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ヤドカリはどこへ帰るのか。

その日も、いつものフロアで「暑がりは脱いでも暑い」という風潮のもと、カーディガンと膝掛けで自衛をしながら、冷房の直風を受けていた。声量は大きくないのに、それぞれの電話口の声はそれぞれ忙しくて、騒がしい。

窓の外の陽射しは、いかにも夏のそれなのに、冷え切った肩がちぐはぐで、あの陽射しは幻なんじゃないかと思った。

「夏ってこんなだったっけなぁ。」

と呟いたとき、その感覚はふいに訪れた。

「ああ。帰りたいなぁ。」

自宅にじゃなくて。あの夏に。

視覚どおりの暑い陽射しに、肌をジリジリと焼かれたくなった。川遊びで冷えた体で、温まったアスファルトに寝そべったときの安心感。刈られた草が、それでもバイタリティ旺盛に、伸びようとする香り。根拠はないのに、いつでも自分たちが最強だった、あの頃の夏。


ラジオ体操で集まったときに集合時間を決め、いつもの場所に集まる。お昼に一度帰って、午後にはまた集合場所へ。

遊び方と場所はその日によって変わるけど、私たちはみんな遊びの天才だった。お金を持ってる遊び上手な大人よりずっと。

よく川へ行った。流れの程よいポイントがあって、夏には毎年誰かが作った天然の冷蔵庫ができていた。石で流れを堰き止め、袋のままのゼリーやジュースを冷やすのだ。

当時私たちの間でブームだった「午後ティー」は、よく流れにさらわれて、みんなで追いかけた。1日のうち、誰か一人は持ってくるので、確率的にも一番よく流されたように思う。

誰かが「午後ティー!!!」と叫ぶ。それが駆けっこの空砲のように、みんなで駆けだしたものだった。つかまえるのは決まって、俊足自慢の男の子。私は足が遅かったので、追いつかないのは自明だったが、それでも一緒に駆けだした。ただ走っただけのことなのに、お腹から笑った。

ここが私たちのヒミツの場所。指した先から、向かって左の滝壺に向かって飛ぶ。

勢いよく流れ落ちるこの小さな滝は、その大きさに釣り合わないくらい、滝壺が深い。

だから地元の子どもたちは、みんなここから飛び降りて遊んだ。「飛べなかったら仲間外れね」と笑っておきながら、先に飛んだ子どもたちは、飛べない私を見捨てない。

「がんばれ」

「できるよ」

「一緒に飛んであげようか?」

「思いっきり、前に飛べばぶつからないよ」

「こわくないよ」


口々に言い、私が飛べるのをいつまでも待っていてくれた。

「いち、にぃ、の……」

何度目かのみんなの掛け声。さん、に合わせて思いっきり息を詰めて、岩から足を離す。どぼん、と音を立て、初めて飛んだ滝壺の中は、白い泡が絶えず弾けていて、清涼な炭酸飲料のようだった。目の前で生まれては消えていく泡、透明度の高い水。飛べたことへの安心感と全能感で、一層美しい景色に思えた。



私が初めて滝を飛べたその日、幼馴染の一人が、プラスチックの透明な水槽を持って来ていた。

家族で海水浴へ行き、ヤドカリを取ってきたと。正しいヤドカリの飼い方なんて知らないけど、ペットボトルに何本も海水を詰めて。

長野県には海がないので、磯の生物を持ってきた彼は、その日のヒーローに躍り出た。

みんなでヤドカリを持たせてもらって、異口同音に、羨ましがった。そのヤドカリはお盆にやってきた神奈川の親戚に頼んで、その夏のうちに海に戻っていった。

我々に囲まれて終始迷惑そうに貝に閉じこもっていたヤドカリを、私は今でも覚えている。



なんだか、いまの私ヤドカリみたいだな。


仕事やなんかで、少しイヤなことがあると、すぐ貝に引っ込みたくなる。……多くの場合、引っ込めないのだけど。

おかしいな。

あの頃の私は、確かに人間だったのに。

泣き虫、怖がり、意地悪、足の遅い子、話が苦手な子、恥ずかしがり屋、太った子、クラスでアイドルになれる可愛い子。

いろんな子どもがいたけど、誰もが自分の好奇心に素直だった。



あの頃は、飛べない私をみんなが待っていたように、誰かが壁に当たっても、損得などなく、誰かが助けたように思う。

この精神は大人になっても変わらずいると思っていたのに、いつのまにか世間の流れに、さらわれてしまったのかも知れなかった。川辺で冷やした午後ティーのように。


みんなも、あの滝壺の中を、思い出すことがあるのだろうか。




すっかり里心がついてしまいながらも、新卒社員が上げてきた資料のチェックをする。一ヶ所、勘定科目に誤りがあった。

この子もヤドカリになってしまうのだろうか。そうさせるのは私なのかもしれない。

そう思ったら、いつもより柔らかく、訂正をお願いできたような気がした。


週末、実家へ行ってみようか。幼馴染のうち何人かは、実家を継いであの土地にいる筈だ。

大人になった特権で、ビールでも片手に会いにいこう。



あの小さなヤドカリは、故郷と違う磯に放されて、生まれた磯を恋しく思っただろうか。

それでも新たな土地でも懸命に生きたことだろう。


いまの私は、あのヤドカリに似ている。






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