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君の放つ冬の星座 第二夜☆(1)

199☆年 秋宵


「――宇都宮うつのみやくん、だよね?」
 夕暮の暗がりを切るような呼びかけに、僕は振り返った。
 凛として澄んだ声は、静かに流れる川面を通り過ぎていく。セーラー服にマフラーを巻いているだけなのに、寒さなど気にもしないように堤防から俺を見下ろす。そのシルエットに見覚えがあった。
 クラスメイトの望月だった。
「一人? 何しているの?」
 紺のスカートのプリーツが揺れる度、素足の白さが覗く。
 矢川は中学校の校舎脇を流れているが、舗装された土手に人影はない。寒空の下、同じ中学校の奴どころか、犬の散歩する人すら、見当たらない。河原には僕しかいなかった。
「宇都宮くん寒くないの?」
 教室以外で名前を呼ばれると、首の辺りがもぞもぞとした。陽が落ちるのが早くなったせいで、肌寒いせいかも知れない。
 見れば向こうも一人だった。
「望月こそ、何で」
 早口な僕の返事を気にすることもなく、当然のように望月は返してきた。
「ここだと良く見えるから」
「……何が」
 こちらを見るでもなく、背伸びをするように上を向き、鼻先で空を指す。
「星」
 聞き間違えたかと思った。
 ロマンチックなことを言う。クラスでの大人しい印象の望月から、星を眺めるのが趣味だとは意外だった。
 小さな鼻先の先に、真っ暗な空が広がっていた。雲ひとつない濃紺の中にチラチラと光るものが散りばめられていた。
 星だ。
 言われた通り、星がそこらじゅう溢れている。
「……ほんとだ」
 普段気にかけたこともなかった。暗いドーム状の至る所に輝きを見つけた。大きい星、それに寄り添うような小さな星もあった。
「あれ何だっけ。三つ並んでるやつ」
 はるか遠くに、同じ位の大きさの星が直線上に三粒ある。理科の教科書で見た気がする。
「ミンタカ、アルニラム、アルニタクのこと?」
「……ごめん、何?」
「馬頭星雲?」
「……ば、ばとう?」
「それともMメシエ43? Mメシエ42?」
「……ごめん。何言ってんのか、よく分かんないんだけど」
 宇宙人と喋っているように、突然の聞きなれない言葉に閉口する。すると、きょとんと目を丸くしながら、今度はゆっくりと望月が確認してきた。
「もしかして、……オリオン座のこと?」
「そうだ! それ」
 やっと知っている名前に胸のつかえが降りる。すっきりした僕とは真逆に、呆れた眼差しが刺さる気がするけれど。
「宇都宮くんこそ、星見るわけでもないなら、何してたの」

 僕への質問を、繰り返す。話を逸らすのが何だか面倒になってきた。
「……別に。考えごと」
 喉の底から低い声が出た。声変わりしたばかりの自分の声は冷たく響き、慌てて望月の方を見た。いつの間にか俺の真横に立っていた望月は、変わらず空を眺めている。
「今夜はプレアデス星団がよく見えるなぁ」
 こいつ、話聞いてたのかな。
 僕に全く興味ないようで、またしても聞いたこともない言葉を呟いている。
 すっかり頭上に夢中な様子に、思わずつられた。目が慣れて来てさっきよりも数多くの星が視界に飛び込んでくる。
「……すげ、星」 
「でしょ」
 なぜか望月は得意げだ。
 教室ですら一度もこんなに話したことないクラスメイトの隣で、見つけた星と星を点と点のように結んでみる。
 オリオン座と教えてくれたのは、横並びの三つの星を中央に、その上下に明るい星が囲んでいた。左の空側は赤みがかった星で、地面近い方右下は青白く一際大きい。改めて、目立つ星座だ。
 その大きさに目を奪われる。小学校の授業で習ったなぁと思い出し、大して勉強しなかったなと自分を笑った時、望月は、話を逸らしてくれたのかなと気付いた。
 隣で空に吸い込まれそうな眼差しは、やっぱり僕に興味なさそうだ。
(気のせいか)
 すると、
「星座、教えてあげよっか」
 僕の名前を呼びかけた時と同じ、迷いのない声だった。
「え」
 短い髪が真っすぐ、セーラー服の襟の上で切り揃えられている望月と、視線がぶつかった。今日初めて、きちんと向き合って話したばかりの望月と見つめ合う。星座を探す感覚で狂ってしまったのかというくらい、至近距離に、ゴクリと息を飲む。
「教えてあげる、星座。……夜空見てたら、大概のことなんてどーでも良くなるよ?」
 それはやっぱり、どこか得意げな笑顔だった。
 サッカー部を抜け出して来た僕に、その言葉は流れ星のように降ってきた。
 その夜から、僕と望月二人だけの天体観測が始まった。

   ☆

「お前、また女子と歩いてただろ」
 部室を出ると、お世辞にも爽やかとは言えない汗の匂いが鼻先を通りすぎる。男臭さに似合う下卑た声で、米倉よねくらが詰め寄ってきた。
「何が」
「隣のクラスの村瀬むらせ
 ああ、と僕はうんざりする。
 数日前、委員会の後一緒に帰っただけの女子の名前を引き合いに出し、米倉が早口で捲し立ててくる。
「告白されたんだろ。皆そう言ってんだよ。実際どーなんだよ」
 どこから沸いてくるのだろう、噂は怖い。無責任な言葉は、サッカーボールと同じくコロコロと跳ねて飛んでいく。いっそ蹴り飛ばせれば楽なのに、目に見えないから米倉の言葉の続きを待った。
「告白されたのかよ」
「いや」
「じゃあ何で一緒に歩いてたんだよ」
「一緒に帰ってほしい、って言われたから」
「んだよーー! 付き合ってくれってことじゃん」
 着替えを終えた他のチームメイトが一斉にこちらに注目する。何なに、と集まる奴等に大袈裟に米倉が騒ぎ立てる。うっとうしくて、奥歯を噛み締めた。
 告白を、されたのだろうか。
『今度の委員会後も、一緒に帰ってくれる?』
 村瀬さんとは美化委員同士で帰宅が一緒になっただけだ。断る理由がなかった。一緒に帰ると言っても家の方向が違うので、校門から五分もしないうちに別れた。恥ずかしそうに俯きながらも、会話しようと必死に見えた。少なからず好意を抱いてくれているんだろう。それぐらい分かっていた。
 正直、僕はもてる。米倉たちの基準によると、だ。
「ちゃんと答えてやれよ」
 騒ぐチームメイトの間をぬって、落ち着いた声が僕の耳に届いた。その大人びた言い方はチクリと刺してくる。太谷おおたにようが立っていた。
「ちゃんと……って何」




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