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【連載小説】聖ポトロの彷徨(第20回)

68日目

考えたくはないことなのだが、私が今体験しているこの世界とは、一体何なのだろうか。

この素朴な疑問について、私はノーラに直接尋ねてみたことがある。だが、彼女もこの件については全く知らない様子で、私が目覚める以前のことも、全く分からないようだった。ただ彼女には、自分が一度死んでしまったという認識はあるようで、だから彼女いわく、ここは死後の世界なのではないか、とのことだった。

なんともファンタジックな考えではないか。

いや、ともすると、この妄想的考えは正しいのかもしれない。
私は瀕死の状態で、山なのか何なのか分からない塊を見上げていたところまでしか覚えていないし、その後、気付いたらいきなりここだ。死んだはずのノーラだって、元気な姿でここにいる。単純に考えれば、死後の世界というものが存在し、我々は今そこにいる、というのが自然な気もするというものだ。

確かに、ここには何不自由なく暮らせるだけのものがあるし、私たちがそれぞれ退屈せずに過ごせるだけの娯楽も用意されているし、楽園を脅かす恐ろしい要素、例えば悪天候や野生の猛獣、毒をもった虫や、嫌な隣人なども皆無だ。ここはまさに二人だけの天国であって、つまり、そのものずばり「天国」なのかもしれない、と思える。

しかし、もしここが天国なのだとするなら、死後の世界というものはずいぶん物理的にできているのだとも思う。私やノーラはこの世界でも、生前(すでに死亡していると仮定して、だが)となんら変わらない生活をしている。
睡眠も排泄も行っているし、何かをするには道具が必要だし、ノーラと会話をする為には今までどおり手話を用いている。「何不自由なく」と先述したが、生活においてこれら生前と同じ労力が必要な以上、完全に「何不自由なく」暮らしているわけではないと言えるのかも知れない。

それに、私が「これこそ死後の世界、天国なのだ」と、完全には信じられない理由がもう一つだけある。このコムログだ。

コムログには、さまざまな記録が残っている。もし、物質の存在しない死後の世界において、私の意識体が生前の記憶を元にこのコムログを作り出しているのだとしたら、このコムログには、私が覚えていない記録が残っていてはいけないことになる・・・

正直自分でも、これまでに残してきた記録を完全に暗記している自信はない。だが、このコムログには、今まで私が音声で残してきた記録が、完全な形で残されている。
さらに、私がこれまで行ってきた地形探査の記録も残っている。こんな些細な探査記録など、逐一暗記していたわけでもあるまいに。だが、このコムログには、それがしっかりと記録されているのだ。

さらに、このコムログは、サバラバの昼夜の時間に合わせて日数計算をする設定にしてあるのだが、私が意識を失っている間も、正確に日数を刻み続けていた。そして驚くべきことに、その設定は、現在のこの世界の昼夜ともほぼ完全に符合しているのだ。

つまりここでは、サバラバの暦を基準に時間が流れていることになる。
地球生まれの私やノーラは、死後の天国ではサバラバの暦に従っていることになるのだ。実に不自然ではないか。

考えれば考えるほど混乱が深まる。そして、それらの疑問に答えが示されることなどない点は、これまでの私の荒野での彷徨の旅のころと、何ら変わりはない。

だったら、ただ単純に、ここでの暮らしを楽しめばいいような気もする。ノーラは実際、そうやって暮らしているし、私もそれに従えばいいように思う。

もちろん、始まりが唐突だったのと同じように、この暮らしが唐突に終わってしまう可能性もあるだろう。そうならない保証など、どこにもないのだ。

【記録終了】



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)