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【宗教2世ごろごろケア日記03】ケアされて「ずるい」問題


 まいどおなじみ、ごろごろしながら宗教2世のケアについて考える連載ですよ。

 まー日記なんでね。その都度話題はバラけますが。いつか全体としてはまとまりが見えてくるんじゃないかな。

 宗教2世の支援について実際に考えたり、アイデア出しやリサーチ活動をいろいろしている中で「ずるい」「ずっこいわ」問題がけっこうな頻度で飛び出すので、その話題をちょっと書いておこう。

 これは宗教2世に限らないんだけれど、ある問題に対して「支援」や「ケア」をしよう、という話になると、かならず

「ずるい」「ずっこいわ」

という意見が出てくる。でも、それらは目に見える形で「そんなのずるい」とは言わず、まるで後ろから味方を銃撃するような、足をひっぱるような発言として飛び出してくるから始末が悪い。

 すごくわかりやすい例で言えば、「宗教虐待」と「通常の虐待」はどう違うか、みたいな議論があるじゃん?

 そういうとき、いろんな形で「ずっこいわ」問題が噴出するのだ。

■ 宗教虐待だけを特別視していいのか?他の虐待もおなじジャンルの問題がたくさんあるだろう


みたいな言説とか。あるいは言ってることは真逆なんだけど、


■ 宗教虐待は、特別な問題であって、特別に対応しなくてはダメだ


みたいな言説もある。

 これ、実は根っこは同じで、

「おまえだけ特別扱いはずるいわ」「自分の体験は特別扱いしてほしい」

と言ってるだけなので、両者は実はおんなじなのね。嫉妬というか、妬みというか、足の引っ張りあい??

 これ、常にどこでも飛び出すので、覚えておくといいよ。

 「女性だけ特別扱いしていいのか、すべきか」「乳幼児だけの施策はどうか」「こどもだけお金配るのはどうなの」「低年収の家庭にだけ優遇とかマジ?」

みたいにそこかしこで飛び交っている。

 実は、こどもでも女性でもどんな属性を持っていても、「少しずつそれにひっかかる網に捕らえられて、少しずつ支援を受けられる」ほうが、全員にとってはマシなんだけど、かならず足をひっぱりたくなるクセが人類にはあるようで。

 「僕は、わたしは特別な存在でありたい」

という思いが、どうしても発動してしまうのだろう。

 これは特に、宗教2世のように「自分たちは普通の家庭に対して、それ以下のものしか親や環境から受け取っていない」と感じてしまう状況にあった人にとっては、かなりスッと入ってきやすい考え方のワナかもしれないと思う。


 こういうことは心、理学上である程度証明されているらしく

「人は損することのほうが2倍くらい敏感に感じとる」

という傾向があるので、誰もがこのワナに陥る可能性がある。だから「ずっこいわ」問題なのだ。

※ 詳しく知りたい人は新刊「バカと無知」(橘玲・新潮新書)あたりを読めばいい。


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 さて、正解はどうなのかというと。宗教2世における虐待問題はいわゆる世間一般の虐待やら毒親やら親ガチャ問題と「領域が重なっている」のが正しい。

 だから「特別扱いするな」と言いたくなるのにも、その部分では理由が一部はあるのだ。けれど、もう一方で「宗教バイアス」みたいなもので、本来の虐待・毒親・親ガチャ問題が「歪められる」という現実もある。ということは「特別の理由もある」ということになる。

 つまり、どちらも正解で、そのバランスの問題なのである。どちらも一部は正解なので、それぞれの立場の人間は

「ほれみろ!自分たちは正しいのだ!」

と言い出す。けれどどちらも「一部」だけをみて白黒二元論に落とし込もうとしているだけなので、完全正解ではないわけだ。

 ほんとうに正しく対応しようと思ったら、

「この部分は一般の虐待と共通だよね。こっちの部分は宗教上の特性だよね」

と、ちゃんと構造を整理して対応しなくちゃならないってこと。

 なのでとりあえず、

「ずっこいわ」問題が発生したら、その考え方を取り除いて、クリアに問い直す

ことが必要ということなのだ。

 ずっこいわ問題は「ワナ」なので、そこにハマるのはやめよう、というコンセンサスが必要というわけだ。


 むこがわさんはその昔、いろいろ人生に悩みある元教え子とかにいろんなサポートをしたことがあり(いや今もしてるけど)、その子に

「私には、いま必要なときにむこがわ先生がいてくれて助かっているけれど、それは他の人にはないことだと思っています。わたしはとてもズルいことを得ているのではないか?と罪悪感があるのです」

と言われたことがあります。

 これが「ずっこいわ問題」の気づきの発端です。

 その時、

「今あなたにとって私が何らかのサポートができたんだったら、それは多分良いことで、悪いことであろうはずがない。他の人にもし、サポートが届いていないんだったら、私も頑張るし、こんどはあなたがそうした人たちに何か手助けをしてあげて」

みたいなことを言ったと思う。

 そういうことを、この間ツイッターで

「恩送り」

という言葉で表現している人がいた。恩返しじゃなくて「恩送り」。良い言葉ですね〜。


 「ずっこいわ」の声が聞こえたら、「恩送り」になるように、その議論を書き換えていかないとダメだ、と思っている。

 それが今日の気づき。


(つづく)







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