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【連載小説】聖ポトロの彷徨(第12回)

32日目

なんということだ・・・ああ、なんということだ。

この光景を初めて目にした時の私の気持ちを、どうやって説明しよう。
映画などであれば、激しく泣き叫んだり、ひざを折って地面に倒れ伏したりすれば観客に伝わるのかもしれないが、あいにくこれは現実に起こっている事態であるし、また私がそういった醜態を実行したところで、誰も見てはくれないし、記録にも残らない。
この時の気持ちを巧く言葉に変換するのは難しいが、強いて言うとすれば、

『絶望』

であろう。


最初にコムログの周辺探査情報画面の端にその影を発見した時から、もしかしたら・・・とは思っていた。ディスプレイに映し出されたその物体は、本来なら相当の高さがあるはずの細長い建造物が、横倒しになったような形状をしていたからである。

砂利と埃の山道を歩くこと2日、夕暮れ間際になって、ひときわ高い尾根の頂から、その場所を見下ろすところまでやってきて、私のそういった漠然とした不安は、一気に現実へと引き上げられた。

そう、それはやはりその形でそこにあった。

往時には全高112メートルを誇った『大きな木』は、根元から1/3ほどのところからボッキリと折れ、そこから上だった部分が地面に横倒しになってしまっていた。

前任者はこの『大きな木』を、オベリスクのようなもの、と形容していたが、往時にはまさにその通りの形をしていたのだろう。
先細りながらすらりと伸びた巨大な鉄塔、その先端は二股に分かれ、まるで巨大なピンセットのような形状をしていたようだ。前任者の手記によると、この物体は、全体が一様に赤茶色の錆のようなものに覆われていたとあったが、現在は倒れている塔身も根元も全体が黒っぽく、ところどころが青く錆びてしまっており、まるで古くに打ち捨てられた金属の塊、といった面持ちに変わってしまっている。傾いた陽光を受け、錆びていない箇所がまだらにきらきらと輝いて見える事実が、この物体がすでに機能不全であることを物語っているように思えた。

要するに、人工知能ロヌーヌは今や、完全にその機能を停止している、ということになるのだろう。

私は尾根の頂に腰を下ろし、震える手で圧縮水分を口に放り込んだ。
眼下に広がる無残な光景をぼんやりと眺めながら、少しずつ小さくなっていく四角いグミを、口の中で弄ぶ。
そうしながらふと、少しずつ深みを増してゆく赤い空を見上げると、焦燥・期待・恐怖・不安・絶望といった様々な感情が、心からすうっと洗い流されてゆき、そして最後に、空っぽになった私だけがそこにいた。

空も大地もなく、光も影もなく、砂も風もない。ただ、夕暮れのオレンジ色に包まれた私だけがそこにいた。言い知れぬ寂寥感を覚えた私の両目からは、ごく自然に、涙が筋となって流れ落ちていた。

はっと自分を取り戻した私は慌てて涙をぬぐい、首を振って背筋を伸ばしたのち、やや大きな丸石を見つけて、その上でうろ覚えの座禅を組んだ。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。目は閉じず、目の前にある「かつて希望の象徴だったもの」をしっかりと見据える。その本当の姿を、自分の中に正確に取り込むために。

かつて、私が恩師から教わった言葉を、私は思い出していた。
「あきらめる、というのは、本来『事象を明らかに見極める』という意味なのだ。研究が行き詰まった時は、自分の中にある余計な期待や不安を忘れ、ただ、目の前にある現象にだけ心を向けなさい。『あきらめる』ことから道が開けることもあることを、覚えておきなさい。」

そう、ロヌーヌはもうないのだ。私のあては、これで全て外れたことになる。もはや私を助けられる人物なり存在なりは、この乾いた世界には現存しない。
そうなったら、後は『私がどうしたいか』、これに尽きる。
このまま飢えて死ぬのを待つのか、それとも、死んでしまうまで最後の悪あがきをするか。回収まで現地時間であと50日、この陽光の下、飲まず食わずで生き延びられる方法は皆無だ。悪あがきをするとしたら、一体どうすればいいか。

私は自分の両手を見た。握りこぶしを作り、また開く・・・そうだ、私はまだ生きている。そして、圧縮水分もあと4個残っている。体も一応まだ動く。
つまり、私にはまだできることがあるのだ。

私は座禅を解き、軽いストレッチで体をほぐした後、斜面をゆっくりと下り始めた。まずは、あの物体を調べてみないことには。

【記録終了】



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)