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短篇小説『第十位』

午后、八時。

一寸の狂いもなく、舞台中央にちいさなスポットライトが撃たれる。両手に桃色のボンボンを持った少女たちが隙間なくつどい、立体的な円をかたち造る。ボンボンをふるわせながら……客席から見おろせば、まるで不可思議な蒲公英の綿毛のよう。

そこに男女の声が響きわたる。

「ザ・朗読トップテン!」

舞台の総てにやわらかな光が溢れた瞬間、少女たちも桃色の尾をひいて四方へ散ってゆき。その後ろに隠れていた、ともに背のひくい司会の男女が、ともに笑顔で姿をあらわす。

ふたりとも、そもそもは司会を生業とする人物ではない。男はベテランの喜劇役者、女は今より十年ほど前、うら若き頃この老舗テレビ番組『ザ・朗読トップテン』にも出場していた所謂「朗読アイドル」で、現在は子持ちのタレント。
ふたりは巨大ホールにそぐわぬ、夫婦とも父娘とも上司部下ともつかぬ会話(「子供ばっかり構って旦那浮気してんじゃない?」「先輩みたいにすっぱ抜かれないよう言っときまーす」など)で場をぬるくしたのち、全国のテレビで生放送されている番組であるがゆえ、さっさと進行する。

今もっとも人気を得ている十組の「朗読者」およびその演目が下位より順に告示されるボード、そして天井から長い舌を出す風なエスカレーターの設置されたステージ東側に移動し。

「さっそくまいりましょう、第十位からの発表です、先週は小森絹美さん『雷鳴はサンドの仕業』でした。さて、今週は………」
「初登場、『十五・十六・十七』無花果万里子さん!」

男が叫ぶのとほぼ同時に、ホール天井から床まで黒々と舌を這わすエスカレーターに電飾がぎらぎらとかがやき。うごきだした階段を、わりに上背のある、しかしあどけない顔の少女が微笑みながらおりてきた。声援、ことに2階席西側を占める修学旅行とおぼしき黒の詰襟制服の男子群が「いっちゃーーーん」と、喉を裂きそうに叫ぶ。新顔の朗読アイドルであるようだが、もう若年層にその名は浸透している様子。

その無花果万里子の衣裳は、ツイードのスーツ上下にネクタイ、足にはブーツ頭にはベレー帽……英国紳士にでもなりたいとばかりのその姿が、却って背のびした少女らしさを際だてていた。司会のふたりと無花果万里子が絵面では和やかそうに、しかし時間がないのかステージ下にいるスタッフとおぼしき黒子のしめすカンニングペーパーをちらちら見つつ、それなりに早口で喋っている。
その間、ステージ中央では、音もなく淡々とセットが造られる。黒子たちがはこぶのは何枚もの、高さのある長方形のボード。すべてに、緑の風景が描かれている。……よく言えば印象派ぽい、悪く言えば粗雑な画。何十枚とあるそれらは、平行だけれど、一枚も重ねたり、真横にならべることはなく。手前は比較的明るめで、奥はこわいように深く暗い風情にしあげる。つまりは簡易な、森。気づけばステージ全体をおおうほどになっており、迂闊にはいればきっと、方向感覚をかるく見失いそうな迷路がくねくね……どこか人を小馬鹿にした風な奇妙な樹海ができあがったころ、無花果万里子は最後のやり取り(男がからかい気味に「そんなにお鼻の穴がちいさいと色々詰って大変でしょ」とかなんとか言い、戸惑う無花果万里子。女は「はいもういいから、どうどう」と男を抑え、無花果万里子をカナリアにでも触れるみたいに、ステージへと解き放つ)を終え、森の裏側へとはいっていった。司会の女が、今なお朗読アイドル時代の名残をのこした甘い声色で、
「それでは……緊張してますかね? 今週第十位に初登場です、無花果万里子さんで、『十五・十六・十七』」
と、朗読のはじまりを告げた。瞬間、五月蝿かった「いっちゃん」の声援がぴたりとやみ。すこしの間をおき、樹海の西隅から姿を見せる無花果万里子。先刻の司会の男から何を言われても絶やさぬ笑顔とうって変った無表情で、黒眼のおおきさがより際だつ。朗読と言うが白い手にはマイクで、本はない。どこかで黒子がカンニングを掲げているのか、或いは丸暗記か。
唇が、うごく。

