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遇う(あしらう)ということ

こないだ「これから気をつけないといけないなぁ」と思わされるヒヤっとする出来事に遭遇しました。

それは『紗倉まな「春、死なん」が傑作だと思った理由』と題して読書感想文ブログを更新したときのことです。

紗倉まなさんと言えば日本全国の人がこっそり(?)全員知っているだろう有名AV女優さんですが、近ごろは文芸方面での活躍も目ざましいお方です。
先日発売された「群像10月号」には中編小説「春、死なん」が掲載され、晴れて文芸誌デビューを果たされました。

紗倉さんは1993年生まれの25歳、Fカップ(ウィキペディア調べ)のすんごく可愛い女性です。

若くて可愛くて(おっぱいが大きくて)本職でトップの地位にいるにもかかわらず、文芸誌デビューまでしちゃうなんて……すごすぎない!?!?
嫉妬に打ち震えてわたしゃ大変です! もう勘弁してください! みたいなノリで「春、死なん」を絶賛したブログを書きました(もちろんちゃんと読んで感想文を書いています、もしよろしければ読書感想文もご覧くださいませ)。


そして「あわよくば本人が見てくれるかも~うしし」という下心丸出しでツイッターにブログの宣伝をツイートしました。

そしたら! なんと!

ご本人が読んでくださり、リツイート&リプライまでしてくださいました!
うれしい~!優しい~!大好き~!(ドリカムの曲にのせてどうぞ!)

で、わたしがヒヤっとしたのは紗倉さんのリプライのなかのとある表現でした。

「遇う(あしらう)」ということ。

意味をネットで調べると、以下の3つの意味が出てきます。
1 応対する。相手をする。
2 相手を見下したような気持で接する。
3 添える。
紗倉さんがおっしゃった「遇う」は、②の意味で使われていました。
わたしはこのリプライを読んで、うれしい気持ちとともにとても切なくなりました。

職業柄、いろんな人から偏見の目で見られ、人一倍人間の醜い感情の風を受けてきたんだと思います。
そんな彼女から出た「遇う」という悲しい言葉にはどんな思いが込められているのだろうと想像して胸が苦しくなりました。
いろんな気持ちがふつふつとわきあがり、わたしはこんなツイートをしました。

おそろしいほどの手間暇かけてつくられたものを、いったい誰が「遇う」なんてできるでしょうか。
つくられたものを「遇った」ひとは、いったい何様の立場でそんな態度がとれたのでしょうか。

わたしが思ったのは、ツイートの通り「遇う」のは紗倉さんに「嫉妬」しているからだということ。
おそらく、「産みの苦しみ」を味わった人ならば、そんな簡単に「遇う」なんてできないと思います。

……と、ここまで書いてもうひとりのわたしが叫びます。
そういうあんたが何者やねん! と。

ここからが本題なのですが、この「遇う」という態度について考えていると、わたし自身も日常生活でけっこうやっちゃっているんじゃないか、と突然ヒヤリとしたのです。
例えば、

わたしは人よりも仕事をがんばっている。
わたしは人よりも身だしなみに気をつけている。
わたしは人よりも細かいところに目がいっている、気配りができる。
わたしは人よりも、自分の人生をがんばっている。

こんな風に自分は意識高い系だぜー! って思って、なんというか“社会のご意見番”みたいな気持ちになって周りにいるわたしよりだらしない人を遇っちゃっているんじゃないかと。

わたしよりだらしない人ってどんな基準かっていうとめちゃくちゃしょうもなくて、洗い物を放置するとか、経験が足りないためにイレギュラーな対応にまごついちゃうとかそんなもんで。
そんなしょうもない理由で人を遇うあんたの方がしょうもなくないか!? とふと思ってしまったのです。

いつのまにか自分のいまいる環境が「当たり前」だと思ってあぐらをかいちゃっていないか?
なにかを成し遂げる努力を、何者かになる努力を怠っていないか?

「遇う」暇があったら自分との戦いに集中しろって話です。

自分で書いた言葉がブーメランのようにグッサリ突き刺さり、しばらく「うわぁ〜そういうわたしが頑張んなきゃ〜!」と改めて思ったのでした。

これからは「つい怠けてしまっていろんなことを遇いたくなっていないか?」と事あるごとに自分に問うていきたいと思います。

この一件からわたしは作家さんリスペクトの気持ちがさらに高まりました🙏尊い…。

#思考メモ #読書感想文 #エッセイ #紗倉まな #嫉妬 #遇う #作家 #創作 #リスペクト #尊い

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