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古典哲学:ソクラテスと「無知の知」

 あなたは、10年後の1月1日にどこで何をしていますか?それは本当ですか?絶対にそうしていると言い切れますか?
 今こんなことを質問されて、答えられるでしょうか。

 誰にもわからないことについて、真剣にわかろうとした人たちがいました。ソクラテスもそのうちの一人です。彼は『無知の知』を発見した偉大な人物です。
 紀元前400年頃、ギリシャのアテナイという町に生まれたソクラテスは、後の哲学者に多くの影響を与えました。当時のギリシャ人は「この世界のはじまりは何であるか」「人は死んだらどうなるのか」「最もすぐれた人間とはどういう人間か」といった内容をさかんに話し合っていました。
 なかでもソクラテスは石工(いしく)として働きながらも、いろんな人に出会っては質問をすることで有名でした。
 ある日ソクラテスは、デルフォイという神殿で、アポロンという神様からメッセージを受けとります。『ソクラテスより賢い者は、いない』と。
 ソクラテスはそれが本当なのかどうか確かめることにしました。そこで彼が発見したのは、『誰も本当のことを知らない』というショッキングな事実です。数学に詳しい人、政治に詳しい人、軍隊の偉い人、誰もがそれなりの答えを語るものの、ソクラテスが質問を重ねれば重ねるほど、相手の言うことがどんどん矛盾したり、相手が最終的に何も答えられない、ということが続きました。

 とはいえ、たとえば水の性質とか、建物の大きさとか、石の重さとか、戦いに勝つ方法といったものは、調べたり考えたりすることで答えが出ます。答えのある質問には、誰かが答えられるのです。しかし、どんなに考えても答えの出ないことがあります。特に「形のないもの」「目に見えないもの」についての答えを出すことは、今も昔も難しいままです。これを『形而上(けいじじょう)のもの』と言います。
 そういった内容について、誰に質問しても答えがないということをソクラテスは悩みました。しかし、長い悩みの日々の末にひとつのことを悟ったのです。
 それは、『私も、本当に大切ことを全く知らない。しかし私は、自分が知らないということに気付いている。』ということでした。
 これが『無知の知』と呼ばれる考え方です。『知』という字が2回つづけて出てくるから分かりにくいですね。「知らないということを知っている」というなぞなぞのような真理が、哲学を勧める大きな一歩となりました。
 
 じっさい、人間は意外とこのことに気付かないものです。偉い人たちも賢い人たちも、自分自身が無知であることに気付いていませんでした。だからこそソクラテスは『無知に気づいていない人と、無知に気づいている私。このわずかな差によって、私は他の誰よりも賢い』という答えにたどり着いたわけです。

 ソクラテスはこういう方法で、いろいろな人に質問しました。たとえば「人を殺すのは、いけないことですか?」とたずねます。そして相手が「いけないことです」と答えたとします。ソクラテスは質問を重ねます。「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と聞くと、相手は「法律で決まっているからだよ」と答える。そこでさらに「法律で決まっていなければ、殺していいんですか?」と質問するわけです。
 そうすると相手は困ります。「そうだ。法律で決まっているからだ。」と答えたなら、「じゃあ死刑は合法だから、やっぱり殺していいんじゃないですか?」となるし、「法律は関係ない。ダメなものはダメだ」と答えたなら、「なぜですか?」と質問される。「神様が悲しむからだ。」と言ったところでそれを証明する方法もありません。
 結局のところ、誰も確実な答えを出せないのです。

 ソクラテスが出会った政治家や学者、そして軍人や職人たちもこのように彼の質問を受けては、最終的に何も言えなくなりました。
 自分が無知であるということに、あなたは気づいていますか?もちろん野球のルールとか、紅茶の作り方なら知っている人も多いと思います。それよりは、形のはっきりしないこと、形而上のことについて、本当は誰も答えを知らないということが、実はよくあるのです。
 
 ソクラテスは最終的に大勢の人たちに嫌われ、危険な人だと扱われ、裁判で死刑にされました。それでもなお彼は無知にこだわります。「みんな、死ぬことは悪いことだと言う。でも誰も死んだことが無いのだから、死がほんとうに悪いことなのかどうかわからない。もしかしたら、死は実はいいことかもしれない。」と言って、特に抵抗するでもなく死刑に応じました。とてつもないこだわりですね。

 最初の質問に戻りましょう。あなたは10年後の1月1日にどこで何をしていますか?もう答えられるはずです。『わからない』ですよね。
 




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