「パパとママは」

それだけ言ってうつむくと、その放送事故すれすれの間をすでに熱心なファンは心えているのか「いっちゃん」の声援がまたいくつか。なんだか歌舞伎場みたいだが、無花果万里子の声はカナリアどころでなく、霧のように消えいりそうになっており。司会の女が言うように緊張なのか、或いは意図か。マイクが辛うじて拾う声に、誰もが耳をすませる。

「パパとママは、十七年前のじぶんたちを後悔しているかしら……十七年前に私を、パパとママのもとへ、天から呼び寄せたことを……
私が物心をついた頃から、パパはずっとお仕事が忙しくて、世界のあちこちを飛びまわっていたわ。何十日、もしくは何百日かにいちど帰ってくるパパ……帰るたび、何も変らず愛らしいママを抱きしめて、その次に私を抱きしめて、ママに聞えぬよう私の耳もとでこっそり『逢うたびごと君は、僕の知らない美の女神になってゆく』と、伝えたいと言うよりも、独り言のように呟くパパ。傷がのこりそうにつよい腕の力、どこかしら不自然な温りを覚えながら私は、パパにそう囁かれるたびいつも、スーツの袖口かるく抓んでうつむいて、あらぬ方を見つめたわ。パパにもママにも何故かひとつも似ていない私。大人の階段を、あらがえない何かにあやつられる人形のようにのぼり、独りぼっちで踊るように綺麗になってゆく私……」

無花果万里子はふいに、板の森に姿を隠す。次の瞬間、どう駆けても間に合わぬだろう距離のある舞台東側から、けろりと現れた無花果万里子。あまつさえ、碧いドレス姿に変って。そんな魔法のようなシナリオ? も皆にとっては常識なのか、男子校のみならず客席のあちこちから歓声が湧く。そしてマイクに寄せられた無花果万里子の唇がふたたびうごくタイミングまで誰もが熟知しているか、またしんと、鎮まる。

「私は十五になった。夏休みだった私を、パパは出張先の国へつれて行ったの。そんなとき、いつもならママも一緒なのだけれど、その頃おばあさまが病に臥せていて、おいてはゆけず。見おくるときのママの愛らしい笑みは、いつものようなシンメトリーじゃなかった。
パパと行ったのは、石畳の坂道と、白くてひくくて四角い家々と、碧く煌めく海の、果てしなく寝そべる国よ。あたたかくて、重力がすこしよわくて、誰もが無目的で、でもやわらかな笑顔と、鮮やかな水着やパレオだけで彷徨いている、天界みたいな場所。実際パパはそこでお仕事なんて、ひとつもしなかった。昼にはパパと澄んだ海で泳いで、夕暮れには潮風の薫るテラスでお食事をして、私も飲めと言われて素直にすこしだけお酒を飲んで……ママと私の住む町の夜とはちがって星座が狂うようにかがやきだす頃、ふたりで坂をのぼりきったところにあるヴィラに帰るの。……パパは、もう『パパ』という名の眼鏡もフィルターもない、ただヘーゼル色をした裸の眼で、十五の私の肖像を、血をわけた娘などではない、彼も誰も知らない国の女神を見つめていた。机においてあった、パパが書きかけていたママ宛の手紙を散り散りに破いて部屋じゅう撒いて、真夏のゆっくり降る雪に飾られた私も、パレオでもタオルでもなくレースのカーテンを胸に巻きつけ舞う私も、脱皮をしたばかりの白蛇のように艶めき熱せられたみたいに酔いどれた躯をおおきなベッドに這わせた私も、パパの節くれだった指がからみついてはすりぬける私のシルクの巻き髪も……私の動向、有り様はすべて、パパのヘーゼル色のスクリーン、近づくほど指環のルビーみたいに紅くなってゆくそのなかにあった。こわいように鮮やかに、映しだされる、鏡に幾度も生れる、と言うより、炙りだされて……いいえ、そんな悠長な時間は、僅かなこと。ふたつある筈のルビーも、私の像も、海風によく似たパパの薫りと一緒に、糸をひきながら交ざりあって融けて、もう何も、判らなくって……」

語っている間にも板の森をヒールの音をたて歩み、姿を見え隠れさせる無花果万里子。この森は……手抜きの張りぼてでもなければ、印象派を気どるのでもなく、マグリットの森をぎこちなく模しているのでは、と思う。
無花果万里子の語り口には変化がない。物語がどう流れようと、異性に指さえ触れたこともなさげな、解き放たれてもふるえているカナリアのように無垢な風情も、その儘。

