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夫婦ケンカに潜む人間の習性

先日、バッチバチに火花が飛んだ。
夫との言葉の大乱闘から感じたことを書いてみた。


人間には習性があるらしい。
分類したがる習性。

男と女。
大人と子供。
金持ちと貧乏人。
日本人とアメリカ人。
障害者と健常者。

そして、私とあなた。

この分類したがる習性で、対立が生まれた。
私と夫。

わかり合うことを望めば望むほど、明確になった境界線。
きっと、分かり合えない互いの価値。

夫は、男。
夫は、寛大。
夫は、陽キャ。
そう夫を分類してた。

私は、女。
私は、繊細。
私は、陰キャ。
こう自分を分類してた。

自分の特性だけを話し、分類し、理解を求めた。愛せない自分の不完全さを、一方的に夫に押し付けた。

私は、理解されるべき人間。
夫は、理解すべき人間。


でも、気持ちってこんな単純ではない。
曖昧で、いい加減で、不明瞭。

結局は私も、夫も。
言い表せない、何かなのだ。

この曖昧さと不明瞭の中での、共通点。
それは人間であり、人間も動物ってこと。

気を抜くと、この動物の本能、習性に呑まれそうになる。
分類し、区別し、差別する。

この習性に本能に、気づく。
これは、人それぞれが持つグラデーションを愛する。
価値を認め合う、第一歩かもしれない。

だから、私は壊してく。
今までの関係性も、古い習性も。
そして、私は再生させる
これからの関係性と、新たな習性を。
私は、これからも夫と一緒に居たいのだ。





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