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歴史

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ときどき気が向いたら歴史にまつわる身近な話題について書くことがあります。
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帯広の地名:依田町と大川町

帯広の地名:依田町と大川町

依田町 帯広市の旧市街の住所は,基本的に条・丁目で表示されている。ところが,わずかだが,突然割り込むように固有名詞のついた地名がついている場所がある。
 一つは「依田町」。これはまず間違いなく,十勝開拓の祖ともいわれる依田勉三にちなんだ地名だろう。伊豆・松崎町の旧家出身の勉三は,開拓会社「晩成社」を率いて,帯広川下流域(オベリベリ)に最初の入植をした。現在の依田町の位置は,この最初の入植地にごく近

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もう一人の「開拓の祖」

もう一人の「開拓の祖」

 帯広市総合体育館の駐車場と帯広警察署の境界あたりに、「十勝開拓の祖鷲見邦司翁顕彰碑」という石碑が立っている。
 十勝で「開拓の祖」といえば、まず最初に名前が出るのが依田勉三である。そして、勉三とともに入植した渡辺勝や鈴木銃太郎など、晩成社の仲間たちの名前が挙がる。だが、鷲見邦司という名前は、その石碑を見るまで知らなかった。
 依田勉三の他にも十勝に入植し開拓の先鞭をつけた人や団体はいくつもある。

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鎮西八郎と九郎判官

鎮西八郎と九郎判官

 Facebookで「疱瘡絵」を見かけた。時節柄、疫病避けである。仇なすものを斥ける魔除けには鍾馗などの鬼神が描かれることが多いものだが、たまたま目に入った疱瘡絵には源為朝が描かれていた。
 為朝という人は、源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる人物で、「鎮西八郎」という二つ名がある。ごく若いころから乱暴者で、手を焼いた父(頼朝・義経の祖父にあたる源為義)が為朝を九州の親戚に預けたら、九州を平定する勢いで

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