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【連載小説】聖ポトロの彷徨(第23回)

83日目(回収予定日)

記録には『回収予定日』と残るだろうが、私が回収されることはない。

当初の予定では、この星に到着後すぐに、私は地球からの特使としてロヌーヌとの謁見を済ませ、地球圏との交流開始について会談した後、地球との相互ゲートを開くようサバラバ側に要請し、地球時間で3ヶ月間(サバラバでの1ロイロ4カーマ5ガインと半分)の実地調査を経て、私は無事帰還し、今度はその3ヶ月間で用意された政府筋の代表やらが、サバラバへ入れ替わり立ち替わり訪れることになる手筈だった。

その後、地球人にとっての新たな楽園は急ピッチで機械化されてゆき、有毒ガスとスモッグにまみれた小汚い惑星へと改造され、さらなる富を追い求める富める層と、そのために使い捨てられる貧困層とにカテゴライズされた、有象無象の地球人たちに手荒く踏みにじられて、そして、現在の地球と同じような『美しく住みやすい』地獄へと改造されてしまう予定だった。

もちろん、ロヌーヌがそんなことを許すはずもあるまい、ということは計画当初から判然としていたので、交渉というよりは、むしろ武力による制圧を前提とした計画だという風にも聞かされていた。

しかしまあ、今となっては全ては夢物語だったわけだ。

この惑星には楽園どころか、人が住める大陸すらない。唯一の大陸サバラバも、もう間もなく海中に没する。
現在のこの惑星の大気組成は、酸素濃度が極端に濃いため地球型生物には適さないし(サバラバの上空には、グレード4相当のバリアフィールドがあったという話だ)、海は現在高濃度の塩基性で、これまた生命の繁殖には適さない。
十年後の小惑星の衝突によって惑星の環境が急変した後、初めて有機生物が住める環境が整うんだそうで、その辺がどういう理屈かは詳しく知らないが、それまでサバラバに生物は誕生しないシナリオになっているらしい。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

今回の私の決断に関して、ノーラを説得するのには、全くといっていいほど労力を必要としなかった。
彼女は、途中で私が何を言いたいのか分かったらしく、首を軽く横に振り、人差し指を唇に当てて私の動きを止め、そしてすっと音もなく立ち上がると、私の首をその小さな胸に抱きしめた。
眉根を寄せ、無理に笑顔を作ろうとしているのが私にも分かった。彼女の顔は蒼白で、唇がかすかに震えていた。それはやがて来る運命を受け入れることが実に難しい事であるのを表すのに十分な表情であった。

「消滅」

それは死よりも恐ろしく、死よりもずっと残酷だ。

だが、頑固な性分の私の決心が揺らぐことは、もはや有り得ない・・・彼女には、それがよく解っていたのだ。

私は夕べ、ノーラとの最後の晩餐と、最後の夜を過ごした。彼女は終始、いつもどおりの少し困った顔をしたまま、いつもどおりに過ごしていた。

ベッドにもぐりこみながらも、私は全く眠れなかった。彼女はいつもどおりスヤスヤと安らかな寝息を立てていたのだが、明け方ごろ、急に私の胸に顔をうずめ、肩を震わせながらさめざめと泣き始めた。私も涙を禁じ得ず、さながらニッポンの古典芸能に多い心中物のように、二人は寝床で抱き合ったまま、ホロホロと冷たい涙を交わした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

翌朝、少し遅めに目覚めた私たちは朝食を共にし、準備を済ませた私は戸口に立った。彼女は私の首に両手を絡ませ、らしくない勢いで激しく口づけを求めた。私もそれに応える。

何せ、最後なのだ。

この唇を離した時、全ては跡形もなく消え失せるのだ。

失いたくない、離したくはない。

だが、無情にもその時は来た。

彼女は周囲共々、足元からぱらぱらと消え始めた。白いスリッパが、白い足が、ひらひらとなびく白いスカートが、かぼそい腰元が、徐々に徐々に、ぱらぱらと消滅してゆく。

白いブラウスの胸元が消滅する直前、ノーラは私の顔をまっすぐ見つめ、あのなじみの笑顔を繕うと、驚くべきことに

「ありがとう。大好き」

と、はっきりした『音声で』言った。私が聞いた、最初で最後の、彼女の肉声を伴う言葉だった。

彼女を抱き留めていた腕から感覚がなくなり、私の両腕は空を掴んだ。
私の周囲から、数週間の思い出が詰まった宝箱が消えて行き、やがて、そこは周囲と同じ草原に変わった。

三度深呼吸をした私は、両手で自分の頬をバシバシと叩き、まだ温もりの感覚が残る唇を噛み締めると、海へ向かって歩き始めた。

海へ向かって一歩一歩、自らの足を踏み出す度に、その後ろの部分の景観がぱらぱらと無に還ってゆく。今振り返ると、おそらく私の後ろには、何もない虚空が広がっているに違いない。
だが、私は振り返らない。ただ、ひたすらに海へ向かう。

この世界に滞在している間何度も通った土の道。5分かからない程度の細く短いけもの道が、こんなに長く感じられるとは。歩みを進める度に感じる、自分の中に鉛を流し込まれていくような感覚。体が徐々に、そして確実に重くなってゆく。
だが、振り返ってはいけない。

