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フラッシュバックの疑問

フラッシュバックってなんですか。よーし、Wikiさんに聞いてみよう。

強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。

ほうほう、なるほど。他のサイトを見ると[侵入症状]とも書かれていて、思い出したくなくてもその出来事や光景が勝手に思い浮かぶ、感情が萎縮する。

それって[症状]なの?[普通のこと]じゃないの?要は脳が自動的におこなう連想ゲームってことでしょう。蘇った感情に「心を持っていかれてしまう」「思い出したあの時に心が戻ってしまう」そういう現象、誰にでもあるんじゃないの?私の場合は救急車の音を聞くと動悸がするとか、夜中の誰もいないリビングに入ると母が倒れている光景が浮かぶとか、それってたとえば母校の前を通ったら「懐かしいな、よくあの一輪車で遊んだなあ」「あそこにタイヤの遊具があったっけなあ」そういうのと同じことなのだと思ってた。

ネクタイを直視できない、触れない、ネックレスをつけられない、首に触られるのを極端に嫌がる、自宅の階段を通るのに躊躇する、私のそういう習性はトラウマと言っても差し支えないと思う。けど、母にまつわるエピソード記録が自動的に思い出されたり、母の言葉(私の病気はあんたのせいとか、産むんじゃなかったとか)が頭の中に聞こえたり、そういうのは連想ゲームの一環だと思っていた。普通がわからない。だから普通という言葉は嫌いだ。

自分が生きづらいのを母のせいにするのは卑怯だと思っていた。母の支配欲、精神疾患、過保護、過干渉、暴言、奇行、それら全てをひっくるめて「でも、それでも自分の人生を選んできたのは自分だし、全部自分のせいだし」と思っていた。それは今も思っている。

それでも[いったん全てを母のせいにしてみる作業]は必要だったのだと思うし、手当たり次第に本を読むことで「そっかあ、私がこんだけ拗らせたのは仕方のないことなのだな」「それでもここまで生きてきたの、ワタシってもしかしてすごく偉いんじゃね?」と調子に乗ることも、きっと必要だった。

ぶっちゃけ、全く記憶がない時期もある。母の病状によって住む場所、預けられる先が違ったので幼稚園ふたつ、小学校に3つ通ったのも原因のひとつかもしれない。小3あたりまでの自分がこの世に存在していたということを今でも信じられないし、そのころの成績表を見ても(母は成績表に固執するので全部保存してあった)何ひとつ、誰のことも、担任のことも、友達のことも思い出せない。覚えているのは「父も母も姉もいるこの家は、わたしの家ではないのだな」「自分の家なのにお邪魔しますって言わなきゃいけないのはなんでだろう」そういうぼんやりした記憶。

思春期、二十歳過ぎまでの記憶もあやふやで、その中で覚えているエピソード記憶というのはフラッシュバックだろうがなんだろうが私にとっては大切な手がかりなのだ。それらを検討することによって、母の心理や背景を想像することによって(死人に口無しだからね、好きに考察させてもらうよ)、自分の人生を、点を線に繋げる。自分を、noteの画面を相手にカウンセリングをしてみよう。

今はもう、母を恨んではいない。怒りはない。「そういう人だったんだから、仕方ない。」それはきっと、今が幸せだから。地に足をつけて自分で生きている実感があるから。母を「赦した」瞬間についてはいつかまた書きたいなあと思う。


思考を整理して[ひとまとめの文章]にする練習をしています。気になった歌詞、言葉、出来事など。