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掌篇小説『23年種』

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百貨店へ。

なじみの洋服ブランド店にゆくと、見覚えない女性店員が独りでいた。入社したばかりか、ベテランの異動なのか、ぐらいはすぐ判断のつきそうなものだが、わからない。それは年齢不詳だとか言うより、その人物が胸の名札をはずせば、空にフワリ飛び去ってしまいそうに、濁りない肌とか、ゆるいカールの髪とか、指や脚の淑やかなうごきの残像が、此方の世界のそれとは異なる質感に思えるからだった。

問えば、やわらかに微笑んでこたえる。
「私『23年種』なんです」
『23年種』とは、22年眠りつづけ、23年目の春にめざめ、その年の暮れにはふたたび、22年の眠りにつく人種である。同種の人間は思うより多くいるらしく、且つ殆どが、めざめと眠りの年を違えることがないのだという。即ち今年は、起きて活動している人口が、それなりにふえている訳だが。人が多く騒々しい、なんて気配は何処に行っても一切、感じない。

店員さんは23年前、さらには46年前にも、この老舗ブランドで働いていたそう。
服の傾向変わりすぎて困りません? と聞いてみると。
「いいえ、楽しいですよ。新鮮でもありますし、案外ずっと変らないことも多いんですよ。服のことにかぎらずね」
聴き心地のよい、ファルセットの声で言う。
服を捧げられるように薦めてもらったり、試着してから壁いちめんの鏡ごしに会話などして、関われば関わるほどに店員さんは、無垢な20代のようにも、凛々しい60代のようにも映り……と言うより、此方がそうあってほしいと欲する有り様に、店員さんは22年ぶりの光と影を自由に纏いながら、存在しているように感じられ、驚く。我々はそれを「魅力」ととらえれば終る話だけれど、『23年種』の人たちからすればその超能力(?)は、1年たらずしか起きていられない、22年の眠りが必要なほどの、尋常ならぬエナジーの放出なのだろうか? 或いは、「案外」どうって事ない暮らしの慣習や成り行きに過ぎぬのか? などと思う。

店員さんは、むろん全身をブランドでつつんでいたが、パンプスが新作だったほかは、組子みたいな模様のワンピースと、銀のチョーカー、黄色い硝子のリングは23年前、衿が花弁のような曲線を描くボレロと、ななめに被るちいさなトーク帽は、46年前のものだった。
ボレロの胸につけた、蒼くきめこまかな造りの、雨に濡れた風な薔薇のコサージュだけは、忘れたのか惚けるのか「これはいつかしら」と。微かながらほんとうに、薔薇があまく香る。

買い物を終えて。また会うことがあるだろうか? それともこれきり? と、微かにセンチな気分が湧いた。私が学生だった23年前にも、店員さんのようなひとに出会った気がする、そんな懐かしさもこみあげながら。
でも、彼方は実にあっけらかんと、且つビジネスとは明らかにちがう、やはり宙にフワリ浮くような笑顔で、
「有難うございました、又お寄りくださいませ」
と言った。


©️2021TSURUOMUKAWA

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<note内での掌篇コンクール『ピリカ☆グランプリ』応募作品です。審査員賞をいただきました。有難うございます>

<いぬいゆうたさんに朗読をして戴きました。有難うございます>


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