私が集めた漂流物たちが、私の後ろでぱらぱらと消滅していく。これらは元々どこにも無かったものだ。私のために生み出された玩具に過ぎないそれらは、もはや私が必要としなくなったことを知っているかのように、何の表情も見せずただ消えていった。

やがて海へたどり着いた。私は足を止めることなく、じゃぶじゃぶと靴のまま海へ入っていく。

松林が消え、ハマユウの群生地が消え、しまい忘れたパラソルが消え、そして砂浜そのものが消えた。周囲はすべて海に変わった。

靴の底が海底から離れると、私はもっさりとした平泳ぎで、さらに沖を目指してじゃぶじゃぶと進む。

もう間もなく、消滅は私を追い越し、全てを飲み込んで、この架空の世界を無に帰すだろう。

それまでに、記録を終えてしまおう。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

私が感じていた違和感・・・その一つは、取引内容に対する不公平感だった。

『私はこれだけ持っている。あなたはこれだけ持っている。私の持っているうち、これだけを差し上げますから、あなたの持っているうちから、これだけを私に下さい。』

それが取引だ。それは善でも悪でもなく、ただの行為だ。それそのものに違和感を覚えたのではない。

ただ、私がこれ以上ないというくらいすばらしい条件を持ちかけられ、肉体の提供を申し出られたとき、私は直感的に『この取引は不公平だ』と感じた。

私にとって不利だというのではない。相手の提示する条件に対し、私の提供できるもの・・・ちっぽけな私の肉体のみ、という条件があまりに矮小なものに思えたのだ。
だから、取引そのものを見直す必要があるのではないかと思った。それが一つ。

さらに、もう一つ違和感を覚えた部分がある。これについて、上手く説明できるかどうかは分からないが、もうあれこれ考えている時間が無い。足が消え始めている。記録をしてなくては。

何と言おうか・・・

生きるということは、常に不条理な無理を強いられるということである。

私を含むあらゆる生物は、何かを口にせずに生きていくことができない。生産者である草や木でさえ、無機物を摂取しなければ生きられない。ましてや、捕食者である動物は、他者の命を奪うことでしか自らの命をつなぐことができない。

だが、動植物やウィルスを含むあらゆる生物は、常に『生き続けたい』という本能に従って命をつなごうと、日々あがく。

ここに、生命のもっとも大きな矛盾がある。

22世紀初頭に全廃された宗教の多くは、人類の罪と罰についての教義を持っていたというが、それらはこの矛盾に根ざした考えであるという研究を目にしたことがある。なるほど、その通りなのかもしれない。

さて、やがて惑星のあらゆる生命の源「ポトロ」となり、新しい命を宿す私の肉体の細胞たちであるが、この愛しき私の子供たちも、こうした

「生きるという矛盾」

と常に闘いながら、生まれ、子を産み、育て、死してまた誰かの糧となる運命にある。

そして進化に進化を重ね、やがてまた人類かそれに似た生物がこの惑星上に誕生する日が、いつか来るだろう。

だが、それでも命の連鎖は終わらない。大きくなった私の子供たちは、自分がなぜ生まれたのか、それすらも全く分からないまま、矛盾する運命に翻弄され、そしてそのまま死んでゆくのだ。

それは、苦しみ以外の何物でもあるまい。

多くの古典的社会において、罪と罰を教える宗教が何らかの形で発生し続けた背景には、この『生きること』=『矛盾に苦しむこと』という等式の解を欲しがる、文字通りの「魂の叫び」があったに違いない。

そこで、だ。

愛すべき自分の子供たちが苦しみ続ける運命にあるのを解っていながら、どうして、生みの親の私だけ、たった一度の取引で得た莫大なメリットを享受して、のんびり暮らせるだろう。

私は運が良かった、私は選ばれた・・・理由などいくらでも後付けできる。だが、きっと私は、永久に生き続けながら、自分だけがこの矛盾から『逃げ出した』ことを永遠に悔い続けるに違いないと思った。

だから私は、この取引には応じないことにしたのだ。

私は先日、提示された条件を全て返上し、無償で肉体を提供する旨を書いた紙を、ガラス瓶に詰めて海に流した。返事はものの5分で流れ着いた。瓶の中の紙には一言
「マジ!?」
と書かれていた。前任者の彼らしい返事だと思った。

彼には、私が元の肉体に戻される時(解凍され、分解される直前の、ほんの数分だけだという)、ここでの記憶と、ここでコムログに記録した内容とを、現実の世界に全て持って行きたいということを伝えた。それらはどうやらロヌーヌに承諾されたようだ。

私は分解される直前の数分間、コムログに一言だけメッセージを吹き込む権利を得た。

これから生まれ、そして死にゆく那由他の子供たちに、私は何を伝えればいいだろう・・・いや、今深く考えるのはよそう。

ただ、私から生まれた生き物たちがやがて文明社会を築き、科学を進歩させて、機械文明時代に到達した際に、そこが、私がいた地球のような世界になっていないことを、ただ切に願

【反応消失】

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)