「……気がついたら、十六の私の前には、あの碧い海も、ヘーゼルもルビーも、髄まで愛された記憶もなくて、ただ、古びたちいさな窓があって。そこにはいつの日も、沈鬱な森がひろがっていたの」

語りにあわせ、ステージの光量がおちてゆき、影が増殖する。またも、いつのまにやらグレイのワンピース、厳粛なシスターか女学生の装いに変っていた無花果万里子。

「私は女学校の寄宿舎に閉じこめられていた。誰からも手紙ひとつこないし、学校の女たちのお喋りも私にはすでに幼稚すぎたし、暇潰しに捲るテキストも聖書も、図書館のくだらない本も尽きてしまったし……
その国は、いつの日も曇り空。死刑囚みたいに、私の部屋は建物の最奥にある。出窓はそうね、まるで退屈な国営局しか映さない、壊れかけのテレビ。寄宿舎の裏、鉛の海さながらにひろがる森。その遥か沖では、日々男たちが狩猟をしていて、銃声を響かせていたわ。彼等が寄宿舎にくるのは無論赦されないけれど、あちらからすればこの出窓は、異空間、女神の肖像画、天国の投げキッス。巻き髪を揺らして頬杖つく私をひと目見ようと、こっそり近づく連中がいたの。やってくるのはいつも、一度に一人だったけれど、毎日おなじ男がつづくこともあれば、また別の男が月日をあけ、目利きのディーラーぶって現れることも……何にせよ誰にせよ、私と会うのも、言葉ひとつ交すのも叶わない。破れば、国さえ干渉のおよばぬ学校だけの法規で即刻、虫も同然に殺され地獄行きだから。誰もがモノクロの木々のすきまから、息さえひそめ、顔をのぞかせるだけ……今となっては、ひとりひとりの記憶は薄いけれど……ツイードジャケットとベレー帽ばかりのなかでひとり、生贄のように裸になって私を見つめていた、もしくは見世物になっていた男をまずは思い出すわ。好意的に言えば、森の猟師ならぬ太古の海の漁師といったところかしら? それにしては肌がかわいた白身魚で、顔も呆けていたけれど……枝葉から見え隠れする骨を、肉を、私は退屈を数秒埋めた御褒美みたいに、かるく髪をかきあげ朝陽のなかに在るように微笑んで、見返してあげたの……いつかしら、叢で判らない筈の男の足指が、左右共はっきり見えた日があって。それきりね………そして、幾人経た後だったか、最後の青年がきたわ。ナイフのように鋭いまなざし、気なんてないそぶりで私を見ては、去って、またきて……どうやらほんとうに森で迷ったのか、迷い子みたいに立ちすくむ夢の芝居なのか、夜が更けても未だいるみたいだった。……私、皆が寝鎮まった頃そっと出ていって、はじめて樹海に足をふみいれたの。夜でも鉛色の、不快な迷路。彼は、いたわ。ツイードの上下に、ネクタイ、ベレー帽、黒のブーツに、猟銃……恰好が凛としているほどに、真逆に背のびした少年のような薫りのする男。私が手にもっていた消えいりそうにちいさなランプに照らされながら、私は彼と誰も知らない暁を迎えたわ。睡眠薬いりの葡萄酒を口うつしで飲ませてあげた彼は、目覚めない。私は彼のツイードを着て、重い猟銃もしっかりたずさえて。閑かに眠る彼には私の制服、靴下やシュミーズやショーツまでひとつのこらず着せたわ……その夜、薫るくちづけを交した彼の腕のなかで、私は気づいたのよ。もうすぐ十七になる私をこの世に招いたことを、パパとママは後悔しているかもしれない。私は十七年後、後悔せずにありたいって思ったわ。私にとってパパもママも彼も、この森もあの海も、単なる、とおりすがり。もうここでする事は何もない。だから、逃げ出したの。サヨナラの言葉も、ふたたび会う約束も、土に埋めて」

そしてまた、ツイードの仮初紳士にもどった無花果万里子。その手にマイクはなくなっており、マイクですら重そうに感じられたほそい指で、かわりに黒光りする猟銃を、ますます不釣り合いに、だがしっかりと抱きかかえていた。この辺りが朗読のサビのような所だろうか、益々歓声はたかまり。

