見出し画像

「昔ながらの管理職」と呼ばれた部長と、お局さんのいない部署

私のチームは独立独歩。顔を合わせる打ち合わせは半年に1回で、チームメンバーで飲んだことがあるのも今までに2回だけ。そんな一見ばらばらなチームメンバーの調和を作っていた方が、先日ついに定年退職された。オンラインのチームミーティングに入ると必ず「おはよう、ねえねえ、まゆちゃんあれ見た?」と話しかけてくれて、プレゼンの後には「まゆちゃん、よかったよ^^」と個別のメッセージをくれた人。

だれにでもそんなふうに接してくれるので、慕っているメンバーが多かった。「女の子はお茶汲みと灰皿洗いから始まったのよ、今じゃ考えられないわね。でも工場のおじさんは優しくて、机の下の棚なんか空き時間に作ってくれたのよ。」そんな今では考えられないような昔話でも、にこにこと話すその人は朗らかだった。そして勤続年数が長い人の常で、社内の情報通だった。

その方のすごいところは、新しい社内サービスを次々と使いこなしていたところだ。IT化の影響で目まぐるしく社内システムは変わるが、その方はどんどん使ってわからなければどんどん聞いて、気づけばチームで一番詳しい人になっているなんてことがよくあった。頼りにされていたんだよなと思う。そして、そうやって仕入れた情報を惜しげもなく共有してくれるところには、年配の女性がよく見せる少しばかりおせっかいな優しさそのものだった。

会社も、時代と共にどんどん変わっている。SNSで見かける「窓際社員」のイメージからか、はたまた誰かの入れ知恵か、「歳をとった使えない人」というのが何となくいるものだと思っていた。日本企業への偏見か事実か。おそらく後者と言う人が多いような気がする。これもイメージだけど。そういうのを、定年のときまで変化に順応していたその人は壊してくれたと思う。バリキャリというよりとってもおっとりしているけれど、とにかく頼りにされていた。

送別会で、チームのそれぞれにメッセージをくれた。そのとき、「部長は昔ながらの幹部社員って感じで、できていないときちゃんと叱ってくれる存在だ」と本人に言っていたのが印象的だった。部長の方が若いから、その方自身が叱られたということはないと思う。けれども、チームを長く見てきたからこそ、若手や他の幹部社員に対して、厳しくも必要な言葉をくれる人だという意味だろう。

私は、ここで再び教わることがあった。実を言うと、私は部長の過度に面倒見の良いところとか、細かいことを気にしすぎることを、かなり鬱陶しく感じていたのだった。その人は私が配属された3年間のうちで、すでに3人目の部長だった。どれだけ部長が変わるのかという話だけれど、その中でいちばん部員とコミュニケーションを取ろうとする人だった。

それに少し戸惑っていた。何より、ここは干渉しあわない人たちが集まっている部署なのだ。みんなさっぱりと、でもたまに集うとおしゃべりができるくらいの関係性じゃなかったっけ。居心地の良い空間が脅かされるんじゃないか。そんなふうに少し怖さを感じたのも事実だ。入社前に思っていたいわゆる日本企業の環境より、ずっと風通しの良い場所にいるからこそ、ちょっと高望みになっているのかもしれない。

そんなことを感じていた半年間だったのに、それを覆された送別会のコメントだった。私の方が殻にこもって、凝り固まった視点から見ているんじゃないかと思わされたのだ。自分と少し相性が合わない誰かのことを褒められるほど余裕のある自分で居続けることは難しい。でも、数年しか社会を見ていない分際で、誰かをジャッジする目線でいることは、ちょっと思い上がりだよなと恥ずかしくなったのだった。せめて、良いところは受け入れられるような素直さを持っていたい。

昔ながらの幹部社員。ちょっと過干渉で、小言もあって、でも確かに、部員をよく見ているんだろうなという部長。そしてお局さんの代わりに、ポップで優しい大先輩のいた部署。4月からは少しそのチームを離れているけれど、3年目の最後にまた必要なことに気づかされた気がする。何度でも自分を振り返りながら、4年目も歩み続けたい。




この記事が参加している募集

仕事について話そう

仕事のコツ

with 日本経済新聞

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。 スキやシェアやサポートが続ける励みになっています。もしサポートいただけたら、自分へのご褒美で甘いものか本を買います。