特別養護老人ホームへ入居している。
その数年前から認知症は始まり、父が懸命に介護していた。

私も毎週末には訪れて一緒に過ごすようにしていたが、ある時期から息子である私のことも誰だか分からないようになってしまった。食事も少なくなり、薬を飲むことも嫌がるようになり、そしてほとんど寝たきりに・・・。

週末だけ会う私でも精神的なストレスは大変なものであった。毎日、付ききりでいる父の体力的疲労と精神的苦労は計り知れない。そこで胃瘻手術をきっかけに母の特別養護老人ホームへの入居を決めた。

それから約3年以上、父は毎日かかさず母の元へ通っていた。80歳にもなるのに自転車で、長距離を、坂道さえ越えて・・・。

2年前の春、鬼怒川・日光の温泉旅行へ父を連れていった。
さすがに毎日自転車に乗っているだけあって、日光東照宮の急な階段も自分の脚で頂上まで登り切った。
この分ならば足腰はまだ大丈夫。そしてこの温泉旅行が気分転換になってくれれば・・・と思っていた。

その数ヶ月後、コロナが急拡大した。
母のいる特別養護老人ホームも、面会は謝絶されるようになった。

父は毎日通う場所を失った。
母の元へ通うため、足腰を鍛えるため、日課にしていた朝の散歩やラジオ体操にも行かなくなっていた。

それに私が気づいたのは、旅行から4ヶ月後のことである。

コロナの影響でドタバタしていた仕事が少し収まり、様子を見にいったときには、すでに父の生活は一日のほとんどを布団の上でラジオを聴くだけのものとなっていた。

わずか4ヶ月である。
わずか4ヶ月前には急な階段も自力で上り下りできていたのだ。自転車で母の元へ毎日通っていたのだ。

母に会う、という目的が無くなってしまった父の脚は、このわずか4ヶ月の間に急激に細くなっていた。

自転車に乗ることはもちろん、外を歩くことも危ない。

コロナの影響で在宅勤務となった私は、ほぼ毎日、父の様子を見に行くようになったが、布団や座椅子から立ち上がるのが難しくなり、時々後ろに尻餅をつくようになり、ベッドに変えてからは一日中ベッドの上で酒とラジオという生活になってしまった。

筋力が衰えるとシモの方も自分でコントロールできなくなり、あれだけ母には認知症の進行を遅くするために記憶力の努力をさせていた父に、認知症の症状が出始めてしまった。

一人暮らしの認知症は怖い。

そして、昨年の秋、とうとう父を施設に入居させた。
できることならば、母と同じところへ入れてあげたかったが、順番を待っている人は何万人もいる。そこの順番待ちをしながら、別の施設へ入った。

今、私の家族はバラバラである。

しかも、コロナのせいで会いたくても会えない。
この2年間で母と会えたのは、誤嚥で救急搬送され、深夜に病院に駆けつけたときだけである。父とは入居のときに送っていって以来、会えていない。

入居するために送っていく車の中での父の言葉が忘れられない。
“ 寂しいからときどき会いに来てね ”

もう一度、送られてきた写真を見る。
「ご家族様へ ○○様 のご様子」とだけ書かれている。

次に会えるときまで、父は元気だろうか・・・。
次に会えるときまで、母は元気だろうか・・・。
次に会えたとき、父は喜んでくれるだろうか・・・。
次に会えたとき、母は息子だと分かってくれるだろうか・・・。

次に会ったとき、二人は・・・許してくれるだろうか・・・。

今、母のいる特別養護老人ホームへの父の入居を申請中である・・・。


★長年、親身に相談にのってくれたケアマネージャーさん、いつも笑顔で対応してくれたヘルパーさん、皆さんに感謝です。
後日、御礼の気持ちの手紙を送りました。

★気持ちを知っていただいた方、スキやコメントいただけると元気出ます。


「誰かに聞いてほしい気持ち/002 支援の仕方」はこちら
「誰かに聞いてほしい気持ち/003 上島竜兵さんへあまりにも悲しすぎる感謝」はこちら


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