ワンワンなんだよ俺達は


22歳と聞いて感じる感覚は世代毎に異なるだろうが、現在、私が22歳になって思うのは
「犬でいうと2歳か」これに尽きる。

犬は人間と比較して寿命が短い。(犬と人間の寿命の長さは逆の方が絶対によいのだが)
犬が人間の年齢に喩えられることは柴柴あるが、それならば人間を犬の年齢に喩える事があってもなんら問題はないだろう。私はまだ2歳なのである。当然分からないことだらけであるし、どんな過ちを犯したとしても「犬であればまだ2歳だからなあ」と許されるべきであるのだ。

私を客観的に犬種に当てはめるとしたら、まず間違いなくトイプードルかチワワである事は皆さんも想像に易いであろう。(私はめちゃくちゃ可愛いので)
しかし、私はドーベルマンでありたい。男たるもの、ドーベルマンであるべきなのだ。
「2歳のドーベルマンです。どうぞよろしく。」
これで、大概の野郎はさながら犬のようにキャンキャンしっぽを巻いて逃げ出すことだろう。

つまるところ、何が言いたいのかと言われると、全てを許されたいと言うだけの話である。私は初めから何も持たざる者であるのに、何も失いたくないのだ。お金、恋人、信頼、友人。私は内向的で、閉鎖的で、それでいて強がりなのにも関わらず、孤独には耐えることが出来ないという傲慢な側面すらも併せ持っている。ただ、そんな欠陥があっても私がなんとか生を続けられているのには、根幹に「犬なら2歳」という思考、思い込みが根強く存在してくれているからに他ならないのだ。2歳なのだから本当に全部が仕方ないのだ。

今年の節分は酷いものになったということもまた、インターネットという宇宙に吐き出さなければいけない事実であった。「私の恵方は貴方がいる場所だ」と抜かしていた男の陽気な姿は、翌日には虚偽に満ち溢れた痩せこけた猿にと凋落していた。人生最大の失敗は鏡月の無差別飲酒によって引き起こされ、皮肉にもその日の月は満ち、鏡の様だった。恵方を失った日である。

そんなこんなで、2023年は最悪のスタートを迎えている訳だが、どうせ人はいつか死ぬのでモーマンタイではある。ただ、いつか死ぬその日までの毎日こそが生活であることを忘れずに生きていこうかな、、、雨が続きますね

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