「パパは私にお金とパスポートだけは遺してくれていたから、どこにでも行けたわ。私は彷徨の果てこの国に降りたちすぐに、私の顔、とおりすぎた男たちのあらゆる色の眼光を、指環やティアラ、世にも複雑なラメ刺繍のドレスや羽衣のように纏って、麗華となるばかりだった女神の顔を、殺したの。世界じゅうの誰でもない、私だけの法規で。手術をして造り変えたの。脂肪注入で眼をちいさくして、鼻も顎も頬骨も削り輪郭に丸みをもたせ……シルクの巻き髪も切り刻み、ストレートパーマをかけ、烏の濡羽色に染めて……黒のコンタクトレンズもいれている。もちろん名前だって変えて。本名? とうに忘れたわ。もう肖像画にも、彫刻にも決してなりえないフラットでファニーな、ありふれた顔で、生まれつきのように言語も覚えて、笑っちゃうくらい安っぽいセーラー服で学校にかよい、独りアパートに住み、夜はアルバイトなんかもして……それまで生きたことのなかった『わりとよくあるタイプのふつうの女の子』を、それなりに、楽しんでいたわ……だのに、或夜バイト帰りに出会った芸能プロダクションに、おいでおいでと手招きされて、気づけば……こうしてまた、男たちの視線を釘づけに、泥のような視線の海で悦んで裸になっている。愚かしいものね。ほんとうに愚かしいわ。でも、これが。これが私のえらんだ、私の十七才なのね」

言い終えた無花果万里子は、またもいつのまにやらありふれた半袖のセーラー服姿になっており。腕に未だかかえていた猟銃を、丸顔と装いにそぐわぬ凛々しさで構え、そして銃声を、ホールに轟かせた。一発だったか、二発だったか。そして舞台は時間をかけてゆっくりと、光を失ってゆき。マグリットまがいの森がその姿をうすくしてゆく。
そのなかで、これ迄の無花果万里子が四人、朧にあらわれる。碧い海に染まったドレス姿の無花果万里子、シスターきどった寄宿舎のワンピースでやわらかに縛られた無花果万里子、ツイードの贋紳士にHENSHINしちゃった無花果万里子、そして今のどこか脳天気なセーラー服の無花果万里子……総てが、森の手前のあわい緑・奥の深緑と次元をあわせ合うような合わないような、掴み所ないテクスチャーとなって。……そのときにだけ、四人の無花果万里子の眼は、銃口から霧の如く吐かれる煙のむこうで、碧いオパールのような、つめたく鎮まりかえる冬空の色に、見えた。

完全なる闇と沈黙は数秒か。拍手と、もはや男女まざりあった「いっちゃん」の声がおきると呆気なく明かりは点いて。無花果万里子は最初の黒眼がちの、無垢な笑顔となりお辞儀をして、司会ふたりのもとへ帰ってゆき。『ザ・朗読トップテン』初登場記念の写真が、ポラロイドで撮られた。
その直後、黒子たちが腕で押しながら転びながら撤収させる森の向う、巨大スクリーンに無花果万里子の幼児期の写真が映しだされた。背丈以外は現在とまったく変らぬ顔と濡羽色の髪で、どこか下町か、正月か、振袖に着られながら、駒をまわし遊んでいる姿だった。内緒だったのか無花果万里子本人は、もぉ、はやく消してくださぁい、い・じ・わ・る、と、真っ赤な娘になって猟銃を抱きしめていた。司会の男は本気か台本か、ニヤニヤしてまたからかう(「お顔ちっとも変らないねぇ。身体はちゃんと育ってるかな?」と言ってスカートをかるく捲るなど)。
その様子に気をとられる間に、森は完全に姿を消し、次に第九位の朗読の為であろうミロのヴィーナスの男性版、顔がやや間延びして、女とちがい単純にだらしなく見える躯つき、股間をやや隠しきれていないそれが、はこばれてくる。
無花果万里子は出演者用のソファーにちょこなんと座り。黒子の指示も聞かず未だからかおうとする男を女が制し(「ねぇほかの穴もちいさいの? ねぇ」とにじり寄る男を女は背後からマイクで殴打し気絶させた。「峰打ちだから死んでないわよ」と微笑)、万里子ちゃんヤバイほど本気で可愛いですねぇこれからも楽しみですねぇ22世紀まで愛して! とかなんとかカメラ目線で言ったのち、さっさと第九位の発表にかかる。

ホールに、銃の火薬の匂いだけは未だ漂っていた。先刻の興奮醒めやらぬ、又はこれからの興奮を舌舐めずりで待つ客席のなかに、ひとりやふたり、葡萄酒薫る睡眠薬をふくんだが如く閑かに眠る、無花果万里子の衣裳をシュミーズやショーツまで身につけた男がいるだろうか。





©2022TSURUOMUKAWA

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